ときめき
青井 白
好きな人
ときめきという感情は大きな光を見せると同時に、同じ大きさの影も作り出すものだと気がついたのは、高校生の頃だった。
私は高校生の頃、猫背のだらけた華奢な後ろ姿にときめいていた。
好きという感情だったのか今でもわからないけれど、左端の壁に体を預けたその姿を、ホワイトボードを見つめる視線の端で意識していたことは覚えている。
通信制の高校で毎日顔を合わすわけではないからかどこか、他人行儀なそのクラスは静かで小さなお腹の音が響いてしまうような空間だった。
毎回恥ずかしさで顔を赤らめる生徒がいる。
その隣でお腹の音を鳴らさないように止めてきた息を吐く人もいた。
まぁ、この顔を赤らめていたのはだいたい私で、息を吐いていたのは私の友人だったのだけれど。
お腹の音を聞かれたくないあの人に、聞かれてしまったのではとそっとまたその丸まった背中を見る。
その人はいつも一緒にいるアイドルみたいな容姿を持つ人と話していた。
私とは比べ物にならないその容姿に酷く落ち込んだ。私はどう足掻いてもアイドルにはなれないし、あの綺麗な人にしかできない笑い方はできない。
その綺麗な人とかろうじて共通点があるとすればお互いに男女の平均身長よりだいぶ高いということくらいだった。
卑屈な考えが頭を占めて、母が作ってくれるお弁当が灰色がかったように薄暗く見えた。
私はときめくと、鏡を見てしまう。水たまりを、店のガラスを見てしまう。
ときめきを覚えるまでは気にもしない自分の顔を四六時中気にしてしまう。
自分を初めて視認した赤子のように、自分だけれど他人な人の目を見つめる時間が増える。
そうしているうちに、自分が嫌になってしまう。どうせこの容姿なのだからと、落ち込んでしまう。
だから私にとってのときめきは高揚と眩しさを感じると同時に、自身を見つめなくてはいけないものになってしまった。
けれど時間が経つにつれてこのときめきという感情は人に対してだけ、影を作り出すのだとわかってきた。
ある日映画を見て昭和の街並みにときめいた。snsなどでは街並みではなく、男女のラブストーリーがいいと言われていたけれど、私は昭和の街並みの駄菓子屋にある黒電話にときめいた。
なぜだかわからないでも、胸が切ないような、苦しいような、泣きたくなるような感情になった。
当てはまる言葉を探してみるとノスタルジックというらしい。
昭和の時代を生きていないのに、なぜ懐かしいんだろうと少し涙が出た。
それからは下町情緒の溢れる映像作品を見ては、好きなシーンで止めてその中で生活する自分を想像する。
もしくは空想の人物を作り上げて生活をさせてみる。
あの分厚いまな板はどんな音が鳴るのか、カリカリに上がったコロッケはどんな味がするのかと、考えれば楽しかった。ときめいているのに自分を嫌いにはならなかった。
それからは人にときめかないようにしていた。自分が傷つかないように守ることに必死だった。
可愛いと思った人にも、かっこいいと思った人にも一線を引いて、それ以上を見るのはやめた。
けれどパリッとしたスーツを着たサラリーマンが、グラデーションが美しい夕暮れ道をアイス片手に歩いているのを見て、ときめいてしまった。
ある日買い物に向かう途中にすれ違った、大きなランドセルを背負って横揺れしながら歩く兄弟が仲睦まじくて、なんだか羨ましくてときめいてしまった。
私は、あのサラリーマンみたいに心底美味しそうにアイスは食べれない。
私は、兄弟がいないし、小学校はランドセルではなく、黄色いリュックだった。
そしてやっと気がついた、私は自分にないものにときめいている。だからないものねだりで、自分を見つめても同じものは持っていないのだから落ち込んだって仕方がないんだ。
それは必然のことなのかもしれないと、思えるようになった。
それからはときめきに後ろめたさも後悔も感じないようになった。
むしろ取り逃がさないようにメモに書いて残しているくらいだ。
この私の大事な感情、大切な感性を残しておけばきっと生きている意味があるのではないかと思った。
特別なことは何もいらない。ただときめいたことを教えて欲しい。その感情を人に話して共有して欲しい。
小説も書き手の人生が見たくて読んでいるんだ。
私も聡明なアンネ・フランクに習って日記を書こう。
生きていればきっと誰だっていつか立派な本ができる。そう思った。
だからどうか、ときめきを恐れないで自分を恐れないで。過去の私も未来の私も、そしてあなたも。
ときめき 青井 白 @araiyuki
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