第17話

 車で街中を走らせる師匠。師匠の運転は少々荒っぽくて、少し怖いが気にしないことにしよう。

 そしてある神社で先生が一人、車を降りて神職の人と話をしていた。そして神職の人と共に社の方へと向かって行った。

 社の中は見ることが出来ない。だから師匠が何をしているかはわからない。

 三十分もすると、師匠は車に戻って来た。刀と共に。

「師匠、その刀は何ですか?」

「これは神器の一つだよ。影だけでは少し頼りないからね。神社の神主さんに予め理由を話して貸してもらうように言っておいたんだ。この神社は、退魔師に理解がある神職がいる数少ないところなんだよ。もしかしたら弟子の君達も、ここにお世話になることになるかもしれないから、覚えておいて損はない」

「はい」雫さんはこくりと頷き、それを見てから俺も頷いた。

 そして車は次の場所へと移動する。

 着いた場所は小さなお地蔵さんが置いてある場所だ。そこで師匠が地蔵に向かって話しかける。

「すみません。私、花開院陽介と申します。よろしければお力をお借りできたらと思うのですが、いかがでしょうか」

 その畏まった姿に、俺達は驚きを隠せなかった。いつも堂々としていて、頭を人に下げたことなどないんじゃないかとすら思える程の貫禄があるのに。

 すると地蔵から声が聞こえて来た。

「花開院……ふむ。聞いたことがある名だ。お前、ここらを仕切っている退魔師だな。何故、私の力が必要なのか」

「今回の仕事で、とても大きな強い存在と戦うからです。あなた様のお手をぜひお借りしたく、参上致しました」

「ほう。強大な敵とは、一体どのようなものかね」

「それがわからないのです。昔から神隠しに見せかけ、その魂を食らっていたことは確認が出来ております。場所は帽子山という山の、今は既に機能していない神社を根城にしていると聞いたことがあります」

「人の生き死に係わる、か。良いだろう。この老いぼれた影の力でよければ、存分に使うがいい」

 するりと地面から伸びたその影は、今まで見たどんな影よりも神々しかった。

 まず色が黒くない。そして、白く、輝いている。

「ありがとうございます。私の身体の影を使ってください」

 師匠のその言葉に、影は師匠の影に身を潜めた。

 師匠は口を開いてこう言った。

「この影は、神様のような影なんだ。とてもとても、大きな力を持っていらっしゃる。影の中でも異例な存在だ」

「はあ……。なんとなく、凄そうなのはわかります」

「土地神様みたいな、そんな存在なんだよ」

 そして俺達は、その影と共に車に乗り込んだ。


 師匠のシルビアはブォンと吹かした音をさせて、目的地へと走った。

 周りの景色が段々と鬱蒼と茂る木々ばかりになっていき、ついには人家が全くないところへと辿り着いた。

 車を停めたすぐ横に、石造りの鳥居がある。

 ここが、今回の戦いの場所か。

 エンジンが止まり、ドアの鍵が開く。

 ゆっくりと歩を進める。重苦しい空気がべたりと肌に張り付く。

 俺の影が、俺を包んだ。だが、それは気持ち悪くなかった。まるでバリアのような、そんな感じだ。俺の一センチほど外側を覆っている。

「瘴気が濃い。お前、辛いだろ。俺が守ってやる」

「お前、こんなことも出来たのか」

 俺は驚いた。影も成長している。俺を、守るために。

「あー、強さんずるーい!」

 バリアを作ってから車を降りた雫さんが俺を見て指差して地団太を踏んだ。

「雫、お前もいつか影を連れて歩けばいいじゃないか。それより、今はここから無事帰れるかを、考えた方がいい」

 師匠のその一言で、雫さんは地団太を踏むのをやめ、師匠の隣を歩いた。俺は二人の三歩後ろから付いていく。

 道なき道を歩いて、壊れた社が目に入った。

「ここからさらに圧力が掛かっていく。気を付けるんだ。二人とも」

 師匠のその言葉に、俺達は身構えつつ後を付いていくことにした。

 足を一歩、一歩と進める度、地面に沈むような感覚が襲う。

 重い。苦しい。逃げたい。そう思える程の圧力だ。頭を押さえつけられるような、圧迫感を感じる。

「先生……」

 雫さんが立ち止まり、師匠を呼ぶ。師匠は止まらない。

「花開院先生! もう歩きたくない!」

「雫、こんなところで負けるくらいなら、今すぐ車に戻りなさい」

 背を向けたまま、師匠はそう言う。

「え……」

「私は退魔師として、プロ意識がある。だから一度引き受けたからには完遂させる。お前は退魔師で、私の弟子だ。だから、選択肢を二つやろう」

「選択肢?」

「一つ、一緒に付いてくる。二つ、車まで戻って一人で待つ。どっちがいい」

「それは……」

「自分で決めるんだ。私達は先を行く」

 師匠は雫さんを置いて、先を進む。俺もそれに付いていく。戻るという考えには、至らない。師匠と同じ、退魔師だから。俺にもプロ意識が芽生えつつあるし、師匠が負けるわけがないというこれまでの経験から、そう思うのだ。

