第5話
次の日、朝ご飯を食べて午後になるまでごろごろとベッドで寝転がっていた。
影は「なあ、やめない? 行くの」と言うから、俺は断固として「絶対行く」と言っておいた。
午後になると影は諦めたのか、俺の肩に付いて一緒に出掛けた。
街の様子はすっかり変わってしまっていた。街中黒い靄で暗い。空にすら影がいる。俺は逃げるようにして、貰った地図にある場所を目指した。
影は「俺、いるから大丈夫。あまり急ぐと転ぶぞ」と言っていたが、そんなの信用出来るものか。
地図に載っていたところに着くと、そこはカフェだった。
扉に手をかけ、ゆっくりと回す。
「こんにちはー」
カランカランとベルが鳴った。
「あーら、いらっしゃい」
店員と思わしき男の人? が現れた。何故疑問形なのかというと、髪が長く、筋肉質で、ドレスを着てハイヒールを履いた男だったからだ。
「あ、あの、退魔師の雫さんという方に紹介いただいたんですけれど……」
「あらーん。雫ちゃんの紹介ね! じゃあ、カウンター席どうぞ! まだ時間早いから、紅茶でも出しましょうかねぇ」
カウンター席に座ると棚にボトルがたくさん置いてあることに気がつく。ここはカフェのはずなのだが……。
俺の視線に気づいたのか、店員と思わしき男の人は「ああ、ここは昼間はカフェ、夜はバーなのよ」と教えてくれた。
「はい。お紅茶。まずは自己紹介ね。私、レディーユウカ。気軽にユウカさんって呼んでね」
「ユウカさん……。あの、ユウカさんも影とか見えるんですか?」
ユウカさんは大きな声で笑った。
「私は何も見えないのよ。交流の場所を提供してるってだけでね。でもそうねえ、何人ものお客様を相手にしてきたからわかるんだけど、あなた最近疲れてるでしょ」
「え、はい」
「だと思った。この紅茶ね、カフェインレスで身体にとっても優しいの。温かい内に飲んでね」
ウインクを投げられた。
影はユウカさんが苦手なのか、いつもは肩で前のめりになってるのに、今は首の後ろに回っている。
紅茶を飲もうと香りを嗅ぐ。花だろうか。とてもいい香りがした。
「いただきます」
こくりと一口飲むと、口の中いっぱいに紅茶の味が広がった。砂糖を入れていないのに甘みがあって、優しい。まるでハーブティーだ。いや、もしかしたらハーブティーなのかもしれない。
「ユウカさん、これ、凄く美味しいです」
「あら、よかった。今日は初回だから料金はサービスしてあげる」
そうか。そういえばここはカフェだった。お金を払わねば。
そこへカランカランとドアのベルが鳴った。入って来たのは色っぽい女性だった。
「ユウカさん、こんにちは。ミルクティーお願い出来る?」
「勿論よ。さあ、カウンター席にどうぞ」
女性は俺の隣に座った。
「初めて見る顔ね」
女性は俺を一目見て、それだけ言うと手を組んで注文したミルクティーを待っている。
「彼ね、雫ちゃんの紹介なのよ。はい。ミルクティー」
ユウカさんは女性にミルクティーを差し出した。
「雫の? ということは、私と同じなのね」
女性は俺を横目で見ながらミルクティーを飲んだ。
「え、もしかして、あなたも」
俺がそう言うと女性はティーカップを置いて、こちらに椅子事身体をこちらに向けた。
「私、葛。柊葛」
じっと俺を見る。
「本当ね。あなた、影が見えるのね。目が金色だもの。私も見えるのよ」
くるりと椅子を回転させ、葛さんはカウンターの方に身体を向けた。顔は俺の方を向いている。
「あの、俺は川崎強って言います。目が悪かったんですけど、急に見えるようになって、影が見えて凄く怖かったんです」
俺は何を言っているのだろう。初対面の人に。
葛さんはミルクティーを飲み干して俺に言葉をかける。
「私は元々目は見えてたのよ。でも影を見るようになったのは中学生の時。一番多感な時期でしょ? 精神科に行っても薬を飲んでもよくならなくて、どうしようってなった時、雫に紹介してもらった退魔師のある人に助けてもらったのよ。大丈夫。あなたも影を気にしなくなる日がやって来るわ」
「そうなんですか……」
ベルが鳴った。
「あ! 強さん、来てくれたんですね!」
雫さんがカフェにやって来た。
「昨日はどうも。俺でも退魔師ってなれるんですか?」
「あはは。なれますよ! もうすぐ私の師匠も来ますから!」
雫さんは葛さんに気がつくと「葛さん! 最近調子どうですかー?」と気さくに話しかけていた。
「そうね。最近お酒飲んでるから、お腹がたぷんたぷんになっちゃって困ってるのよ」
「葛さんキャバ嬢ですもんね。運動とかストレッチ、してるんですか?」
「そりゃするわよ。お客を掴まえておかないといけないものね。それよりほら、川崎君に自己紹介とかしたの?」
「いけない! 忘れてた!」
雫さんは葛さんの隣に座ろうとしたが、葛さんが「私がこっちの方がいいわよね」と言って席を移動してくれた。
