第10話

 目を覚ますと時計の短針は十を指していた。

 影はまだぐっすりと眠っている。

 俺は朝ご飯を用意しようとキッチンに行ったが、食材があまりなく、スマホで探した質素な料理しか作れなかった。

 その間に影は起き出し、料理をする俺の肩に止まってじっと手先を見ていた。

「随分貧乏くさい食事だ」

 影がそんなことを言うから俺は思わず片手で影をぱたぱたと手を振って、「うるさい」とだけ言っておいた。

 食卓で料理を一人、いや、あと影を目の前に、食べ始める。

 質素だが不味いわけではない。むしろ美味しい方だと俺は思う。

 目が見えなかったら、こんなことすら出来なかった。だから俺は料理することが楽しい。

「お前、いい主夫になれるな!」

 影はそんなことを言う。料理を食べたり出来ないのだろうか……? 聞いてみることにした。

「食事って、ネガティブなエネルギーだけしか食べられないのか?」

「ああ、基本はそう。でも食べられる影もいる。相当成長した影なら、な。俺は、まだ無理」

 影のその言い方に少し引っかかった。どこか嘘を吐いているように聞こえる。

「お前、まさか嘘を覚えたんじゃないだろうな」

「……まさか」

 影はそれだけ答えるとにんまりと笑っていつものように俺の首についた。

 不安だ。つい先程まで友情を感じていたのに、今では信用出来るかすら怪しい。

 俺は少し影と距離を置くことにした。きっとお互いのためにはその方が良いのだと、そう思うのだ。


 時間が経ち、影と共にカフェに入る。するとユウカさんが出迎えてくれたのだが、背後に黒い影がいた。

「あら、いらっしゃい……。ごめんなさいね。今日ちょっと調子悪くて」

「それ、影のせいですよ。俺が退治しますから、ちょっと後ろ向いてて貰えますか」

「こう?」

 ユウカさんが後ろを向くと影が飛び出してきた! 俺は影の引っ掻くような攻撃を避け、気で作った刀で影を斬った。

 影は霧散し、俺の影が残った影の残骸を食べていた。

「あらあら。肩が楽になったわ。頭痛もなくなってる……!」

「それはよかった」

「強君、もうプロの退魔師みたいね。ついこの間やって来たばかりだというのに」

 ユウカさんにそう言われ、頭を撫でられる。

 俺はとても照れくさくて、はにかんだ

「さあ、今日はサービスよ! ウェルカムドリンクと軽食、作ってあげちゃうわ!」

「やったー! ありがとうございます!

 いつものカウンター席に座り、俺はウェルカムドリンクのオレンジジュースを飲む。

 甘酸っぱくてすっきりした味が、口の中いっぱいに広がる。

「はい。軽食。今日は玄米と味噌汁よー」

 それはもはや軽食とは呼べないのではないかと思ったが、言わずに食べる。

 甘みのある玄米も、優しい味の味噌汁も美味しくて、幸せな気持ちになれた。

「ごちそうさまでした」

「はい。お粗末様でした」

「粗末だなんてとんでもない! 凄く豪華でした」

「嬉しいこと言ってくれるじゃないの。そうだ。食後のハーブティーでもいかが?」

「お願いします!」

「……そうだと思って、もう飲める分作ってるあるのよ!」

 よかった。いつものユウカさんだ、

 やはりユウカさんは元気いっぱいで、セクシー? な感じで包容力がなければ。


 カウンター席で師匠と雫さんを待つ、確か今日も会う約束をしていたと思う。そう思ってスマホで入れておいたアプリを開いてみると、そんな予定は入っていなかった。

 あちゃー、やってしまったなと、一人カウンターに突っ伏した。

「どうしたの?」

「ユウカさん、今日、師匠達と会う約束してたと思ってたら予定に入ってませんでした……。つまり、俺だけ勝手に皆が来ると思ってたんです」

「まあ、そうなの。じゃあ私とお話ししましょうよ! それがいいわ!」

 それもいいかもしれない。そう思って、首を縦に振った。

「じゃあね、まず私の自己紹介からね。レディーユウカ。本名は内緒よ。性別は男、でも心は女の子……ってわけでもないのかしらね。今時、オカマなんて珍しくも何ともないでしょうけれど、私は自分の性別が未だによくわからないわ。恋愛対象は男よ。でも、以前は女の子だったの」

 随分とさらっと言うが、そんな大切なことを言ってしまっていいのだろうかと逆に俺が思ってしまった。

「このお店は私の前の店主から譲り受けたものでね。あなたと同じ、退魔師をやっていた人よ。今は引退してひっそり隠居生活を楽しんでるみたい」

「へえ」相槌を打っておく。

「花開院君との出会いはね、その人との繋がりだったのよ」

 少し興味がある。また相槌を打っておいた。

「前の店主がまあ、花開院君の師匠でね。初めて会った時はあんなに堂々としてなかったし、どちらかというとおっかなびっくりしてたわ。最初の頃のあなたみたいよね」

 ユウカさんは煙草を箱から取り出して「吸ってもいい?」と聞いた。俺は「いいですよ」と答える、本当は煙草は嫌いなのだけれど。

「はあ……。それでね、花開院君も仕事を何度も繰り返す内に強くなって、自信もつくようになっていったの。花開院君が独立するって決まって、その時に私もお店を譲り受けたのよ。もし、困っている人がいたら、ここで癒してあげてほしいって、頼まれてね。だから花開院君とは結構長い仲なのよ」

「え、でもそれじゃあ、ユウカさん、一体何歳でいらっしゃるんですか?」

「レディーに年齢を聞かないで。でもそうねぇ。あなたよりずっと年上よ。……なんてね。本当のところは。どうかしら」

「ともかく、年齢を聞くのはダメなんですね。わかりました」

「はい、ハーブティー。飲んでみて、今日はちょっと甘くしてみたの。苺のハーブティーなのよ、これ」

 香りを楽しんでみる。確かに苺の匂いがする。

 飲んでみるとすーっと身体に入っていくのがわかった。甘くて美味しい。これは砂糖だろうか?

