第7話

 正午、少し早めだがカフェに入ると俺しか客がいなかった。

「すっかり常連さんね。いらっしゃい、強君。お茶入れてあげるわね。いいハーブティーがあるのよ」

「ありがとうございます。あと、何か軽食をお願いします」

「わかったわ」

 窓の外を見て、今日も影が歩いていることを確認すると、それが日常になりつつあることがわかり、複雑な気分になった。

「さ、ハーブティーとサンドウィッチよ」

「あ、ありがとうございます」

 ユウカさんはお洒落なティーカップにハーブティーを、そしてそのティーカップとセットの皿にサンドウィッチを見栄えよく置いて俺に渡してきた。

「いただきます」

「召し上がれ」

 ハーブティーはすっきりとしたミント味で、後味爽やかだ。サンドウィッチを食べると出来立ての卵のペーストを塗ったもので、甘くて美味しい。

「いやー、ここに来ると美味しいから何でも入っちゃいますね」

「あら、そう? 嬉しいこと言ってくれるじゃない。おまけでカプレーゼ作ってあげちゃう。皆には内緒よ? ふふっ」

「かぷれーぜ? どんな食べ物なんですか?」

「えっとね、モッツァレラチーズとトマトにオリーブオイルを掛けて、塩胡椒を振るだけの簡単なものなんだけど、美味しいのよ」

「へえ、そうなんですか」

 茶色いハーブティー、白いパンに挟まれた野菜達。とても食欲をそそる。

 一口、ぱくりとサンドウィッチを食べる、うん。美味しい。

「はい、カプレーゼよ」

 続いてカプレーゼが出てきた。カプレーゼは白いチーズとトマトが交互にあり、どう食べたらいいのかと考えてしまう。

 するとユウカさんは「トマトとチーズ、一緒に食べると美味しいわよ」と言ってくれたから、その通りに食べた。

「な、何これ! 凄く美味しい!」

 俺は声を上げた。今までこんなもの食べたことがなかった。美味しすぎる。

「気に入っていただけて何より。ほら、早く食べちゃいなさい」

 ユウカさんに促され、サンドウィッチとカプレーゼを食べる。

 食べ終えると何だか物足りなくて、というよりは、もう一度食べたくなってしまった。

「ユウカさん。足りない……」

「食べ過ぎは身体の毒よ。そのくらいにしておきなさい。ハーブティー、今なら丁度飲みやすい温度のはずよ」

「はーい」

 少ししょぼくれながらハーブティーを飲む。食後にミントの味がするのは口がさっぱりしていいいものだ。

「ごちそうさまでした」

 カップをソーサーに置いて頭を下げる。

「お粗末様でした」

 ユウカさんは俺が使った皿などを洗い始めた。

 そこへ来客を告げるベルが鳴った。

「あ、強さんだー! 早いねー!」

 入って来たのは雫さんだった。

「隣失礼するね」

 雫さんが俺の隣に座ると、ユウカさんが「あら、あんた目の下暗いわね。徹夜でもしたの?」と雫さんに言っていた。

「わかる? わかっちゃうよねぇ。お化粧したんだけど、隠しきれてないし。私夜パートに行ってて、ちょっと残業と師匠からの宿題やってたら気が付いたら二時になっちゃってたんだ。起床は五時だったし、隈が出来てもしょうがないのかな」

 疲れているのか、言葉に覇気がなかった。昨日なんかは、もっとはきはき喋っていたと思ったのだが。

「あ、そうだ雫さん」

「ん? どうしたの」

「俺、防護壁作れるようになりました!」

「え? でも私も師匠も教えてないよね? まさか、独学で習得しちゃったの? 凄すぎ……」

「ちょっと今、やってみるからね!」

「やってみて! 見てみたい!」

 気を巡らせ、身体を包み込むイメージをする。そして、それを外側に徐々に膨らませていく。すると俺一人用のバリアが出来た。

「凄い……。ちゃんと出来てる! 私ここまで早く習得出来なかったよ! 強さんは凄いね!」

 褒められてとても嬉しかった。特訓した甲斐があったと、心を躍らせた。

「おい! お前の近くに行けない! 早くそれなくせ!」

 影がそう文句を言う。俺は「わかったわかった」と言って壁を解いた。

「相変わらず、影と仲がいいだね。あ、昨日も聞いたけど、タメでいい?」

「もちろん。俺もタメでいい?」

「いいよ! これから友達になれていったらいいなー」

 にこりと微笑まれ、俺は心が少しときめいた。こんな可愛い表情を浮かべるんだな。

「そういえば影との間に友情はないって初めて会った時に断言したけど、影と協力して戦うこともあるって、師匠が言ってたじゃないか。それってどんな時なんだ?」

「あ、実はね、京子ちゃんへの特訓が終わったら、次の依頼がまさにそれなの。でもね、多分、思ってるのと違うかな……。私もまだそんなに数こなしてないからわからないけれど」

