第27話
港で出立するアンリの軍服姿を見てから、コーネリアの話でうすうす感づいていたそれに腑に落ちてから、シャルロッテは別に落ち着き払っていたわけではない。
何も知らなかったのだ。覚悟なんて出来ていたわけもない。
完全に動揺していた。けれど、それを表情には微塵も出さなかった。
いや、出せなかったのだ。
農園で伸び伸びと育ち、慣れない貴族社会に半ば強制的に加えられてなし崩し的に王都へ、離宮へと来てからも、彼女の開けっ広げなその本質は決して変わることはなかった。
素直に感情を表に出し、取り繕うこともなかった。
そんなシャルロッテが生れてはじめて、その動揺を胸にしまい込んだ。
渦巻く感情の嵐を、表に出すことができなかったのだ。
それはシャルロッテにとって、とても苦しいことだった。
苦しい、苦しい、胸の中のこの嵐をすべて吐き出してしまいたい。
けれど、どうやってそれをすべきかまったくわからないのだ。
その感情が、何なのか自分自身でも分かっていないのだから。
胸が締め付けられるような何とも言えない切なさ、それがこの時のシャルロッテがはじめて覚えた感情だった。
「お父様が危惧するようにこの国で農民が蜂起するだとか、馬車から眺めた限りではあるのですけれど、街を見るかぎりではいつもと同じような日常が広がっていたのよね、街の人々もいつものようにせわしなく働いていたわ。でもそれは表面上のことだけかもしれないわよね。ねぇ、このサンセット連合王国の現状は一体どうなっているのかしら?わたくしとても気になっているのよ。シャルロッテ、あなたはどう思って」
渡り廊下を並んで歩きながらコーネリアに問いかけられても、ぼーっとしてしまって何も答えることができない。
「もう、ぼんやりなさって、いつものあなたらしくないわ!アンリ王子が心配なのはわかりますけれど、そんなになるならいっそお見送りの時に行かないで欲しいとおっしゃれば良かったではないの。シャルロッテ、いつものあなたならそれくらい平気で言ってのけるでしょう?あんなにあなたに夢中で他の何にも関心をしめなさいようなアンリ王子のことですもの、恋しい方にそう言われたら出立のその時ですらも船から飛び降りて泳いで戻って来たに違いないわ」
果たしてそうであろうか?
アンリはシャルロッテがどんなに会いたいと手紙を送っても、それを頑として断って来たのだ。
幼き日の川べりで並んできゅうりを齧っていた女の子のようで、かわいらしく泣き虫のアン、再会してからの子供のように直情的に気持ちをぶつけてくる姿は見た目こそ変わっていたし、かなり積極的にはなったもののやはり昔のようなかわいらしいアンのようにシャルロッテの目には映っていた。
けれど、自分のその考えは間違っていたのかもしれない。
今のアンリには、自分と会うことよりも大事なものがあるのだ。
【それはそうだっぺな、気安くふるまってくっからつい忘れちまうけんど、アンはこの国の王族、王位継承権第二位のアンリ王子ずら、あたいに会うことなんかより国を守ることがよっぽど重要ずら、当たり前、そんなん当たり前のことだっぺ】
理屈ではそうだと分かっている。理解できているというのにさっきまでの嵐がおちついてもシャルロッテの胸の中ではどこか寂し気な隙間風が吹いている。
【アンとコーネリアが仲直りして、あたいだけ仲間外れにされちまうんじゃねぇかとひとりでこんがらがっちまってたときとおんなしだな、あたいはアンがあたいに会わずに、何の相談もしてくれずに行っちまったのが、さびしいのかもしんねぇ、あたいんちは麦はやってなくって野菜ばっかりやってたけんど、ちいせぇころにきゅうりが病気にやられちまって父ちゃんがえらい困ってたんは覚えてる。だからライ麦のことだったらひょっとしたら一緒に農園に行って何か力になれることもあっかもしんねぇって思ってたんだが、クーデターやら戦争やらとかさっぱりわがんね、ちんぷんかんぷんだもんな。相談しても仕方ねぇって思ったんかもしんねぇ。あぁ、あたいって本当に我儘だな、それでも直接教えてほしかった。相談してほしかったとか思っちまうなんてよ】