「葛さんありがとう」
葛さんは「いいのいいの」と言って、ユウカさんと話し始めた。
「改めまして、星野雫です。退魔師やっています。普段は影を見ないようにしているので、今川崎さんに影が付いているかは見ようとしなければ見えません。でも、きっと連れて来てますよね?」
「はい。今も俺の首にいます」
「どうします? 斬っちゃったり、払っちゃったり出来ますけど」
それを聞いた影は騒ぎ出した。
「俺がいなかったら、お前、もっといろんな影寄ってくる! 消えたくない! 断れ! 断れ!」
あまりに必死なものだから、ついくすりと笑ってしまった。それを雫さんが不思議そうな顔をして見ている。
「ああ、ごめんなさい。影が、俺がいなかったらもっといろんな影が寄ってくる。断れって必死なんですよ」
「影との友情なんて聞いたことないんだけどなぁ……。でも、それも一理ありますよね。影って一応美意識とかあって、一人につき一つの影が担当する、みたいなところもあるんですよ」
「へえ、知らなかった」
「じゃあ、影はそのままにしておきますか」
「はい」
すると影は先程までの態度と打って変わって嬉しそうに笑って雑音のような声を張り上げる。
「この退魔師良いやつ! お前と俺友達! だからこの退魔師とも友達!」
俺はあまりにも楽しそうな影に釣られて笑った。
その様子を見た雫さんはふふっと声に出して笑った。
「今度は影、何と言っているのですか?」
「俺と友達だから、雫さんとも友達って言ってます」
でも、その言葉に対して雫さんはふと表情がなくなった。
「随分と知能があるんですね……」
しかし、すぐに笑みを浮かべて俺に話しかける。
「そうだ。私も川崎さんのこと知りたいな! そうだ。私に質問とかあったら遠慮なくどうぞ!」
「そうですね。では、俺も自己紹介をします」
そう言うと葛さんとユウカさんもこちらを見ていた。
「川崎強です。性別は見ての通り男。元々は目が見えなかったのですが、最近になって見えるようになりました。その代わり、影も見えるようになって……。クリアな視界に感動したものの、影に悩まされるとは思いもしなかったので、ちょっと戸惑っています。ついでに彼女募集中です。よろしくお願いします」
三人が拍手をしてくれた。なんだか気恥ずかしい。
「私も彼氏募集中なんですよ!」と雫さんが言うと、葛さんが「私も」と言い、ユウカさんまで「私もよー。どこかにいい男いないかしらねぇ」と言った。
「ユウカさん、川崎さんを彼氏にしたらどうですか?」なんて雫さんが冗談を言う。やめてほしい。
「強君は息子みたいに思えちゃうから彼氏には出来ないわあ」
ほっと一安心した。
そこへ、ドアのベルが鳴り、誰かが入って来た。
黒いコートに黒いスーツ、黒い帽子。まるでマフィアのような出で立ちの男に、俺は少し驚いてしまった。
雫さんが「先生! いらっしゃい! 待ってたんですよ!」と男に駆け寄った。
「雫、待たせたね。葛、ユウカさん、お久しぶり」
葛さんは「お久しぶりです。その節はお世話になりました」と頭を下げ、ユウカさんは「もっと来て頂戴よー。あなたの分のボトル、全然減らないじゃない」と言いながらカウンター席に紅茶を置いた。
「君が、雫から聞いた川崎強君だね」
「はい。そうです」
威圧感を感じた。きっとこの人は修羅場を潜って来た人だと、心で感じた。そして、雫さんが先生と呼んでいたから、きっと師匠とはこの人のことだろう。
「ふむ。君には影が付いているね。どうだい? 仲はいいのか?」
「仲がいいかはわからないですけれど、最初程嫌いではないですね」
影はすっかり黙り込んでしまった。きっとこの人なら自分を払われてまうかもしれないと考えたのかもしれない。
「いいかい。共存することはいい。だが、友情などというものはまずないものだと考えてくれ。影というものは醜いものだ。人間の負の感情を餌に、どんどん大きくなって、増えていく。もし、友情を感じているのなら無情のように思うかもしれないが、それは友情ではないよ」
そうか。そうだった。影との友情なんて、ないんだ。雫さんも昨日言ってたじゃないか。友情とか言い出したら注意しろと……。
「それはそうと、君は影を多く見ていて疲れただろう。まずは影が見えなくなる訓練をしようか」
「見えなくすること、出来るんですか?」
「出来るとも。君は元々視力がなかったと雫から聞いている。だから余計に見えてしまうのかもしれないな。でも安心してほしい。絶対、私生活に影響が出ないようになる」
「ありがとうございます! お願いします!」
「ああ、申し遅れた。私は退魔師の花開院陽介。普段は普通のサラリーマンをしているよ。よろしく」
花開院さんは手を差し出した。きっと握手なのだろうと思って、「こちらこそよろしくお願いします」と言って手を握った。
すると不思議なことに今まで見えていた影が見えなくなり、声も聞こえなくなった。
