第8話

「学校だなんてよく学校側が許可出しましたねぇ」

 俺がしみじみと言うと師匠はハンドルを握って運転したままこう言った。

「いや。学校側の許可なんて、そんなものあるわけないじゃないか」

「は?」

 車が左に曲がり、反動で体が右に寄った。

「教員の一人が私の弟子でね、あまりにも酷いからどうにかしてくれって連絡が来たんだ。だから学校側には非公開。見つからない内にやらなくちゃいけないんだよ」

「だったら夜の方がよかったんじゃないですか?」

「夜だと防犯機能で逆に見つかってしまうだろ。昼間が一番」

「先生、意外と大胆なのよね」

「……大丈夫かな」

「人生意外とどうにでもなるさ!」

 前を向くとそこには高校があった。

 車は学校の近くのパーキングエリアに駐車し、俺達は車から降りた。

「よし、皆行くぞ」

「はい」声が二つ、重なった。

 学校の入り口に行くと、若い青年が立っていて、俺達を見つけると「ああ、よかった、来てくれたんですね。先生」と言った。

 どうやらこの人が今回の依頼を出した教師なのだろう。

「やあ雫ちゃん。久しぶり」

「真木さん。お久しぶりでーす。この学校だったんですね。影が酷いところって。私の近所じゃないですかー。やだー」

「嫌だよね。僕も嫌でね、だから今回依頼したんだ」

「じゃあ、やって来ようか。真木。問題の影はどこにいるんだ?」

「学校の屋上です。今は職員会議があるので、こっそり入っちゃってください」

「わかった」

「気をつけて。僕は先生達が無事影を退治出来ることを祈って職員会議に出てますね。終わりそうになったら連絡入れます」

「ああ」

 俺は師匠と雫さんに付いていく。

 師匠は「屋上だから階段上って行けばいいだろ」と大雑把なことを言って、歩いていた。

 二人は意外と足が速い。俺はそんなに遅い方ではないが、二人の速さに付いていくのにやっとだ。

「はあ……」

 息切れがする。心臓の音がうるさい。

「ちょ、ちょっと休憩しませんか」

「え、強さんもうへばったの? 体力なさすぎじゃない?」

「あまり歩いたりしなかったから。すみません……」

「だが、あまりのんびりもしてられないんだ。職員会議なんて一時間もしたら終わってしまうよ。さあ、行こう」

「……はい!」

 息が上がりながらも俺は二人に付いていく。そういえば学校なんて見たことがなかった。少しだけ、周りを見渡すと白い建物で、茶色いのは床とか棚くらいだと気づいた。俺が通っていた学校はどんな学校だったのだろうか。もし、その頃目が見えていたら、普通の学校に行けたのだろうな。

 そんな感傷に浸りながら屋上に辿り着く。

 早速、影の影響が出始めたのか、なんだかマイナス思考になる。急にこの依頼が不安に思えてきてならない。

「師匠。大丈夫でしょうか」

「俺は大丈夫だと踏んでいるよ。さあ、雫も強君も、気を巡らせて、防護壁を作るんだ」

「はい!」重なった声に迷いはなかった。

 ここまで来たら、もうやるしかないだろう。


 屋上へのドアを開ける。ドアはぎぃと嫌な音を立てる。

 屋上に紺色の制服を着た女子高生と思わしき子が柵の外側に立っていた。

「危ない!」

 俺はその子の近くに駆け寄ろうとした。しかし、師匠がそれを止める。

「罠だ。行ってはいけない」

 だが、今まさに女の子が命を絶とうとしいているんだ! 止めなければ!

 俺は師匠の手を振り払って女の子のいる柵に走って行った。

 すると女の子は「来ないで!」と大声で俺に言う。

 よかった。彼女はまだ柵に掴まっている。

「何でこんなことを……」

「皆が私を無視するのよ! あなたには、わからないでしょうね! いじめられる私の気持ちなんて! 物だって置いておけば壊される、破かれる、そしてゴミ箱に捨てられる! 教科書だって切り裂かれて、落書きされて……。こんなに辛いのに親も先生もわかってくれない! 私なんていない方が良いのよ!」

 こんな時、俺はどうしてあげたらいいのかわからなくて、「それは……と」言葉を濁した。

 だが、もし、似たような経験をしていたと知ったら、彼女は考えを改めてくれるかもしれない。そう思って俺は話し始める。

「俺も、似たようなことあったよ。目が、見えなかったから。わざと点字ブロックを塞がれたり、白杖をいたずらに取られてしまったり。視覚障害者だからってだけで差別を受けたことも、ある」

