第11話

「それじゃあ強君。影ってそもそも何なのかという話をしてあげよう」

「あ、それ知りたい。ありがとうございます」

「まず、影というのは人間の負の感情が生み出す靄そのものだ。だが、成長すると意思を持ったりする。弱いやつらはただ街を徘徊したり、負のエネルギー、感情を食べるだけだが、上級の影になってくるとどうなるか。強君も遭遇したよね」

「はい。女の子に化けて人を騙したりするようになります」

「そう。それこそが影の意思。自我が芽生えた証だ」

「自我が芽生えるとどうなってしまうんですか?」

「人間を食らうことに快楽を見出すことがある。他にも脅かすことでエネルギーを多く食べようとしたりと、様々なことがあるね」

 ここで俺は自分の影について言おうかと考えていた。だが、そんなことを言ったら、払われてしまうだろうし、共存するという約束を俺が破ることになってしまう。それは避けたい。そう思うと、道はただ一つ。黙っているということだ。

 影は俺の心を読んだのか、「くけけっ」と笑った。

「その影との仲は相変わらず良さそうだね」

「そうですね。こいつ、バリアの練習とか付き合ってくれるんですよ」

「ほう……。普通嫌がるのにな。退魔師と共存する影か。まあ、あまり見たことはないが、いることにはいるからな」

「それってどのくらいの割合ですか?」

「二割くらいだと思ってくれ。本当に影と共存、共闘する退魔師は少ないんだ」

「そうなんですね。じゃあ、僕は珍しいってことか」

「そういうことだよ。強君。もし、影が変なことを囁いたりするようになってきたら言ってくれよ? どうするか相談をしよう」

「はい」

「おっと、仕事の時間だ。そろそろ行くね。頑張ろうな。強君!」

「はい! ありがとうございます!」

「花開院君、また来てね」

 そうして師匠は去って行った。

 俺はというと今日は暇でしょうがないから一日中カフェにいるつもりだ。

「ユウカさん。今日、俺とても暇なので、カフェが終わる時間まで居てもいいですか?」

「いいわよ。何ならバーの時間もいらっしゃいな。他のお客さん、今日辺り来ると思うのよね。ここ、そういう影が見える人ばかりが来るから、面白い話が聞けるかもしれないわよ」

「じゃあ、そうしようかな」

 俺は一日カフェにいることに決めた。

「ねえねえ、強君ってファッションに興味ない?」

「え、何で突然」

「だってあなた勿体ないわよ。宝石の原石みたいなのに、身に纏ってるものがあまりにも雑! バランスが悪いわ!」

「そんなこと言われても、俺、ファッションとかよくわからないし。目が見えるようになったの最近ですよ? 雑誌とか買ってもないですし」

「ちょっと待ってなさい」

 ユウカさんは店の奥へと行ってしまった。

 どうしたのだろうかと不思議に思っていると、紙袋を持ってユウカさんは再び現れた。

「これ、あげるから着てみて」

「え?」

 渡された紙袋の中を見てみると、衣類が入っていた。

「私の若い頃のものよ。少し大きいかもしれないけれど、よかったらどうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 これで俺にもお洒落が出来るだろうか。