「花開院さん、これって……」
「私の気を送っただけだよ。視界も聴覚もクリアになっただろ。これが本来君がいる世界なんだ」
「凄い……!」
俺は周りを見渡した。窓の外にも今までなら見えていたであろう影が見えなくなっていた。俺に付いているはずの影の声も姿も、聞こえないし見えない。
こんなにも、世界が美しいだなんて、目が見えるようになってすぐの頃と同じくらいの感動を覚えた。
「君もいつもこうなっているように出来るようになるよ。退魔師になるかならないかはまだ考えなくていい。とりあえずは今まで害を成してきた現象を対処しよう」
そして花開院さんは「ユウカさん。テーブル席借りるよ」と言って、俺の手を引いてテーブル席に移った。向かい合わせに座り、花開院さんはじっと俺を見た。
「君に付いている影は、知能をつけているね。これは不味いな。本当は払ってしまいたいが、まあ、いいだろう。さあ、早速訓練しようか」
「訓練って、何をするんですか?」
「主にイメージ力を訓練するんだよ。じゃあ、簡単なものからやってみようか。頭の中に林檎を思い浮かべて」
「はい」
「そしたらその林檎の皮を好きなように剥いてくれ」
「……はい」
「そして切って、お皿に並べる」
「……はい。並べました」
「ということを、これから繰り返しやっていく」
「あの、これには一体どんな意味が?」
「影はね、イメージ力がないと見えない。さらに言ってしまうとイメージ力を制御出来ないと、見えてしまう。だからイメージ力を鍛えることによって、テレビのチャンネルを変えるのと同じように影を見えるようにしたり、見えなくしたりすることが出来るようになるんだ」
「そうなんですか……!」
「そう。簡単だろう?」
「思っていたのと大分違います。凄く簡単です」
俺は恥ずかしながら性根漫画の影響を受けていて、滝行とかをするのかと思っていたのだ。だが、たったこれだけで見えなくなるものならと教わることにした。
「大体三日もあれば出来るようになるから、三日間イメージ力を鍛えよう。……そろそろ、私の送った気が消える時間だ」
ずしり。肩が重くなる。
「見えるか? 見えるか? 俺のこと」
影が相変わらずのざらざらとした不快な雑音めいた声で話しかける。
「ああ、見えるし聞こえるよ」
先程のクリアな視界ではなく、重苦しい影だらけの世界が窓から見える。
「君は影に気に入られているんだね。ますます見逃せないな。まあいい。じゃあまず、先程の影のいない世界を思い浮かべて」
「はい」
影がいなくて、肩や頭も重くなくて、それでいて美しい世界……。
思い浮かべるも、目の前にある現実を見てしまうとどうにも気が滅入ってしまう。
「もう一度、気を送ってあげよう。さあ、手を出して」
手を差し出すと、手を握ってくれた。すると美しい世界が現れる。
「この感覚を忘れないでほしい。これが全ての基本だ。さあ、手を離すよ。また視界が戻るだろうけれど、同じ感覚を思い出してイメージするんだ」
手が離れた瞬間、また世界は元に戻る。
だが、まだ忘れてはいない美しい世界を思い出し、イメージする。
ここは美しい世界。影などいない。聞こえない。光に溢れた世界。
そう思うと本当に一瞬だが、影が見えなくなった。
「今! 一瞬だけど出来ました!」
「おお! 凄いな、強君は! なあ、雫」」
「えー! もう? 私なんて三日掛かったのに!」
葛さんがショックを受けている雫さんに「大丈夫。私なんか一週間掛かったんだから」と慰めていた。
「もう一度やれるかい?」と花開院さんが聞く。俺は「やってみます」と言って、集中する。
目を閉じ、最初に見た美しい世界をイメージする。十分イメージしきったところで、目を開け、周りを見てみる。影はいない。
では、店外はどうだろう。窓の外を見てみる。影の姿はなく、木の緑が青々しく茂っていた。そこへ散歩するおじいさんの姿がある。影は見えない。
最後に自分の肩を見てみる。いつもの影が見えない。重くない。
ああ、なるほど。確かにこれはテレビのチャンネルを変えるのと一緒だ。
影を見るチャンネルと、影のないチャンネルを自由に切り替えるのだ。
「出来ました!」
「よし! 素晴らしい!」
花開院さんは自分のことのように喜んでくれた。
雫さんは「天才だなぁ……、いいなあ……」と言い、葛さんは「凄いわ」と言って拍手してくれた。
花開院さんは「もう君はこれで影に悩まされることはなくなった。でも、一日で出来ても継続しないと出来なくなるから、明日も練習しよう。私も時間を空けておくよ」と言ってくれた。
「はいはーい。皆お疲れ様! 手作りの焼きたてクッキーと紅茶が入ったわよー!」
ユウカさんが俺達に手作りクッキーと紅茶を出してくれた。それを食べて、紅茶を飲んだりしていると誰から始まったのか、雑談の時間になった。