「嘘! あなた今見えてるじゃない!」

「嘘みたいな話かもしれない。だけれど、俺は最近目が見えるようになったばかりなんだ。でもその前は、視覚障害者だった。これは本当だよ。嘘じゃない。辛いこともたくさんあったよ」

「……」

 彼女は耳を傾けようとしてくれていた。だから俺は言う。

「柵の内側へおいで。俺と話そう」

「……うん」

 彼女はがしゃがしゃと音を立てて柵を上り下りし、俺の前へと来てくれた。

「話、聞かせてよね」

 それと同時に、不快な雑音のような声が彼女から発せられる。

「一生、私のお腹の中でね」

 彼女はどろりと姿を変え、大きな影へと変貌した。

「なっ」

 突然のことに対処出来ずにいると、師匠が走ってきて俺を守ろうとバリアを張ってくれた。

「罠だと言っただろう。彼女には影がなかった。彼女こそが影本体だからだ! この馬鹿弟子が!」

「ごめんなさい。だって、自殺すると思ったから」

「だっても謝罪も不要だ! 雫、早くこっちに来い!」

「はーい!」

 雫さんが走ってこちらにやって来る。その背後には影がいた。

「雫さん! 影が!」

「大丈夫! こっちは味方の影だから!」

 何が大丈夫なのだろう。かと思っていたが、そうか、そういえば今日は影と共闘するのだった。だからその味方の影なのだろう。

「随分余裕じゃない。私のこと、もっと心配してもらいたかったのになぁ。残念ね」

 敵の影は上空高くに上がり、急降下する。

 そこへ雫さんの背後から青い影が飛び出し影と影がぶつかり合った。

 敵の影は悔しそうにこう言った。

「お前、影の癖して何故人間の味方をする」

「ここらは私の縄張りなんだよ。突然現れたお前の好きにさせられないのさ」

 影と影はぶつかり合う。何度も、何度も。

「じゃあ、私がここから立ち去るって言ったら、どうなるのかしら!」

「どうもならないさね! だって立ち去る気、全然ないじゃないか! ここらの影と同様に、私の指示に従わないものは、ある程度下級の影なら放置するけれど、あんたレベルだとそうも言ってられないからね!」

