第31話

 サンセット連合王国からエルピス島までは、最新鋭の蒸気船を使っても三日以上かかる。

 戦場で剣の訓練をしながら、馬用の船室にもちょくちょく足を運び、マーガレットは愛馬レディスピードスターの白い毛並みを撫でる。

「お前ももう12になるか、人間でいえば50代、父上と同じ年代だな。今までずいぶん苦労を掛けた。此度の戦が終わったら、ゆっくり王家の御用牧場で休むがいい。もう少しだけ、がんばってくれよ。我の我儘に付き合わせてすまんな」

 国境の小さな戦から街中まで、共に過ごした愛馬、その美しい毛並みはどんなに手入れしても、パサつきが目立つようになった。

「お前の毛並みは、デセラも褒めてくれたのにな」


 デセラ近衛隊長とはもう10年近く会っていない、その年、彼が結婚したとマーガレットは高官たちのうわさ話で知った。

「デセラもやるよなぁ、モントラ子爵令嬢、社交界の蘭と呼ばれるサマンサ嬢を射止めるなんてさ」

「まーアイツはモテるからな」


 サマンサ嬢、一度夜会で遭遇し、挨拶されたことがある。まさにあでやかな蘭といった華やかな女性で、マーガレットとは正反対の女性だった。

【デセラにはもう家庭がある。結婚してその年のうちに娘が生まれたとも聞いた。円満なのだろうな。我などお呼びでもないよ】

 それでもマーガレットの胸は、微かにときめいてしまう。

 久しぶりにウイリアムに会える。

 ただそれだけのことで。

 そのときめきを打ち消すように、自らの頬をピシャリと叩く。

【何を考えておるのだ、我が行くのは戦地、恋だ何だじゃない、それも相手は家庭持ちなのだぞ、しっかりしろマーガレット】

 胸の高鳴りを諫めるように、また剣を振るうマーガレット、そして船はエルピス島へとついた。


「よう、嬢ちゃん、じゃあもう失礼だな、マーガレット王太女殿下、到着をお待ちしておりました」

「あぁ、ご苦労」

「姉上―父上が起きたんですってね!」


 出迎えてくれたのは、デセラ近衛隊長と弟のアンリ、少し日に焼けたせいだろうか、心なしかアンリは少したくましくなったように見える。

 そして、デセラは…


【デセラは昔とちっとも変わらんな、いや、昔よりもっと精悍になったかな、これも家庭が…いかんいかん!】


 後ろを向いて、マーガレットはこっそり自分の頬を叩く。


 マーガレットが到着する前に、エルピス島のクーデターはすっかり鎮火していた。

 ピエールとクレールのバスティアン親子が居候する島長の自宅で「いや、しかしエルピス島のやつらってバカですよね、あんな手に引っかかって暴動起こすなんて。あの菓子は父上がこっそり医者の家から持ってきたものなのに」「クレール、バカにしてはいけない、バカだからこそ我々識者が教育してやれねばいかんのだ。革命の礎としてその血を一滴残らず捧げさせるために」そんな会話を、お茶を持って行った島長の娘が聞いてしまったのだ。

 騙されたことに気づいた島人たちはバスティアン親子を拘束しようとしたが、ネズミのようにすばしっこい彼らは危機を察知するとさっさと島長の家の金を盗んで手漕ぎボートで逃げた。

 すぐに、デセラに取り押さえられたのだが。


 そして、マーガレットの到着から二日後、いよいよセプテントゥリオーネスの軍艦がやって来た。

「やぁやぁ、我こそは北の猛将イワン・カクルスキーなり!エルピス島を開放しにまいった!悪名高きサンセット連合王国を叩きのめしその太陽を暮れたままにしてくれようぞ」

「おー!」

 口上は実に仰々しく勇ましくはあったが、ひそませていた患者の連絡ミスか、あるいはクーデターの最中であり与しやすしと思ったのか、その軍艦はとても小さく、軍勢もサンセット連合王国側の半分にも満たず、そして弱かった。