「そういえば葛さんってキャバ嬢なんですか? さっき雫さんが言ってるの、聞こえたんですけれど」
葛さんは手を自分の頬に添えて、ゆっくり瞬きをした。
「ええ、そうよ。これでも今のお店では結構上位の売り上げを維持しているの。でも不規則な生活だし、肌はぼろぼろになるし、お酒でお腹がたぷんたぷんだわで転職考えてるのよねー」
「葛さん色っぽいから、天職だと思うんだけどなー」と雫さんが言うと、葛さんは「ふう。そうなのよ。この美貌を活かさないのは勿体ないのよね」と言ってクッキーを一齧りした。
そこにユウカさんが「羨ましいわー」と、女子会のようなノリで三人が話し始めた。
「強君、君には言わなくちゃいけないことがある。どうして君を雫が尾行までしていたかだ」
「あ、それ凄く気になってました。尾行って聞いたとき凄く怖かったです」
「我々退魔師は、皆突然影が見えたり、生まれつき影が見える者なんだ。でも周りにそんなものが見える者が必ずしもいるわけじゃない。そんな時、影に憑りつかれ、気分がどんどん落ち込んでいったらどうなる?」
「病気になったり、最悪死んじゃいますかね……」
「そう。そこなんだよ。だから我々は自分たちと同じ、金色の目をした者を見つけたらどうしたら見えなくなるか教えてあげたいんだ。強制ではないけれどね」
「それで僕のところに雫さんが来たんですね……。よかった」
「君さえ望むならば、払い方も教えてあげられるよ。そうすれば君に、もしものことがあった時、私達と連絡がつかなくても対処出来るからね」
「それはぜひ教わりたいです」
「じゃあ、明日の訓練の時に一緒に教えてあげよう」
「ありがとうございます」
紅茶を一口飲んだ。乾いた口が、潤った。
「ところで君は退魔師になりたいかい? そもそも退魔師についてあまり知らないんじゃないか?」
「全然わからないです。どんなことをするかにもよりますけど、興味はありますね」
「じゃあ、教えてあげよう。……あっちの女の子達は、女子会やってるからこっちは男子会だな」
「あはは……」
乾いた笑いしか出てこなかった。
「じゃあ、お勉強って程身構えなくてもいいんだけれど、ちょっと説明しよう。退魔師というのは、魔物、まあ……君達で言う影だな。影を退治したり、一時的に取り除いたり、稀に魔物と共闘することもある。依頼は緊急のものが多いし、不規則な生活が中心だ」
「そうなんですか」
「ま、簡単に言えばそんな感じなんだよ。自分で好き勝手して魔物を払ったりするのはおすすめしないけれどな。面倒なことに退魔師にも縄張りみたいなものがあってね。ここらは私が仕切らせてもらっている」
「面倒ですね」
「そう。とても面倒だ。だが、それさえ守れば後は好きに出来るからな。どうだい。退魔師、なってみるかい?」
「ちょっと、考えさせてください」
俺はまだ退魔師になれるかわからない。たった一つの影すら対処出来ないのに、ましてや縄張りがどうとか人間の方にも気を遣うなんてごめんだ。
面倒事は、嫌いなんだ。
「ちょっとー! 強さん! 退魔師なりましょうよー、退魔師ー!」
雫さんが背後から抱き着いてきた。二つのやわらかな膨らみが、背中を押す。
「雫、また雰囲気に酔ったのか?」
花開院さんがそう言うと、雫さんは大きく首を縦に振った。
「えへへー。女子会してる内に楽しくなっちゃって。うざい? うざいよねえ。ごめんねー」
「ほら、雫。男衆は真剣な話してるんだから、こっちに来なさい」
「はーい葛さん」
雰囲気で酔える女の子なんて、おとぎ話のようなものだと思っていたが、本当にいるんだなと、雫さんを見て思った。
「明日、仕事を見に来るといい。雫が主に動くんだ。雫の今の力量も見たいし、どんなことをするかわからない強君にはぴったりだろう」
「はい!」
「ところで強君って、今何歳?」
「二十六ですけれど……」
「私とタメか」
驚いた。このマフィアのような出で立ちの花開院さんは二十六歳だったのか。もっと上だと思っていた。
「悪いな。もう少しというか、もっと下だと思っていた。年齢もわかったことだし、それなりに大人扱いするからな」
「望むところです」
「……君、調子いいね」
花開院さんはくすりと笑った。男の俺が言うのも何だが、色っぽく、欲情を掻き立てられる。花開院さんのその細い骨ばった白い指が、だらりと伸びた前髪を耳に掛ける。指……、その指が、本当に美しかった。
「ん? どうした?」
花開院さんは不思議そうに俺を見た。
「いえ、色っぽいなーって思って……。って、何言ってるんだろう俺は」
「意味不明なことを言うなー。まあ、良いけれど」
花開院さんは帽子を脱いだ。そこには長い髪が一つに結わえられていて、所謂ポニーテールというやつだった。
「ふふ。君、影を見えるようにしてみるといいよ。君の肩に付いてる影が、何か言っているよ」