「ふうん。あ、もうすぐ一時だ。京子さんがやって来るね」

「そうだね」

 そんなことを言っていたら店の入り口でカランと音が鳴った。

「雫師匠ー、いますかー?」

  入って来たのは京子さんだった。その服装はセーラー服で、いかにも女子高生らしい。

「京子ちゃん! ちゃんと約束守って来てくれたんだね! 偉い! ありがとう!」

「えへへー。あれ、大先生はまだ来ないの?」

「ちょっと待っててね、連絡入れてみる」

 雫さんはスマートフォンを取り出して、何て画面上をタップする。どうやらメッセージを送っているらしい。

「返信来るまでちょっと待っててねー。あ、そうだ。京子ちゃんも一緒にハーブティー飲もうよ! ここのハーブティー美味しいんだ! ユウカさん! ハーブティー二つください!」

「はあい」

 ユウカさんはカウンター内でハーブティーを入れ始めた。

「十分待って頂戴ね」

「うん。わかりました」

 そう言って雫さんは京子さんの方を向いた。

「じゃあ、昨日のおさらい、出来てるかな? 今、影は見える?」

「今は見えてます。強さんの肩についているものがはっきりと」

「よし。じゃあ昨日やったように影を見えなくしてみよう!」

「はーい!」

 京子さんは集中し始めた。手を組み、頭を垂れ、そしてゆっくりと瞬きをした。

「強さんの影、見える?」

 ゆっくりとこちらを見た京子さんは嬉しそうな表情を浮かべた。

「見えません!」

「やったー! 今度はそれを継続させるんだよ。テレビのチャンネルを変えるようにして、そのチャンネルをずっと見てるようなイメージかな」

「……あ、影、見える」

 京子さんはぽつりと残念そうに呟いた。

「大丈夫。最初は誰だってそんなものなの! もう一回やって、もう少し継続出来るようになろうか!」

「うん! わかりました。雫師匠!」

 ガッツポーズを二人でしていると、ユウカさんがハーブティーを二人の前に出してこう言う。

「あんた達、根詰めすぎ。もっとのんびりやりなさいよ。私は退魔師じゃないし、見えたこともないからわからなけれど、休憩入れないと効率悪いんじゃない? ずっと集中しっぱなしってことでしょう?」

「あ、そうか……。強さんならまだしも、京子さんはまだ昨日始めたばかりだし、チャンネル変えるって意識しないと出来ないよね。ごめんね。気が付かなくて」

「いえ、大丈夫。雫師匠、ありがとう」

 二人はハーブティーを飲み、雑談をしている。

「そういえば強さんってチャンネル変えるの得意みたいですけど、どのくらい掛かったんですか?」

 京子さんがそう聞いてくるから、俺は「一日」とだけ答えておいた。

 そう。頭で視界のチャンネルを変えるのは一日で出来るようになった。他に防護壁を作ったり出来るようになったが、まだまだ退魔師とは言えないだろう。

「一日! 凄いなぁ。雫師匠は?」

「私? 私は三日掛かったよ。だから京子ちゃんは凄いの! 自分で自分を褒めてあげて!」

 そこへぴこんと雫さんのスマホから音が聞こえた。それを見て雫さんがこう言った。

「先生もう来るって」

「今日も大先生来るんだね! 何かコツとか聞けたらいいなぁ」

 するとベルが鳴った。

「遅くなって悪い。前の仕事が難航してな」

 相変わらずマフィアみたいな恰好をしている。これはけなしているのではなく、誉め言葉だ。

「先生遅いですー! もう!」

 少し地団太を踏んだ雫さんを無視して先生は京子さんに聞く。

「京子さんだったね。どうだい。チャンネルを変えられるようになったかな?」

「ええ。大分。でも、すぐ元に戻っちゃうんです……。すぐ、影が見えるようになって。まだ断続的にしか出来ないんですが、どうしたらいいですか?」

 雫さんはそれを聞いて「私に聞いてくれればいいのに」と言って落ち込んでいた。

 京子さんは慌てた様子で「いや、だって凄く喜んでくれたから言いづらいじゃないですか。すみません……」と言って両手をパチンと合わせて謝罪のポーズをした。

「いいのいいの。私より師匠の方が教え方も上手いから……」

 その言葉に、師匠はそれは違うと首を横に振った。

「いいか。あくまでも京子さんは雫の弟子なんだ。師匠が教えてこそだぞ。教えることも覚えていきなさい。まずは最初の頃、私がどうやっていたかを思い出してそれを真似してみるといい」