 浜辺から射られた矢によってさらにその数を減らしたセプテントゥリオーネスの軍勢、

 大きな戦から十年以上離れていたためか、兵士たちは岩場に馬で乗りあげてはひとりでにころころと落馬し、まともに戦えるものはほぼいなかった。

「これは一日もかからぬかもしれんな、明日には帰れるぞ」

 そんな油断のせいだろうか、ふらふらとした兵士が射った矢がマーガレットの顔面に向かってきていた。

「危ない、姉上!」

 アンリが剣ではじき返したものの、その矢じりはわずかにその二の腕をかすった。

「ア、 アンリ、血が出ておるではないか、すまない、我のせいで」

「いやいや姉上、ほんのかすり傷ですから」

 しかし、アンリの腕はマーガレットの白布で大げさにつられることとなった。


 戦闘は半日もかからずに終わったが、島民たちのたっての願いでマーガレットたちは数日間島に滞在することとなった。

 セラ女王の横に飾りたいと、島唯一の画家に肖像画も描かせたいと。


「ならば、我だけでなく兵士全員の揃った絵にしてくれ」

 そんなマーガレットの願いで、画家の描いたデッサンのマーガレット当人は豆粒のような大きさになったが。


「終わったのに何で帰れないのです。私はシャーリーの元に飛んで帰りたい、手漕ぎ船でいいから先に帰らせて」

 そうごねるアンリを宥めつつ、数日、デセラとは一言も言葉を交わしていない。

 厩舎でレディスピードスターを撫でてくれたりはしているようだが。

 いよいよ明日島を立つとなった夜、島長の開いた宴会を終えたマーガレットは、夜風にあたろうと出かけた砂浜で、先客に遭遇した。


「やぁ嬢ちゃん、ってすまねぇな、つい昔の癖でな、マーガレット王太女殿下、いい夜風だな」

「いや、今日だけはメグと呼んでくれ、ここには誰もいない。我もウィリーと呼んでいいか?」

「ははっ、無礼講だな、よし、メグ、ははは、娘の名を呼んでるみてぇでてれくせぇな」


 初めてメグと呼んでもらえた。あんなに願っていたことなのに、マーガレットの胸はちくりと痛む。


「娘さんもメグ、マーガレットというのか?」

「あぁ、お前さん、メグから名前をもらってな、マーガレット・デセラさ」


 娘に自分の名をつけてくれた。嬉しいような、切ないような、よくわからない感情でマーガレットの胸は締め付けられる。


「ウィリー、ウイリアム・デセラ!我は貴殿が好きだ。15の少女のころから恋い焦がれておった。セラ女王とビーゲル近衛隊長のように共におりたいと、でも今は違う、マーガレット個人として、貴殿が好きなのだ。共に生きたいと心から願っておるのだ…叶うわけもない愚かな夢だがな…」


 混乱したマーガレットの口からは、思わず本心が飛び出していた。

 意外な言葉に目を丸くしたデセラは、頭をポリポリ掻き照れ臭そうに言葉を発する。


「すまねぇな、メグ、俺はあんたをそんな風に思ったことはなかったんだ。恋だ愛だにはとんと朴念仁でな」

「何を言う、幸せな家庭を築いたのだろう」

「ははは、娘の母親はアイツを生んですぐにどっかに消えちまってな、女心がわからないって愛想をつかされたんだろうな。今は娘と二人のしがねぇやもめ暮らしさ」

「そんな…」


 マーガレットは知る由もないことだったが、デセラの元妻のサマンサは公演に来ていたフリフワ共和国のバレエダンサーと道ならぬ恋に落ち、子供を身ごもった。元々の知り合いである彼女に相談されたデセラは、その境遇に同情し結婚したのだ。しかし、出産すると彼女はすぐにフリフワ王国へと出奔した。生まれたばかりの赤子を置いて。


「だからな、今の俺はお前さんの気持ちに応えられるようなそんな状況じゃねぇのさ、まーこんな格好のいい大人のいい女に育ったメグに打ち明けられてついドギマギしちまったがな。まぁ俺はさておきメグがそんな気持ちになれたのは良かったよ。いいか、国に人生を捧げるな、きちんと自分の人生も生きろ、欲張りになれ」


 デセラは少しかがむと、マーガレットの髪にそっとキスをした。

 髪にキス、幼子扱い、でもマーガレットは心臓が破裂しそうなほど胸が高鳴った。


「じゃあな、早く帰って寝ろよ」

 くるりと背を向けて右手を振るデセラの大きな背中に向かって・・・

「分かったー我は欲張りになる。ウィリー、ウイリアム・デセラ、我はそなたをあきらめん、絶対に振り向かせてみせるからな!」

 マーガレットは、声も枯れんばかりに叫ぶ。


 暗がりに消えてゆくデセラの背中、その表情は確かめることが出来ない。

 でも、マーガレットに後悔はなかった。


【あきらめない、絶対にこの恋を掴み取ってみせる】


「我もやはりアンリの姉だな、相当こじらせておるわ。あの弟にしてこの姉ありといったところか」


 ふふっと笑うマーガレットの頬を、夏の名残の温い夜風がすーっと撫でていった。

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