テレビのチャンネルを変えるように視界を切り替える。
肩にいる影が俺にぎゃーぎゃー喚いていた。
「お前、気持ち、俺、わかる! そんな男より、俺の方が男前! お前、女なら俺に惚れてる!」
本人は必死に話しているが、つい笑えてしまう。そうか、影というのは心が読めるのか。
「そう! 心読める! だからどんな感情を抱いてるか、わかる!」
嬉しくないことがわかってしまった。まさか影は言わないだろうか。花開院さんの指に惚れてただとか。いや、もしかしたら既に……。俺は冷や汗が出た。花開院さんを見るとお腹を抱えて笑っていた。
「面白い! こんなに影と親しくしている人間もいるのだな! 影もユーモアがあって面白い! 君達、漫才師にでもなったらいい! だが、普通の人には影は見えないから一人でやることになるのか。そうかそうか」
ひとしきり笑うと花開院さんはスケジュール帳を見て、「明日の午後三時に、このカフェに集合だ」と言った。
俺は忘れないようにと何か書くものを探したが、見当たらなかったため、紙ナプキンにたまたま持っていたボールペンで「午後三時 カフェ」と書いておいた。
するとそれを見た花開院さんは大笑いし、ユウカさんが「あら、何騒いでるのー? 面白いことがあるなら教えて頂戴よ」と言って笑った。葛さんや雫さんもこちらを見ている。
「いや、何。特にどうという話ではないのだよ。ただ、彼がメモ帳代わりに紙ナプキンを使っただけの話だ」
俺は顔から火が出るかと思った。この人は、人のしたことにそんなに笑えるのかと少し人格を疑った。
「まあ! 言ってくれればメモ帳くらい出したわよー。それにしても真面目ねぇ。普通紙ナプキンなんて思いつかないもの」
「……忘れてください」
俺が意気消沈してそう言うと、俺以外の人は皆笑った。影ですらも笑っている。
「これが恥ずかしいという味! 面白い!」
そんなことを言いながら、俺から出ているであろうもやを口にする影を、俺は許さないと決めた。
「さあさあ、皆何か注文して頂戴! これじゃ貸し切りにした意味がないでしょう? どんどん飲んでね!」
ユウカさんが場の空気を変えてくれたお蔭で、俺は恥ずかしさを持ち越さずに済んだ。
「え、貸し切りなんですか?」
「そう。こういうのは、あまり人に聞かれたりしたくないだろう」
花開院さんは慣れた手つきで煙草を吸い始めた。
「一か八かだったけど、君は来てくれた。それだけで、価値がある。飲み代は気にしないでくれ。私の奢りだ」
「花開院さん……。そんな、悪いですよ」
日本人らしく少し遠慮してみると、肩で影が笑って言う。
「悪いと言いつつ、心では喜んでる! こいつ天邪鬼!」
「う、うるさいっ!」
「はははっ。まあ、君、飲める方ならボトル入れると良いよ。ここは安いから」
ユウカさんはそれを聞いて「ま! 安いのは私の努力のお蔭よ!」と葛さんにカクテルを渡しながら言った。
「強君は何を飲むの? 私が作れるものなら何でも作ってあげるわよ」
ユウカさんがそう言うから、私は「実は……」と切り出した。
「お酒は味とかわからないし、それこそラベルなんて読めないから買わずじまいで、飲んだことないからわからないんです」
そう言うと、雫さんが抱き着いてきた。
「そっかー。よしよし。これから飲んで楽しもう!」
膝に寝転がって来たから、どうしたものかと思っていると、葛さんがやってきて俺から雫さんを引き剥がした。
「雫、またあんた酔っぱらって。お酒も飲んでないのに!」
花開院さんは煙を吐き出して目を伏せる。
「いつものことだから、あまり気にしなくていい。弟子が迷惑掛けて悪いね」
「いえ、別に良いですけど……」
「戸惑いの感情、これもまた、美味い」
影がそんなことを言うものだから、花開院さんはまた低い声で笑った。
「君達には友情のようなものがあるのかな。だが、私は未だ友情を感じる人間と、影の対等な関係というものは見たことがない。もしかしたら、君達が最初のケースになるかもしれないな」
花開院さんはゆるりと脚を組んだ。
「ねえねえ、強君だったかしら。カルーアミルクって飲んでみる気しない? カクテルなんだけど、コーヒーとか好きなら飲めると思うの」
ユウカさんがそう言ってくれたから、俺はそれを注文することにした。折角の奢りだ。精一杯楽しんでやろう。
「じゃあ、それお願いします」
「わかったわー。ちょっと待っててね」
ユウカさんがカウンターでカクテルを作っていると、葛さんがこちらの席の、俺の隣に座った。
「こんばんは。改めまして、強君。あ、さん付けの方が良いのかな。私より年上だものね。強さん。退魔師、今のところなるかどうか考えてるの?」
「俺はもうほとんどなることに決めてるんですけど、明日次第ですねぇ」
「そうよね。実際の体験、見聞きしたものに勝るものはないもの」
「葛さんは、その、あるんですか?」