「え、私が教えるの?」

「そう。それが師匠のやるべきことだ」

 それを聞いた京子さんは「じゃあ、雫師匠! どうしたらずっと継続して出来るようになるのか教えてください!」と雫さんに頭を下げて言っていた。

「そんなかしこまらなくていいよ! じゃあ、教えるね。あっちのボックス席に行こうか」

 と、二人はボックス席に移動した。

 俺と師匠はというと、カウンター席で二人並んで座っていた。

「まず今日は、遅れてしまってすまなかった」

「いえ、大丈夫ですよ」

「それから、今日の仕事は危ない目に遭うと思っておいてくれて構わない、行くか行かないかも君次第だが、どうだろうか。昨日よりも危険かもしれない」

「……それでも、退魔師になるなら、必要なことなんですよね」

「ああ。必要な経験だな。影による被害、見える人は年々増加傾向にあるから、退魔師もそれなりに忙しくてな。君さえよければぜひ経験しておいてほしい。それだけで、自信が付くだろうし、独立した時に役立つこと間違いなしだ」

「わかりました。今日も同行させてください」

「わかった。出来る限り、雫や君に被害が出ないように、私も頑張るよ」

 そう言って使用は被っていた帽子を脱いだ。

「ユウカさん。サラダセットと今日のハーブティー。頼むよ」

「はあい」

 ユウカさんは忙しそうに手を動かしている。

「そういえば師匠、今日は影と共闘するって聞いたんですけれど、どういう依頼なんですか?」

「ああ、それがとても厄介でね。学校に憑りついてしまった影をどうにか説得するなり、斬るなりして退かせないといけないんだ。それで下見に行ったら意外と強大な力を持っていてね、その辺りを縄張りにする影に頼んで一緒に戦って貰うことにしたんだよ」

「そうなんですか。なんか、厄介そうですね」

「厄介も厄介。その問題の影がいるだけで学校の登校拒否の数が膨れ上がり、体調が悪くなる生徒も増え、先生まで休んだりするようになったんだ」

「実害出まくりですね」

「そう。だから、私達が必要とされるんだ」

 そう言いえ終えると、丁度ユウカさんがサラダセットとハーブティーを師匠の目の前に置いた。

「はいこれ。今日はにんじんのドレッシングにしてみたの。美味しいといいのだけれど」

 ユウカさんがそう言って、食べ始めた師匠をじっと見た。

「うん。美味しいよ。ユウカさん」

「そう。よかった。ありがとうね」

 俺は喉が渇いたので、ユウカさんにこう尋ねる。

「ユウカさん。ハーブティーお替り出来ますか?」

 ユウカさんは「ええ、もちろんよ」と言って、俺のティーカップにハーブティーを注いでくれた。

「ちょっと味が濃いかもしれないけれど、ごめんなさいね」

「大丈夫ですよ」

 まずは香りを楽しむ。うん。ミントの爽やかな香りだ。そして飲んでみると、確かに一杯目よりも味が濃かったが飲めない程ではない。

 俺はゆっくりと飲み、師匠は読書を始めた。

 ゆっくりと時間が流れていく。

 そこへ京子さんの「出来た! 出来たよ! 雫師匠!」という大きな声で覆わず振り返る。

「凄い! やったね!」

 二人はぎゅーっとお互い抱き合って喜びを分かち合っていた。

 俺は俺についている影を見ると「友情、いいなー。強、ぎゅってしろ」と言うものだからつい可笑しくて笑ってしまった。

「笑うな!」

 そのコントのような様子に師匠も笑い、俺は仕方がないなと思って影をぎゅっと抱きしめたつもりだったのだが、触れない。文字通り、空気を掴んだ。師匠はそれを見て教えてくれた。

「影に触りたい時は気を巡らせてから触れるんだよ」と。

 そうかと思って気を巡らせてから影を抱き締めてみる。

 どろりと何とも言い難い気持ち悪さ、ひんやりとした冷気があるのに、血液のように温かいところもある。とてもじゃあないが、もう二度と抱く気なんて起きない。

「影、これでいいか? 満足した?」

「満足! お前、今負の感情持っただろう! 美味かった! また抱っこしろよ!」

 影がそう喚くものだから「その内な」とだけ言っておいた。だが、もう二度と抱っこすることはないだろう。何故影というだけであれだけ気持ち悪いのだろうか。不思議でならない。

「本当に……、君の影は人間のように知能があるし人間のようなことを言うのだな」

 師匠は横目で見ながらそう言った。

「珍しいですか?」

「喋ることが出来るという時点で、珍しいものと思ってくれて構わないよ。ほとんどが喋ることすら出来ない、負の感情を食べるだけの存在なんだ。自我が芽生えるのは相当成長してからでないと出来ないのさ。私が知っている限りではね」