「ま、待って先生! 私も行く! 私も行くから!」

 雫さんは走って師匠の横に並んだ。

「どうしてこっちに来る気になったんだ?」

「だって、一人は怖いし、何より私は弟子を持つ、プロの退魔師だから」

 その声に、迷いはなかった。

「よし。それでは、行こうか」

 足を揃え皆で社の前に立った。

 壊れた神鏡、落ちた神棚。荒れた様子に、俺達は閉口する。

「いるねえ」

 師匠の影から、白い影が現れる。

「出ておいで。いきなり派手に動き回るのは好きじゃないんでねえ」

 白い影がそう言うと、社の神鏡から赤黒い影が現れた。

「ふん。老いぼれに小僧、小娘か。何をしに来た」

 赤黒い影は人間のような姿に変化した。人間のようなというのは、額に赤い角が三本あるからである。つまり、鬼だ。

 白い影も人間の老爺の姿に変化した。

「お前さん、暴れすぎたんだよ。こんなにも大きくなって、気づかれないわけがないだろう。魂を失くした人間が、何人もいるのだからね」

「はん。心を失くした人間がどれだけいるか知っているか? 心を失くした人間の魂を食って何が悪い」

「心が失くなったからといって、魂を食っていい理由にはならないだろう。それに、心は完全には消えたりはしない。小さくなったりはするが、また心の大きさを取り戻すこともある。可能性、希望がある生き物なのだよ」

「……仲間を騙し合い、自分だけがよければそれでいい人間の、どこに希望があるというのだ!」

 気の圧力が、俺達を襲う。

 ぶわりと風が舞い、木々が気に共鳴する。

「何度も騙されるのはもうたくさんだ! お前達人間など、皆食ってやる!」

 鬼の手から、口から、目から、おぞましい量の影が地を這ってこちらにやって来る!

 その時、老爺が俺達三人の前に立ちはだかり、影を防ぐ。

「そうか。わかった。君は元神様だったんだねえ」

 鬼はピクリと目尻を上げて反応を見せた。

「神から堕ちてしまった、荒れてしまった存在。そうだろう。私は影のままだから、何とも言えないが、また戻る気はないのかい?」

 老爺はそう続けた。

「戻れるものか。こんなにも穢れてしまったのだから!」

 老爺は影に押され、僅かに後退った。

「強いねえ。だが、これはどうだい。花開院、次の瞬間、影を一掃する。そうしたら、神器で鬼を斬るんだ!」

「わかりました。雫、強君、もしものために防護壁を緩めずにいるんだ!」

「はい!」雫さんと俺の声が重なった。

 その途端、老爺から放たれる清らかな気で影を一掃した。

「今だ! 行きなさい!」

 師匠は唸り声を上げながら鬼に立ち向かっていった。鬼は老爺の気に当てられ、動けずにいる。チャンスだ。

「はあっ!」

 師匠は刀を一振りする。しかし鬼が避け、鬼の左肩を僅かに削るだけだった。

「残念だったな。小僧」

 にんまりと鬼は笑みを浮かべて傷口から強い瘴気を噴き出し、師匠を包み、鬼の傍らに黒い塊として置かれた。

「そんな。先生……!」

 どさりと地面に刀が落ちる音がした。

「おやおや、困ったね。これは誤算だった。まさか動けるだなんて……。だが、まだ希望を捨ててはいけないよ。お二人さん。まだ彼は吸収されていない。強い意志を持った者を消化するのは時間が掛かるものさ」