「何が? ああ、退魔師の仕事? だったら見たことあるわよ。目の前の、花開院さんの仕事をね。雫とは元々友達だったんだけど、その紹介があってね。でも私はならないって決めたのよ。だから、この話はもうお仕舞い。ねえ、もっと個人的なこと聞いてもいい?」
「え、いいですよ。何ですか?」
膝の上に手を置かれる。細くて、柔らかな白い女性の手。
「私、キャバ嬢やってるから、よかったら来て。これ名刺ね」
そう言って葛さんは俺のワイシャツの胸ポケットに名刺を入れ、視線を合わせてふわりと微笑んだ。
ほわほわとした、不思議な気持ちになった。まるで恋の魔法に掛かったかのようだ。人の笑顔とは、何て魅力的なのだろう。目が見えるようになって良かったのかもしれない。
「葛さん、やるー! 男の扱いに手慣れてるね!」
「雫の天然程じゃないわよ」
「えへへー」
俺はこっそりと花開院さんに耳打ちをする。
「あの二人、実は付き合ってるとかそういうのじゃないですよね? 素であれなんですか?」
「まあな。あの二人はいつもあんな感じだよ」
花開院さんは煙草の吸殻を灰皿に押し付ける。
「はい、カクテル。遅くなっちゃってごめんなさいね。カルーアミルクよ。甘いのが大丈夫なら、美味しいはずよ」
ユウカさんに差し出されたグラスには、白がほとんどで、下に茶色が沈んでいた。
かき混ぜて飲むものかと思って、マドラーを回してから飲むと、甘くてクリーミーで、今まで飲んだことのない美味しさだった。
「ユウカさん、これ凄く美味しいです! 甘いんですね。俺、甘いの好きなので凄く合ってます」
「そう。よかったわ」
上機嫌でカルーアミルクを飲み干すと、花開院さんが「おいおい」と止めに入った。
「酒は飲みすぎると急性アルコール中毒になったりして危ないんだ。ましてや君は今まで飲んだこともなかったんだろう? ゆっくり飲むといい」
「そうですよね。ありがとうございます」
言われた通り、ちびちび飲もうとしたところで、グラスにもうカルーアミルクがないことに気がついた。
「ユウカさん、他にも美味しい甘いお酒があったらお願いしますー!」
「はあい」
何だか気分が良くなってきて、身体が熱く感じる。
「はい、これがカシスオレンジ。大丈夫? 顔真っ赤よ」
「へ? 大丈夫ですよ。心配してくれてありがとうございます」
「そう? それならいいんだけれど」
「ユウカさん、彼にはあまり飲ませすぎないように。あと、水もお願いします」
花開院さんがそう言うと、ユウカさんは頷き、カウンター内へ入って行った。
「葛さんと雫さんもこっちの席に来ませんか?」
俺は少し気が大きくなっていたのか、そんなことを言ってしまった。言ってからしまったと思ったが、それはもう後の祭りだ。
「いいですよー。葛さん行きましょうー!」
「雫ってば、本当に雰囲気に酔うのが得意ね。まだカクテルも飲んでないじゃない」
そう言いながら二人は俺と花開院さんの席の隣に座った。これでボックス席は満員だ。
「はーい! 私、星野雫! ぴっちぴちの十八歳です!」
見え透いた嘘をさらっと言う雫さんに、俺は少し驚きを隠せなかった。
「ばーか。十八ならユウカさんがバーの時間に、ここに居させるわけがないでしょう。本当はこの子、私と一緒で二十四なの。社会出たてと言えば、そうなんだけど。私はね、目が見えるようになってからキャバ嬢やり始めたから、雫より社会経験豊富なの」
「はい! 次は私の師匠こと、先生! 自己紹介お願いします! 今一番謎な人になってるはずです」
「一人だけ自己紹介しないというのも、な。花開院陽介。退魔師。昼はサラリーマンで、夜とか休日は退魔師のはずだった。最近まではメインがサラリーマンのはずだったんだが、馬鹿弟子を持ったがために今は退魔師の仕事の方が多いくらいだな」
「先生ごめんなさーい。わざとじゃないんです」
「いつもお前は詰めが甘いんだ。って、酔っ払ってる時に言っても言わなくても一緒か。毎回同じこと言ってるのにそれでも直らないからな」
「えへへー。そうでーす」
「大体お前は……」と、花開院さんと雫さんが二人で話し始めた。
相手がいない俺は少し寂しさを感じ、勇気を出して葛さんに声を掛けた。
「葛さん、目が見えた時って、やっぱり嬉しかったですか? 俺は嬉しかったんだけれど」
「え? 私? 私はねぇ、怖かった」
「怖かった?」
「今まで見えなかったものが見える恐怖、感じたことない? 嬉しさでわからなかったの? 今までのなかったことが、突然あるという恐怖。それは言葉に出来ない程の、恐ろしさだった……」
葛さんは手をぐっと握って開いた。
「でもね、雫という友達もいたし、その時お世話になった退魔師の人にも恵まれてたしで、私は大丈夫だった。きっとあなたも、大丈夫。だって私達に出会えたじゃない」
目尻を下げて微笑む葛さんに、言葉が出なかった。