 そうか。俺の影はそんなにも珍しい存在なのか。

「お前、大事にしてくれるから好き。退魔師になっても手助けしてやる。どうだ。嬉しいだろう」

「ああ。嬉しい嬉しい」

 適当に相槌を打っていただけだというのに、影は自慢げに胸の辺りを反らせた。

 師匠はそれを見てくすりと笑っていたが、目が笑っていなかった。

 そうだ。忘れてはいけない。影とは人間を食い物にするものだ。その内、この影も人を騙すことを覚えてしまうだろう。だが、どうにか、共存出来たら、その方が良い。

「さあ、訓練は終わったかな。雫?」

 師匠がそう言うと、雫さんは「はい! 京子ちゃん凄いんですよ! 二日目だというのに、もう見えなくするコツを身に着けつつあるんです!」

「それは凄いな。京子さん。うちの弟子はちゃんと師匠としてやっているかい?」

「はい! 優しいし、フレンドリーだし、私も早く師匠みたいになりたいです!」

「それってどのくらいのことを言っている?」

「どのくらいって?」

 京子さんは不思議そうに首を傾げる。

「影を目にしない生活だけ出来ていればいいのか。影を退治したりする退魔師になるのか。弟子を取れるくらいまでになるのか。そういう目標は持っているかい?」

「え……」

 京子さんは黙り込んでしまった。

「それによっても私達の時間の取り方も違うし、教え方も変わってくる。また明日、特訓するから、それまでに考えておいで」

「わかりました。では、今日はこれで失礼します。雫師匠! また明日!」

「うん。京子ちゃん。また明日ねー! 同じ時間に来てくれればいいから!」

「はーい!」

 ベルが鳴り、ドアが閉まった。

「あ、あの。少し気になってたことなんですが、師匠、聞いてもいいですか?」

「ああ、いいよ」

「お月謝とか、やっぱり必要ですか?」

「……正直、影が見えなくなるまでは貰わないんだが、君みたいに退魔師になりたいんだったら、貰うことにしているよ。雫も払っている」

「そうなんですね。わかりました。おいくらなんですか?」

「月七千円頂戴しているよ。他にも弟子がいてね。皆同じ金額さ」

「あ、僕、今お金あるから渡します!」

 鞄をがさごそとして財布を探していると、師匠が「いや、まだ君は大丈夫」と言って止めた。

 財布を見つけ、財布を持ったまま師匠に「なんでですか?」と聞いた。

「まだ君は仕事を全て見たわけではないし、なりたいと確定させていても、もしかしたら途中で嫌になるかもしれない。私はひと月くらい、様子見してもらうことにして、それから貰っているんだ。どうだろう。君も、もう少し考えてみては」

「……でも、退魔師になりたいんです」

「では退魔師としての力の付け方とかも教えながら様子を見よう。それで嫌になったらやめてくれて構わない。その間月謝も貰わない。その代わり、退魔師になると絶対的な意思を持ったら月謝を貰うようにする。それでどうだろう」

「わかりました。それでお願いします」

 何と良い人なんだろう。俺は感動した。こんなにも出来た人がいるだろうか。この人の弟子になれてよかった。

「そういえば師匠、次の仕事があるんじゃなかったでしたっけ」

「ああ、そうだった。強君、雫、行こうか」

「はーい」二つの声が重なった。

「はいはい。行くのは良いんだけれど、こちらのお勘定、忘れないでね!」

 お会計を済ませ、ユウカさんが「いってらっしゃい。頑張ってね」という声を背に、俺達は歩き始めた。

「学校って、どこの学校なんですか?」

「車で移動するよ。隣町にあるんだ」

「そうなんですか」

 雫さんが俺に「今度は後部座席、私が乗るからね!」と言って肩をぽんと叩いてきた。

「ありがとう」

 そう言うと照れたように「にぇへへ」とよくわからない言葉を発していた。

 駐車場にはシルビアがある。師匠の車は見た目は格好いいが、乗り心地はそうでもない。特に後部座席は酷いと昨日学んだ。

 師匠が車の鍵を開け、俺達は車に乗り込む。

「先生、次の車はもっと乗り降りしやすいのにしましょうよー」

 雫さんが後部座席から運転席の師匠に向かってそう話しかけた。

「俺の夢にケチつけるな。好きなんだからしかたないだろう。それもこのシルビアはオープンカーにもなるんだぞ」

「え? それは初耳! オープンカーにしましょうよ!」

「そうだな!」

 師匠は嬉しそうに上についている金具を外した。

「強君側のは、私は届かないから強君、金具を外してくれないか」

「わかりました」

 金具を外す。すると師匠は車をオープンカーにした。

 天井が徐々に後ろにいくのが見えた時、年甲斐もなく少し興奮した。

「さあ、行こうか!」

 車は音を立てて発進した。

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