第9話
カフェに着くと、看板がカフェからバーへと変わっていた。
「さ、入ろうか」
師匠を先頭に、雫さん、俺が店に入った。
「ユイカさんこんばんは。仕事無事に終わったよ」
「あら、そうなの? じゃあお祝いしなくちゃね。今お手洗いに行ってるけど、葛ちゃんも来ているのよ。仲間に入れてあげて」
「ああ、わかりました」
「お通しはオリーブよ。今出すわね」
「ボックス席借りるよ」
「どうぞー」
私達はボックス席に腰を下ろした。
そこへ葛さんがお手洗いから出てきて、「皆一緒なのね。ご一緒してもいいかしら?」と言うから、三人で声を揃える。
「もちろん」
ボックス席は満席になり、ユウカさんはお通しのオリーブを全員分持ってきてくれた。
「はい。どうぞ。料理はどうする? おすすめコースとか、今材料あるから作れるけど」
「じゃあ、それを四人前」と師匠。
「わかったわ。お会計はどうする? 別々?」
「俺が払うよ」
師匠は随分と気前がいいなと思いつつ、オリーブを食べる。
しょっぱくて、美味しい。
「一人一つ、飲み物頼んで頂戴ね。メニューはそこに立てて置いてあるから」
そう言われ、四人で飲み物の一覧を見る。
だが、俺は酒というものを飲んだことがまずないので、どんなものか想像出来ない。
すると葛さんが「このお酒は甘いやつ、こっちは薬草臭い。これは辛い」などと、メニュー表に書いてあるものを一つ一つ教えてくれた。
「とりあえず、甘ものなら何でもいいです」と俺が言うと、続いて葛さんがメニューを決める。
「私はカシスオレンジかな」と
「私はホワイトレディー」と雫さん。
師匠はというと「ジン・トニック」というものを注文した。
先に飲み物が到着し、ユウカさんは料理を作り始める。
「さて、影のことなんだが、葛は聞かなくてもいいからね」
「ああ、大丈夫。聞いてるように見えても、聞いてませんから」
「そうか」
小さな笑いが溢れた。
「じゃあ、今日の影についてだが、相当知能を付けていた。これはわかるね。人を騙すようにもなる。強君はその辺り、よくわかったよな」
「はい……」
「影に痛覚があるかは正直わからない。だが、一般的な下級の影は痛みを感じることすらなく払われたり、斬られたりしているんだ」
「そうなんですかー」雫さんと俺の声が重なった。
「影と言うのは幽霊みたいなものでね、厳密には違うんだが一括りにしてもらっても構わない」
お酒を飲みながら話を聞く。
「君の影、君は気づいていないかもしれないが、この短期間で凄く成長している。もし、味方にするならそれなりの場所を与えてやったり、対等な関係に持って行った方がいいだろう」
「そうですか。……危険、ですかね?」
「私の見たところ、危険かもしれないとは思っている」
それを聞いた影が背後から出てきて「共存! 共存する! 危険じゃない!」と喚きだした。
「強君。覚えておいてほしい。影は嘘を吐くことも覚えるし、騙すことも覚える。だから、信用しすぎてはいけないよ」
「はい」
話がひと段落したところでコース料理が運ばれてきた。まずはカプレーゼ。これは前にも食べたことがある。とても美味しい。
「さあ、皆。食べよう」
「いただきます」四つの声が揃った。
「どうぞ、召し上がれ」 ユウカさんがそう言うと同時に皆食べ始めた。
「やっぱりこのシンプルな味付けがいいな」
師匠のその声に、皆頷いた。
数分もすると皆食べ終わり、次の料理が運ばれてくる。
今度はチキンステーキだ。
「ユウカさん、これ新作?」
雫さんがそう尋ねると、ユウカさんは「ええ、そうよ」と言って次の料理を始めていた。
ナイフとフォークを見様見真似で使って食べる。
甘じょっぱくて美味しい。
「そいえば葛さん、もしかしてこの後お仕事ですか?」