「はい、お待たせ。カシスオレンジよ」
ユウカさんはタイミングを見てカクテルを持ってきてくれた。
ここの人達は、優しい人達なんだろうと、自分に言い聞かせる。もし、万が一、騙されるようなことがあったとしても、優しい人達で終わらせられたら、幸せだからだ。
「お前、幸せと不幸せ、両方出てる。俺、不幸せ食う。幸せは、他のやつにやる」
忘れていた影という存在が、突然そんなことを言って俺はびくりと肩を震わせた。
「ん? 強君、何か気に障ったか?」
花開院さんがそう聞くから、何故だか知らないけれど、安心したのか涙がぽろぽろと零れ落ちた。
「いえ、何でもないんです。何でも……」
自分の愚かな心も、寂しさも、不安も、この涙に込めてしまいたい。
「あー、私も突然涙零れることありますよ。そんな時はねえ、ユウカさーん!」
雫さんが突然カウンター内で煙草を吸っていたユウカさんを呼んだ。ユウカさんは煙草を灰皿に置き、こちらの席にやって来る。
「どうしたの?」
「強君が、私と同じで涙が出ちゃったんだって! ぎゅっとしてあげて!」
「なるほど。任せて!」
隣の葛さんが立って、隣にユウカさんが来る。
そしてその大きな身体と筋肉のありそうな腕でぎゅっと優しく抱きしめられた。
普通なら嫌がるかもしれない。男に抱かれても嬉しくないと思うだろう。だが、俺は何故だか、ユウカさんが聖母のように感じた。
ぽろぽろとまた涙が零れ落ちる。
「大丈夫よ。大丈夫。いい子ね。あなたは本当にいい子」
ゆっくり囁いてくれるユウカさんに、益々涙が溢れ、ダムが決壊したかのようになった。
涙が引っ込むまでユウカさんはずっと優しく抱きしめて、頭を撫でてくれた。
「どう? もう大丈夫?」
「はい。ありがとうございました……」
またも皆の前で醜態を晒してしまったと思い、恥ずかしさが胸を占めた。
だが、ユウカさんがこう言う。
「いいのよ。たまにいるの。あなた、人との触れ合い、あまりなかったんじゃない? だから、今涙が流れるのよ。もし、またしてほしくなったら言ってね。私はいつでもオッケーよ」
「ありがとうございます。ママ……」
「ま! ママなんて。私はレディーよ。まだミセスにはなるつもりありません!」
「そういう意味じゃないんだけれどなー」
「う、そ。知ってるわよ。ふふ。ママと呼ばれるのも、案外悪くないわね」
「レディーユウカ! 私も! 私も!」
雫さんがユウカさんに近寄り抱っこをせがむ。
「はいはい」
ユウカさんは雫さんを所謂お姫様抱っこして、雫さんはユウカさんの首にがっしりと掴まっていた。
「雫ちゃんはいい子よ。とってもいい子。大丈夫。何でも上手くいく」
そんな声が聞こえてきた。次第に鼻を啜る音や、何か言っている声まで聞こえるようになった。
何を言っているのかは、きっと本人とユウカさんしか知らないだろうけれど、ユウカさんの並々ならぬ包容力に、身体を預けたくなるのはよくわかる。
しばらくすると雫さんは抱っこから降りて、ボックス席に戻って来た。
「あまりユウカさんを困らせるんじゃないよ」
「……わかってます。先生に言われなくても、そこそこしか困らせません!」
「お。いつもの雫だな」
隣の葛がちょいちょいと俺の袖を引いた。
「あのね、レディーユウカにああやって抱っこをしてもらうのは何人もいるのよ。凄い包容力よね。私も見習って仕事に活かしたいわ」
その目はきらきらとしていて、憧れや希望、理想の色を浮かべていた。
「あ、ねえ。もう晩ご飯の時間よ。何食べたい?」
ユウカさんがそう言うと、花開院さんが一言「ユウカさんの食べたいもの」と言った。
「もう! 意地悪ね! いいわよ! 自分の分も作っちゃうんだから!」
そしてユウカさんは調理を始めた。
しばらくして出てきたのはお米と野菜を炒めたものだった。これを何と呼ぶのか、俺は知らない。
雫さんが「あ、そうか!」と言ってお皿の上のものを指差した。
「これはピラフ! 美味しいよ!」
「そっか。私も最初は見えなかったから見えるようになってもどれが何なのかわからなかったや」
葛さんが納得した表情を浮かべた。
そう。俺はまだ見えるようになって日が浅い。だから何が何なのか理解出来ない。言われて初めて気がつくのだ。
そして俺達は晩ご飯のピラフを食べて、また飲み始めた。
「ねえねえ、強さんはさー、影見て怖いんでしょー? なのにどうしてこの肩に付いてるやつは大丈夫なの?」
「え……。そんなこと、考えたこともなかった。でも、好きでも嫌いでもない。共存したいって、それだけで」
「ふうん。だそうですよ、先生!」
「私は共存の道に賛成も反対もしないよ。ただ、知能をつけてきているから、今に人間を騙すことも覚えるだろう。そうしたら、私は放っておくことが出来ない」
「……わかりました」
「影も、わかったね。騙すようになったら、私は容赦なくお前を切り裂く」