「老いぼれ、小僧共。俺の勝ちだ。こいつはもう助からない」

「それはどうかな。こっちにも、もう一つ、影がいるんだよ」

「ほう。その小僧を覆ってるやつか。どれ、力試しでも、してみようかねえ!」

 鬼は手から瘴気を放つ。

 俺を覆っていた影は、老爺と場所を入れ替え、バリアのように俺達を覆った。

「俺、こっそり練習してた。どうしたら、お前を守れるか」

 瘴気に抗うバリアは、みしりみしりと音を立てるも、その度に自然修復されていく。

「お前、俺の初めての友達。影と人間、きっと友達になれる」

 影は器用に手を鞭のようにしならせて神器である刀を取って俺に寄越した。

「これ、お前持つのが最適。女を守る、いい男になれる」

 無駄口を叩くことも、影は忘れない。

 ああ、いつもの影だと、安心感を得た。

「白いの。もう一度あれ出来るか。俺も手伝う。奴を羽交い絞めにしてやって動けないようにしてやる」

 影は老爺にそう言った。

 老爺と影は息を合わせ、気を放ち合った。

「行け! お前なら、きっと倒せる!」と俺の影は言った。

 鬼は身動きできる範囲で動き、ちょこまかと逃げ回る。

 そこへ俺の影がやってきて、疲弊の色を見せた鬼の背後に回って羽交い絞めにした。

「斬れ! 斬れ! 今だ! 俺がこいつをこうしていられる間に!」

 だが、鬼を斬るということは、影を斬るということだ。

 斬ろうという意思と、影を斬りたくないという意思がぶつかり合い、俺は動けず迷っていた。

「迷うな。若き者。その影は、既に意志を固めている! 私の力も今に切れる。そうなったら、またあの鬼は私達を襲うだろう。私ももう疲れが出ている。今しか機会がないんだ!」

 老爺はそう言って、気をまた放った。

 そこへ雫さんが俺の隣へやって来て、俺が持っている刀の柄を手にし、強い口調でこう言う。

「あの影は、もう意志を変えないつもりよ! それだけの、強い意志を持ってるの! 信じてあげましょうよ。そして一緒に鬼を倒して、先生を助けて、一緒に帰ろう」

 俺は覚悟を決めて刀を大きく振りかぶった。

 影と目と目が合う。

「お前との日々、悪くなかった。友情は、いいもんだなぁ」

 最期にそんなことを言って、鬼と共に斬られた俺の影は、霧となって宙へと散っていった。

 俺は胸に穴が開いたかのように感じる。きっとこの穴は、一生埋まらないだろう。

「こんなはずじゃ……。油断さえしていなければ」

 鬼は肩から腹にかけて斬られ、どうにか元の形に戻ろうと四肢を集めるが、老爺がそれを許さなかった。

「君は、やりすぎたんだよ。もう、元には戻れない。私が、お前を二度と復活出来ないように気を巡らせ、塵へと変えるからね」

 それを聞いた鬼は必死の形相で老爺を見る。這い蹲って、睨むようにして眼球らしきものをどろりと地面に落としながら。

「嫌だ。俺は消えたくない。な、なあ。もうこんなことはしない。神隠しにしない。だから、いいだろ。そうだ、そこの小僧。お前の影になってやってもいい」

 鬼は鬼にとって都合の良い方へと物事を転がそうとしたが、老爺は無慈悲にも鬼の額に手を当ててこう言った。

「お前にゃ、無理だ。さようなら」

「待て、やめろ、やめろぉ!」

 鬼は塵と化した。

 俺はいつまでも影が消えた方向を見つめていた。

「ちょっと、あなたの気持ちもわかる気がするけれど、先生を助けなくちゃ」

 そうだ。そうだった。先生がまだ鬼の影に捕らわれているのだった。

「先生! しっかりして!」

 雫さんが気を巡らせて、影を霧散させる。中からは意識が混濁した師匠が出て来た。

「師匠!」

 俺が駆け寄ると、師匠はどろりとした目で俺を見た。

「影は……どうなった。退治、出来たのか」

 どこまでもプロ意識が高いのだろう。こんな先生の下で弟子をやらせてもらえて、幸せだ。だが同時に心配にもなる。

「師匠こそ、大丈夫ですか。鬼は、もう消えましたよ。依頼は完遂されました。安心してください」

 虚しさが残る胸で、師匠を抱き締め、座らせた。

「少し、休ませてはくれないか……」

「ええ。そうしたら、またカフェに行って打ち上げに行きましょう」

「そういえばお前、影はどうした」

「……影は、俺達のためにいなくなりました。鬼と一緒に、斬りました。もう、いません」

「……そうか」

 師匠は座り込み、体力、意識が回復するのを待った。


 日が落ち、周りが食らうくなり始めた頃、師匠はいつもより少し弱弱しかったが、いつもの調子を取り戻した。

「私の役目は終わりだな。もう帰らせてもらうよ」

 老爺は師匠が回復したのを確認すると、空中へと飛び立ち、消えていった。

 私達は、老爺が消えた方向をいつまでも見ていた。

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