「ユウカさん、これって砂糖ですか?」

「いいえ。蜂蜜よ。蜂蜜はお嫌い?」

「そんなことないです。でもハーブティーに蜂蜜は初めて聞いたなぁ」

「砂糖って美味しいけれど、あれ、身体に悪いこともあるから、蜂蜜にしてあるの。でも美味しいでしょう?」

「はい! 美味しいです!」

「そう。よかった。ねえ、私にも強君のこと教えてくれる?」

「良いですよ」

 さて、何を話そうか。考えていると影が囁く。

「目が見えなかったこと、見えなかった時のことでいいだろ」

 それもそうだなと思って目が見えなかった頃の話をすることにした。

「俺は以前、視覚障害者でした。以前というよりも、ついこの前までですね。それで、目が見えて世界中がいろんな色で溢れていることを知って、えらく感動したものです」

「うん。そうなのね」

「点字ブロックの上を歩かなくてもいいし、ウィンドウショッピングも出来る。自炊だって出来るし、食べ物を見ることが出来る。こんなに幸せなことなんてないですよね」

「でも、影が見えちゃったんでしょ? その時はどうだったの?」

「正直ぞっとしましたね。目なんて見えなけりゃよかったって、思ったりして。でも、今は見えなくする方法を身に着けたから、そんなに苦ではないですね」

 そんな時、ドアのベルが鳴り、来客を告げた。

「いらっしゃいませーって、あら、花開院君じゃない。丁度よかったわぁ。今、あなたのことや影の話をしていたの。強君とお話しをしていてね。ウェルカムドリンクと軽食作ってあげるから」

「わかった。ありがとう。ユウカさん」

 師匠は俺の隣に座った。

「どんな話をしていたんだ? 強君」

「昔の花開院さんの話とか、目が見えるようになってからどうなったとか、そんな話をしていました」

「ふむ。なるほどな。なあ、ところで君は、まだ退魔師になりたいのかい?」

「前にも言いましたけれど、なりたいです」

「そうか。それが聞けて良かった。正式な弟子になっても、たまにいるんだ。やっぱりやめたいって人がな」

「あ、そうだ。お月謝渡した方がいいですよね。七千円でしたか?」

「ああ、そうだよ。でも無理して今渡さなくてもいい」

「大丈夫です。えっと、封筒がないので手渡しになっちゃいますが、すみません……」

 俺が七千円を数えて渡すと、師匠はお札の数を数えて自分の財布の中に仕舞った。

「ありがとう。では、君が影に悩まされないように、また、仕事が出来るようにちゃんと教えるから安心していてくれよ」

「はい。よろしくお願いします!」

 頭を下げる。礼儀というものはどんな時でも必要だと、俺は考える。

「はい。花開院君。ウェルカムドリンクと軽食よ」

 玄米と味噌汁を見て、師匠はこう言う。

「ユウカさん、これ、軽食じゃない。がっつりしたご飯だよ」

「あら? そう? 私にとっては軽食なんだけど」

「それから、食後にハーブティーを」

「わかったわ」

 師匠は手を合わせてから食事をし始めた。俺よりも食べるのが遅く、のんびりと味わって食べているみたいだ。

「ねえねえ花開院君。花開院君の師匠って厳しかったんでしょう? あなたも厳しく教えるの?」

 こんなことをユウカさんが聞く。俺も気になる。

「いや、私はゆるくやらせてもらっているよ。あまり厳しいと最近の子はすぐ折れてしまうからね。ま、スパルタを望んでいるならスパルタでやるけれどもね」

「スパルタも出来るんだって。強君、スパルタでやってもらったら?」

 ユウカさんは冗談っぽく笑って言うから「スパルタはちょっと嫌、かなあ」とだけ答えておいた。

「ほらな。最近の子はこういう子が多いんだよって、強君は私とタメだったな」

「ええ。すみません。打たれ弱くて」

「最初は皆そんなものさ。大事なのはその後どうなっていくかだ。気にすることはない」

 ご飯を食べ終えた師匠は、ウェルカムドリンクとハーブティーを飲んで俺の方を向いた。

「せっかく今日会ったんだ。何か教えてあげよう。気で刀を作ったりとか」

「あ、それ出来ます」

「え。教えてないぞ。というか、本当に出来るのか? 使ったのか?」

「今日、ここでユウカさんについてる影を斬りました。ですよね? ユウカさん」

「ええ。私は見えないけれども、強君が何かを斬るような動きをしたら、私調子悪かったんだけど、とても楽になったのよ」

「……本当に君は、出来るタイプなんだな」

「見様見真似ですけれどもね。これで本当にいいのか、自分ではわからなくて」

「だが、君がやれたことはユウカさんが一番わかっていてくれるよ。周りの人なら、信用出来るだろう」

「本当に助かったのよ。ありがとうね。強君」

 師匠とユウカさんにそう言われ、照れ臭くて笑ったら二人も微笑んだ。この空気が、空間が、俺は好きだ。

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