アンリが戦地に行ったのは、ここでこうしてぐるぐると悩みに巻かれているシャルロッテを守りたい、その一心だったのだが、張本人であるシャルロッテはそれを知らない。
まさかそんな大仰なことを思っていただなんて、想像できるわけもない。
行ってほしくはなかった。
行かないで欲しい。と言いたかった。
折角昔のように親友に戻ることが出来たのに、ずっと会えないのは寂しくてたまらない。
そんな自分の本心に、シャルロッテは気づかない。
気づかないふりをして、別の問題に話をすり替えて何とか自分自身を納得させようとする。
本当の我儘は、口にするどころか胸の中ですらそれを認めることも出来なかった。
「もうっ、シャルロッテ、迎えの馬車がやきもきしているわ、わたくしもう行かなければ。こうやってタウンハウスを抜けだしたことが分かったらお父様はまたわたくしを外出禁止にしてしまうわ、そうしたらしばらくここにも来られない。でもわたくしなりに色々と情報収集しようと考えているのよ。シャルロッテ、あなたもマーガレット様にお会いできることがあるなら、いろいろ聞いてほしいわ、政治のことですもの、おっしゃられないこともいろいろあるでしょうけれど、あなたのその明るさなら、気を許してぽろりと何か漏らしてくださるかもしれなくてよ、だからそんな暗い顔はおやめなさい、わかったわね」
力強くぎゅっとシャルロッテの手を握って、コーネリアは颯爽と去っていく。
掻き上げたその鳥の巣のような頭が、シャルロッテにはとても格好よく見えた。
【あの身だしなみに命を懸けているようなコーネリアが、あたいのためを思って着の身着のままくしゃくしゃの寝ぐせ頭で駆け付けてくれたんだ。コーネリアはそれが出来る人なんだ。あたいもあぁして欲しかった。こうして欲しかった。だなんて頭ん中でわがままをこねくり回してちゃいけねぇ、あたいにだってこの場所で、離宮で何かできることがあっはずだ】
実際にはコーネリアのあの頭は彼女の自然な状態であるのだが、必死でヘアアイロンでのばしていることをシャルロッテはまだ知らない。
そして、ワープリン屋敷でも農園でもなくこの離宮でと彼女が考えたのには理由がある。
「我が他の令嬢たちと違い、シャーリーお前を領地に帰さないのには理由がある。まぁ、公務で疲れたときにお前の顔を見て声を聴くと我の気がなごむというのもひとつではあるが、それは些細なことだ。一番の理由は離宮でアンリの帰りを待っていて欲しいからだ。アンリが無事にここに帰ってきたときに、シャーリーに明るい笑顔で出迎えてほしい、それがアンリが一番喜ぶことだからな、弟バカの姉の願いだ。窮屈な思いをさせるかもしれんが、どうか聞き入れてくれ」
レデイスピードスターの背に乗って港から離宮に戻る道すがら、マーガレットはシャルロッテにそう告げた。
言われなくてもシャルロッテもそのつもりだった。
親友の無事を真っ先に確かめたいという気持ちもあったからだ。
【でも、じっと離宮でお行儀よく待ってるだけだなんて、あたいの性分じゃねぇ、出来ることを探すんだ。どんなちいせぇことでもいい、まずはそれからだ!】
意気揚々と胸の前でぐっと両のこぶしを握って、衝撃的な話を聞き疲れてへとへとに気疲れしたブリッター女史の待つ自室へと戻るシャルロッテ、その目には何やら怪しげな煙の漏れる部屋が目に入った。
キッチンメイドの支度部屋、ろうそくの小さな明かりとともに隙間から漏れ出す紫色の煙、すわ火事かと思いドアの隙間からその中を覗いてみる。
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