「人は見た目じゃないって言うけれど、見た目も大事よ」

 ユウカさんはそう言ってウインクをした。

 お洒落について話を聞いていると、ドアのベルが鳴り、来客があることを告げた。


「いらっしゃーい」

「おや、新顔だねぇ。こんにちは」

「こんにちは」

 入って来た人は初老の男性だった。

「小原さん! お久しぶりねえ。こちらのカウンター席どうぞ」

 小原さんと呼ばれた人物が俺の隣の席に座った。

「やあ。初めまして。私は小原武。君も退魔師、だね」

「あ、そうです。君もということは、あなたもなんですね」

 その人の瞳は金色をしていた。影が見える証拠の、金色の眼。

「もう隠居している身だよ。さて、君は影を連れているね。共闘したりするのかい?」

「いえ、それはまだ……」

「おや、私の見立てでは君の影は相当強いはずだよ。君達、意思のやりとりはしているのかい?」

 影が俺にこっそりと囁く。

「やりとりしてるよな。俺達、共存していくし、その内共闘だってしてやる」

「影はその内共闘してやるって上から目線で言ってきてますね。でも、こいつそんなに強いんですか?」

「わからないかい? まあ、そうだよなあ。長年の経験と勘でなければ、こればかりは……」

「影、お前強いの?」

 俺がそう聞くと、影は「ふん」と言って「そこそこだ」と自慢げに胸の辺りを反らせた。

「嘘はよくないな。いつもこの人の負の感情を食べているみたいだし、何より、君の瘴気は隠されているがとても大きい」

 小原さんがそう言うと、影は「俺、まだまだ。もっと強くなる」と言い出した。

 全く、何故向上心などという人間らしい感情が芽生えてしまったのだろう。この影は、どうして人間のように成長してしまったのか。俺はそれが不思議でならない。

「君はもっと危機感を持った方が良い。影は、知恵をつけると厄介だ」

「人を騙すとか、そういう点ですか?」

「そうだ。そして、退魔師すら、飲み込んでしまう存在になる。そのことをいつも頭の片隅に置いておいてほしい」

「……わかりました。小原さん、でしたね。助言、ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げると小原さんは「いやいや、そんなかしこまらなくていいよ」と言っていた。

 そういえばこの人は師匠を知っているのだろうかと気になった。

「小原さんは、師匠……花開院さんと、お知り合いですか?」

「花開院? ああ、陽介ね。彼は私の弟子だよ」

「え……」

 では、この人がこの店の先代店主で、師匠の師匠……。そんな凄い人だったのか! 俺は衝撃で目をぱちりと見開いた。

「おいおい。そんなに驚かなくてもいいだろう。私はそんなに大した人間じゃないさ」

 そういえばどことなく雰囲気が師匠と似ている気がする。

「師匠の師匠とは知らず、失礼しました」

「いや、いいんだよ。私も言わなかったしね。それよりも、君と話がしたいな」

「俺と話を?」

「身構える必要はない。何、弟子の弟子が、どんな人間なのか、興味があるだけだよ」

 ユウカさんが紅茶を小原さんに差し出して口を開いた。

「随分楽しそうですねぇ。あまりいじめないであげて頂戴。この子、最近目が見えるようになって、退魔師になったばかりの子なの」

「ほほう。それなのにこんなに強い影を連れて歩いているのか。これまた興味深いなあ」

「今日もね、私についていた影を退治してくれた有望株よ。私はあっちで座ってるから、用があったら呼んでねえ」

 そう言ってユウカさんは店の隅の席に腰を落ち着かせた。足を組み、煙草を吸って、紫煙を吐き出している。

「さて、君は……何という名前かな?」

「ああ、俺は川崎強と言います。花開院師匠の下で修業させて貰っています」

「川崎強、だね。では強と呼び捨てにしてもいいかな? いきなりだから、嫌だろうが」

「いえ、師匠の師匠ですから、大丈夫です」

「わかった。では強、君はどんな気持ちでこの影と一緒にいるんだい? 中々いないよ。共闘もせずに、ただついて回るだけなんてね」

「それは、俺にもよくわからないのですが、この影が共存したいと言って一緒にいるんです。防護壁の訓練とかも手伝ってくれるんですよ。何故か、共闘だけはしてくれませんが」

 影は騒ぐ。

「共闘しないんじゃない! お前が成長する! それを見たいだけ!」

「これまた随分と知能が高い。それだけではないね。君に友情を感じてさえいるのか……。いや、この歳でまさかこんな稀なものを見られるだなんて、思わなかった。だが、もしこの影が君の敵に回ったら、君は影を斬れるかい?」

「それは……」

 俺は即答出来なかった。前まではこんな影見えなくなってしまえばいい、いなくなってしまえばいいとさえ思っていたのに、今では友情すら感じるのだ。そんな存在を、敵に回ったとして斬ることが出来るのだろうか。

「答えられないか。それも仕方がないだろう。だが、いいかい。他の人、陽介も言ったかもしれないが、影と人間の間に、友情なんてないと思った方が良い。互いの利益のためにたまに共闘する程度、それが一番傷つかなくて済む方法だと、私は思うね」

 そして小原さんは、影に指を差してこう言った。

「いいか。もし、お前がこの人の魂そのものを食らったり、他の影を食らって自我がより大きくなって暴走し始めたりしたら、私も隠居している身だが、退治するために腰を上げよう」

「俺、危険じゃない。強、友達。食らうわけがない」

「その言葉に嘘偽りがないと、私は信じたい。だが、影は嘘を吐くものだからね。なるべく、信じてみたいとは思うが、いつもそうして騙されてきたし、騙された者達の末路も知っている。だから、私はこの影を信用することはないと、断言するよ」