「俺、お前嫌い。仲間斬る。仲間消える」
影はそう言って舌を出した。あっかんべーのつもりだろうか。
もう暗くなったなと窓の外を見ると、そこには無数の人の顔をした影がこちらを覗いていた。
「ひっ」
思わず声が上擦る。
花開院さんは目を細めてそれを見ると「ついでだから、どうやって斬るか見せよう」と言って窓を開けた。
「イメージ力は最大の武器だ。気を巡らせてよく見るんだ。私の手元に、刀があるだろう」
よく目を凝らして見てみると、半透明だったが刀が見えた。
「そして相手を斬るイメージを膨らませ、斬る!」
花開院さんが大きく腕を振ると刀が影を切り裂いた。
影は靄となり、散り、消えてしまった。
「こういうことを、退魔師はやっていくんだよ。さっきのはレベルが低いやつだったから、攻撃を防いだりとかは出来なかったから、ラッキーだったね」
凄い。この人は、こういうことをやっているんだ。
退魔師になりたい。その気持ちが、想いが、より強くなった瞬間だった。
「さあ、そろそろお店から出よう。もう深夜だ」
いつの間にか時間が経っていた。
お店を出ると昼間の温かな雰囲気ではなく、ネオンのぎらついた騒がしさと共に切なさを伴った何とも言えない街に変わっていた。
夜になると影は活発になるのか、昼間よりも多く街で見かける。
「強君。チャンネル変えておいた方が良いよ。影のね。君にはいい影響にならないから」
「……はい」
影が見えなくなるイメージをする。ゆっくりと瞬きをするとそこに不自然な影の存在はない。
「それじゃあまた明日、午後一時にここで」
あ、そうだ。紙ナプキンをポケットに入れただろうかと確認すると、無事見つかってほっとした。きっとこれは、他の人が見ても意味が伝わらないだろう。なぜならば、点字だからだ。
「あんた達、気をつけなさいよ。特に花開院さんと葛ちゃんはともかく、雫ちゃんと強君ね。夜の街なんてあんまり来ないでしょう。そこら中悪い大人だらけよ」
「わかりました」
「はーい! 了解です!」
俺達は元気に返事をした。これが酔っ払ってるという状態なのだろううか。妙に心地いい。
「では、解散!」
花開院さんの言葉で、皆それぞれ帰路に就いた。
帰る途中、何人もの男や女に「お安くしますのでー」などと言われ、店に引っ張られそうになったがどうにか家まで無事辿り着くことが出来た。下手したら影よりも厄介だったかもしれない。
健常者というものは大変なのだなとも思った。今まで視覚障害者だったから声を掛けられることもなかったし、そもそも街を歩くということ自体、あまりなかったのだから。
これを毎日のように繰り返す人々は、一体どれだけいるのだろうかとふと思った。
家へ着くと暗い玄関が俺を迎える。鍵を開け、中に入って灯りを点けると白や、木を基調にしたインテリアに凝った部屋が、明るくなり、見えるようになった。
「ただいま」
誰もいないが、そう言ってソファーに身体を投げ出した。
ぽすんと弾力があり、ソファーが音を立てる。
テレビを点けようと思って、テレビを見てみるとそこには壊れたテレビがあった。そうか。ニュースキャスターから出る影が嫌で、壊したのだった。
壊れたテレビを片付け、お風呂に入る。
湯船に浸かりながら今日あったことを思い出した。
雫さん、葛さん、ユウカさん、そして花開院さん。
一気に四人の知り合いが出来て、しかも影の話が出来る。特に葛さんは俺と似た感じだったのだろう。退魔師にはならなかったとはいえ、話をするには丁度いい相手だ。
雫さんは年齢よりも幼く、酷く言ってしまえば未成年に見えてしまう。でも、明るくて元気な良い子だ。
ユウカさんの包容力には驚いた。いつか、傷ついた時にでも、もう一度お願いしたいかもしれない。
そして花開院さんは、俺よりも年上に見えるし、何をしても様になる。格好いい人だった。
あの人が、影を斬った時、俺は決めたのだ。退魔師になると。
明日、どんなものを見せられるのだろう。派手な斬り合いとかは……まだないだろう。多分、俺が危険な目に遭うようなことはしないはずだ。
それに雫さんもいるのだから、雫さんのレベルのものだろう。
俺はチャンネルを変え、影を見えるようにする。
肩に付いた影が手を振って俺に囁く。
「お前、退魔師、向いてない。やめておけ」
「うるさい。やると言ったらやるんだ。お前は俺にくっ付いて負の感情さえ食えてればいいんだろ」
「うん……。うん」
影は喋らなくなった。
お風呂から上がり、寝間着に着替えてベッドに入る。
「お前にもいつか名前をやらなくちゃなぁ」
「名前! 欲しい!」
途端に影は元気な声を出すが、耳障りな声はそのままだ。
「また今度な。おやすみ」
俺がそう言うと、影も「おやすみ」と言って眠りに就いた。
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