「そうよ。ドレスは店に置いてあるから、向こうで化粧とかしようと思ってね」
「キャバ嬢って大変ですね。お酒飲めなくちゃいけないし」
「あら、そうでもないわよ。自分が飲むんじゃなくて、飲ませればいいんだから」
女子というのは何故こうも話題が尽きないのだろう。不思議だ。
「さて、強君」
「はい。何でしょうか、師匠」
かしこままったような師匠に、俺も背筋を正す。
「今日のような仕事もあるが、それでも退魔師になりたいのか?」
「正直言うと、ちょっとわかりません……。でも、なりとたいという気持ちが強いです」
「そうか、それじゃあ、正式に弟子になってみるかい?」
「え、良いんですか?」
「いいさ。ただし、月謝は貰うよ。命を守る、それだけのことを教えるんだからね」
「わかりました! ありがとうございます!」
こうして俺は師匠の正式な弟子になった。
「はーい。今度はパンよ。オリーブオイルと塩をつけて食べてみてね」
ユウカさんが焼きあがったばかりのパンを大きなバスケットに入れてテーブルの中央に置いた。
「結構な量ですね」俺がそう言うと葛さんは「美味しいから、結構入るのよねー」と言って慣れた手つきでオリーブオイルを小皿に入れて、パンをオリーブオイルにつけて食べ始めた。
俺もそれを真似して食べてみると、意外と美味しかった。オリーブオイルの独特な味がするが、それもまた楽しみの一つだ。
「そういえば葛は最近生活に支障はないかい? 影で困ってることがあったら教えてくれれば何とかするよ」
師匠の優し気な声色に、こちらまで釣られて言いそうになったが、ぐっと堪えた。
「そうですねー、最近は大丈夫ですよ。ありがとうございます」
「そうか。それならいいんだ」
葛さんと師匠の関係は結構ドライなのだろうか。それだけで会話は終わってしまった。
そこへタイミングよくユウカさんがメインのハンバーグを持ってきてくれた。
「手作りハンバーグなの。お口に合うといいのだけれど」
一口大にハンバーグを切って口に入れる。ジューシーで、ソースが何とも言えない美味しさだ。
「ユウカさん。これ凄く美味しいです!」
「そう。それはよかったわ! これ、メニューに加えるか悩んでたんだけれど、入れることにするわ。ありがとうね」
こうして夜は更けていき、俺達は解散した。
俺はとぼとぼと街を歩く。勿論、影が見えないようにチャンネルを変えてからだ。
すると寂し気なネオンが目に付く。どうしようもないような、切ないそんな気持ちになった。
家に帰ると影が見えるようにチャンネルを変え、俺についている影に話しを聞く。
「今日のは巨大すぎ。俺、何も出来なかった」
影までしょぼくれてそんなことを言うものだから、どろりとした影の肩の辺りを叩いて俺はこう言う。
「お互いに、無力だったな」
「俺に、もっと力があればなぁ」
「それは俺のセリフだよ。お前は影だから、そんなに大きな力を持ってはいけないのさ」
多分だけれども、人を騙すようになった影は、今日の影のように、人を騙して誘い出し、ぱくりと食べてしまうのだろう。
「お前を支えられるくらいには、なりたい」
影のその言葉が、耳障りな音だったけれどもとても嬉しかった。
「ありがとうな」
前まで、影に好かれることが嫌だったのに、今は好かれていることが嬉しい。
「俺とお前、友情感じる」
「ああ、そうだな」
影は俺のストレスだとかそういったマイナスの思考や感情をもぐもぐと食べる。
「俺達は、共存できるよな」
俺がそう言うと、影は俺の目の前に来て言う。
「もちろん。お前、面白い。俺、お前好き」
その答えに俺は満足した。
「防護壁の練習しなくていいのか? 今日上手く出来ていなかっただろう」