「……俺、お前嫌い」

 影はそれだけ言うと、俺の肩に留まって息を潜めた。

「強、いいかい。影に騙されるということは、魂を盗られることだと思っていい。知らない内に影のいいように誘導されているなんてことも、普通にあるんだ。だから退魔師で影と共闘する者は少ない。いつか、自分の相棒だった影を斬らなければならなくなる時も、来ることがあるからね」

「はい。肝に銘じます」

「さて、今度は個人的なことを聞いてしまうが、いいかな」

「はい。どうぞ」

「陽介とは、仲がいいのかね?」

「それは」

「師弟関係抜きにして」

 俺は手を顎に添えて、少し考えてから答える。

「あまり親しくはないかもしれませんね。師匠は昼間仕事があるし、退魔師としてのお仕事に付いていくくらいですから、何が好きとか全く知りません」

「そうか。私の時と似たようなものだな」

 小原さんは紅茶を飲んで重たそうに口を開いた。

「私はね、後悔しているんだよ」

 ティーカップを見つめながら、小原さんは続ける。

「師弟関係、それだけしか私達にはなかった。もっと相談事を聞けばよかった、もっと親子のようになればよかったと、後悔ばかりがこの身を蝕むんだよ。陽介は私の手をほとんど借りずに立派な退魔師になった。だが、弟子に教えるということが、私のせいで何か欠けているのではないかと、心配でならないんだ」

「どうしてまた、それを僕に」

「君になら、話してもいいと思ったからだよ。陽介の弟子だし、人柄も良さそうだからね。陽介はああ見えて不器用なところもあるから、師弟関係以上は望めないかもしれないが、ちょっとでも陽介と強が親しくしてくれたら、私にはそれが幸せになる。勝手な押し付けで、申し訳ないけれどね」

「……いえ、わかりました」

 きっと小原さんは本人が言っている通り、ずっと後悔してきたのだろう。どうしてもっと仲良くならなかったのか。何故もっと信頼出来る関係にならなかったのか。どうして、どうしてとそればかりが頭をぐるぐると回っていたに違いない。

 それはどんな気持ちだろう。隠居しても、気になるくらいだから、きっと小原さん本人は胸に穴が開いたような、そんな気持ちなのだろうか。

「ところで君はアイスは好きかい?」

「え、ええ」

 突然の話題の切り替えに、頭が追い付いていかなかった。

「ユウカ、強にアイスをお出しして」

「はあい」

「え、そんな。悪いですよ」

 逆にこちらは教えてもらったお礼をしなければいけないくらいだと思うのだ。

「いいんだ。こんな老いぼれの話を聞いてくれたお礼に、何かさせてくれ。あ、あと、オレンジジュースも彼にお出しして」

「わかったわー」

「安心していい。もちろん、私の奢りだ」

 そう言ってウインクを飛ばす小原さん。師匠の姿が重なって見えた。

 やはり師匠と小原さんは師弟関係なのだなあ。


 奢ってもらったアイスとオレンジジュースは今、既に俺のお腹の中だ。とても美味しかった。

「それじゃあ、私はそろそろ帰るよ。孫弟子に会えたことだしね。それでは強、もし、また会えることがあればその時はよろしく」

「はい。いろいろと、ありがとうございました」

 ベルが鳴り、ドアが開閉した。もう、小原さんの背中は見えない。

「結構、親(した)し気(げ)に話してくる人だったでしょう? 小原さん」

 ユウカさんは小原さんの使っていたティーカップを洗いながらそう言ってきた。

「ええ。師匠の師匠だから、身構えちゃいましたけれど」

「悪い人じゃないことは確かよー。ちょっと頭が固いところあったりはするけれど、退魔師としての経験も豊富だと聞いているし、この辺りの退魔師なんて皆小原さんの弟子みたいなものなのよ。昔は退魔師なんてもっとひっそりとしていて、それこそ影のように存在していたの。見える人にしか見えない、そんな存在だったわ。だから、今ほど若い退魔師っていっぱいいなかったのよ」

「そうなんですね。まあ、俺も若いって年齢じゃなくなってきましたが」

「何言ってるのよ! まだ二十六でしょ! 男の二十六なんてまだまだ子供よ!」

「ふふ、そうかもしれませんね」

 自然と笑みが零れた。俺はこの店が、空間が、人が、好きで堪らない。

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