 師匠と雫さんが俺に背を向けて、どこから敵が来ても大丈夫なように体勢を整えた。

「俺、行かない。行けない。あいつら、強すぎる」

 俺の影はいつものおちゃらけた言葉ではなく、弱弱しく、ぼそりと呟いて鳴りを潜めた。

 こんな時、俺はどうしたらいいのだろう。

「えーい!」

 雫さんは気を込めた弾を手から放出し、敵に当てた。

「……何をするの! あんたも私をいじめるの! そうなのね!」

 敵の標的が、影から雫さんに変わった。

 俺はいち早くそれに気がつき、雫さんを突き飛ばす。そして俺は影の口の中に入ってしまった。

「強君!」

「強さん!」

 二人の声が微かに聞こえる。

 冷たい。ぬるい。気持ち悪い……。全ての思考が停止に向かう。なんと、心地悪いのだろう。

「強さんを、私の弟弟子を返せー!」

 雫さんの声が聞こえると、影にぽすんと音を立てて弾が入ってきた。

 しかし、俺の周りの闇は消えない。

 こんなにも心地悪いのに、何故だろう。ずっとこのままいてもいいような、そんな気さえする。

「はっ!」

 師匠の声が聞こえたかと思うと、俺は影から引き摺り出された。

「おえっ、うっ……」

 俺は新鮮な空気をたっぷり吸うと、吐き気を催し、その場で蹲ってしまった。

「ごめんね。強さん。私がもっと気をつけていれば」

 雫さんが謝りながら俺を戦いの場から遠ざけるように、背中を支えて歩かせてくれた。

「影って気持ち悪いよね。わかるよ。吐いちゃう? 一応、袋があるけれど」

「大丈夫……、大丈夫です。ありがとう」

「そう? 私は戻るけど、もうしばらく、ここで休んでてね」

 雫さんはそう言って、師匠と影達がいる場所へ向かって行った。

 俺は何と無力なのだろう。嫌になってしまう。

 そんな俺に俺の影が囁く。

「逃げちゃえよう。こんなところ、危ない。お前死ぬ。俺、つまらない」

「死にはしないから、大丈夫。お前も戦えたらなぁ……」

 そんなことを零すと、影は「向き不向きがある」と言って引っ込んでしまった。

 溜め息を吐いて目の前で繰り広げられる影と師匠達の戦いを見る。

 師匠達は退魔師で、凄い人達だ。だが、それだけで普通の人間なのだ。身体能力などが特別高いわけでもない。

 影と影は何度もぶつかり合い、互いを食らい、取り込み、形を変える。

 なんとかこちら側が優勢になると、相手の影はこんなことを言い出した。

「ちょっと待ってよ。私はただ寂しかっただけなのよ。人間が好きなのよお! だから、ね、いいでしょ。今回だけ見逃して!」

 師匠はそれを聞き、首を大きく横に振った。

「それは出来ないよ。君は、あまりにも多くの犠牲者を出した。理由はそれだけで十分だろう? さあ、影よ。こいつを食らっていいよ」

「相分かった」

 味方の影は空を覆うほど大きくなり、敵の影を包み込むようにして食らった。

「やめて! 痛い! やめてえ!」

 影にも痛覚といったものがあるのかと少し驚いた。

 雫さんはそれを聞いて、ぽつりと言う。

「影が痛みを感じるなんて……。じゃあ、私達が今まで斬ったり、払ってきた影達も……。もしかしたら」

 その言葉には、絶望の色が感じられた。

 そうだ。彼女は俺よりも退魔師としての期間が長い分、いろんな影と出会ってきたのだ。それなのに痛覚があるということを今回知ったということは稀なケース、または今までも痛みを感じてきた影がいたのかもしれないが、それに雫さんが気づいていなかったということだ。

 味方の影が徐々に形を変え、男の姿になった。

「これでいいかい?」

 師匠に影が聞く。すると師匠は首を縦に振り、「ああ。ありがとう。これからもこの辺りでああいうのがいたらよろしく頼むよ」と言った。

 「任せておいてほしいねえ。ここらは私の縄張りだからね。また何か用があったら呼んでおくれ」影はそれだけ言うと、霧散した。

 俺についている影が霧散した影の一部をもぐもぐと食べる。

 それを見た師匠が「ああ、食ってしまうのか。君も知能をつけてきたし、そろそろ払うことも考えた方が良いな」と言い、影はびくりと肩の辺りを震わせて「そ、そんなに知能ない! 俺、危険じゃない! 共存! 共存出来る!」と慌てて言っていた。

「とりあえず、これで仕事は終わりですね、先生!」

 雫さんのその声で師匠は「ああ! 終わりだ! 雫にも強君にもいい経験になっていることを祈るよ。さあ、打ち上げにいつものカフェに行こうか」

「もう! ユウカさんに会いたいだけなんでしょー。知ってるんですよ」

 俺は嬉しそうな二人の後ろでしょぼくれた顔をしていたと思う。

 何の役にも立たなかった。何も出来なかった。

「強君。君は退魔師のまだ始まりの一歩目すら歩いていないんだ。何も出来なくて当然だよ」

 肩を軽く叩いてくれた。

 師匠なりの慰め方だろう。ありがたいと思い、それを伝えると「影のこと、もっと知りたいだろ? 打ち上げ、参加するなら教えてあげるよ」と言われたから、打ち上げに参加することにした。

 帰り際、真木さんがやって来て、「退治してくれたんですね! ありがとうございます!」と言って師匠に封筒を渡していた。きっとお金だろう。だが、師匠はそれを受け取らなかった。

「月謝だけで十分だから。これ以上は貰えないよ。それに今回はサービスだから。あのまま放置されていたら危険だった。逆にこちらが感謝したいくらいだよ」

「そうですか? じゃあ、先生。どうもありがとうございました。自分じゃどうにも出来なかったから助かりました」

「ああ、また会おう」

 そしてパーキングエリアに移動し、車に乗り込む。

「いやー、思ったよりも難航したな。それもこれも弟子の強君が、罠だと言ったのにも関わらず突っ走ったからだなあ」

「本当にすみません……」

「今回は運が良かったけれど、下手したら取り込まれて自殺してしまったりするようになるから、今後は気をつけるように」

「わかりました。ありがとうございます」

「二人ともお話終わりました? よーし! それじゃあ、カフェ目指してレッツゴー!」

 雫さんのその一言で、師匠はエンジンを掛け、車を発進させた。

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