影に言われて気づく。そうだ。今日は防護壁を張っていたにも関わらず、あの影に騙されてしまった。
もっと壁を厚くして周りの影響を受けないようにして、そして騙されないように目を鍛えなくては。
「俺、手伝ってやる。俺、変化覚えた。防護壁も、目も鍛える練習も、役に立てると思う」
驚いた。本当にこの影は、凄い早さで成長している。
もし、人を騙すようになったらと考えるとぞっとする。
しかしそれとこれとは別問題だ。手伝ってくれるというのなら、手伝ってもらおうじゃないか。
「影、それじゃあ、手伝ってくれ」
「わかった」
「まずは防護壁からだ!」
俺は気を巡らせ、俺の周りだけ防護壁を張った。
「入れるか確認してやる」
影はむにょんと壁を押し、入ろうとする。
なかなか入ってこないものだから、入れないのだろうと思って気持ちが緩むと壁も緩み、影が入って来た。
「これじゃ、ダメ。お前、もっと集中しろ」
影にダメ出しされ、俺は少し落ち込んだ。
「お前のネガティブな感情、美味い」
もぐもぐとまた俺の負の感情を食べる影、そういえば、最初に会った頃よりも大きくなった気がする。
「もう一度、バリアやってみろ。イメージ力だ。イメージ力」
もう一度バリアを張る、影はなんとか入ろうと頑張るが、今度はそう簡単には入れさせまいとこちらも気を緩めなかった。
「オッケー。バリアは大丈夫。今の感じ、忘れるなよ」
「ああ」
「今度は影に飲み込まれた時に正気を保つ練習だ。俺がお前包む。お前、ネガティブに、無気力にならないように身体中に気を巡らせろ」
「わかった」
「いくぞ」
影は俺の頭をすっぽりと覆った。
気持ち悪い。おぞましい。全てのことをやめて消えてしまいたくなる。そんなことを思っていると影が囁く。
「気を巡らせる。これ、大事」
そうだ。そうだった。これは特訓だ。自分で自分の身を守れるようになるんだ!
そう思うと気を身体中に巡らせることが出来、ネガティブな感情から切り離すことが出来た。
「そう。それでいい。この状態を、あと十分程、続ける。お前、死ぬなよ」
「ああ」
影の中は水の中のようなものだ。ごぽごぽと音を立てて息をする。
その間にも、しっかりと取り込まれないように意識を保った。
十分とはどうしてこんにも長いのだろう。暇を弄んでいると、影は「十分経った。気分はどうだ?」と聞いてきた。
「ああ、いつも通りだよ」
「それはいい! お前凄い!」
影に褒められ、嬉しさを感じた。
不思議なものだ。最初は目に見える影全てが気持ち悪く、恐ろしいものだったのに、この影とはいつ間にか共存している。
「お前には友情を感じるよ」
そう言うと影も「俺もそうさ」と答えた。
さあ、お風呂に入ってそろそろ寝よう。
そして俺はお風呂に入り、寝間着を着てベッドに入る。
隣にはちゃっかり影が居座っている。
「俺もお前と同じ。眠る!」
人間臭いな。本当に。
「おやすみ」
影がざらりとした声で言う。俺も「おやすみ」と返して、眠りに就いた。
変な夢を見た。夢で夢だとわかる夢。
俺は影と一緒に光が差し込む扉の前に立っている。しかしそこには鍵が掛かっていて入ることが出来ない。
後ろを振り向くと、地獄の門のようなものが扉を開けて中には影がたくさん入っていた。蠢き、ひしめき合いながら手招きをする。俺は恐ろしくてそちらに行きたくはないのに、俺の影がそっちに向かっていく。
俺は必死になって止めた。
「そっちは危険だ! 戻れ!」
だが影は言うことを聞かない。地獄の門に自ら入り、俺は、その場に立ち尽くしていた。周りを見ても、師匠も雫さんもいなくて、一人きりだった。
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