第26話

「ちょっとシャルロッテったら!こんなときにあなた一体どこをほっつき歩いていらっしゃったのっ!」

 門前でマーガレットと別れ、とぼとぼと部屋に戻ったシャルロッテを出迎えたのは、ぼさぼさくしゃくしゃの鳥の巣のような頭に着古したリネンの部屋着のようなドレス姿でぷるぷると小刻みに震えながら仁王立ちしているコーネリアの姿だった。

 いつもきっちりとして身だしなみ第一のコーネリアのこの姿、そして頭から湯気が立ちそうなほどカリカリとしたその口調に、シャルロッテはただならぬものを感じ取る。


「ど、どうしたんだっぺ…コーネリア…」

「どうしたもこうしたも無いわよー!アンリ王子が、アンリ王子がエルピス島に!クーデターの真っただ中、戦地に行ってしまうのよ!」


 あぁ、なるほど。シャルロッテはこの言葉で全てが腑に落ちた。

 甲板の上で何やらわーわーわめいているアンリは、遠目でもわかるかっちりとした立派な白の軍服姿だった。

 ただの親善海外訪問で、あのような格好はしないであろう。

 汽笛とゴーゴーと吹く港の風音に紛れて何を言っているのかはさっぱり聞き取れなかったが、アンリは恐らく自分への別れの言葉を叫んでいたのだろう。


「ちょっと、何うんうん頷いて悟ったような顔をしているのよ!そぉんな落ち着き払っている場合ではなくってよ」


 コーネリアは湯気を通り越してマグマが噴火しそうなくらいカッカとして、頬どころか首筋や握りしめた拳まで真っ赤に染まっている。


「まぁ、コーネリアこそちょっど落ち着いてけろ、ほら、誕生日パーティーで余ったエードもまだたーんとあるから、それでも飲んで…」


 あの日、三人で楽しく過ごしたアンリの誕生日パーティーでは、いつもは数枚のビスケットと砂糖とミルク抜きの紅茶しか飲まない口にしないコーネリアも嬉しそうに薔薇の砂糖漬けの飾られたチョコレートサンドケーキやパーティー向きではないが農園で食べて以来アンリの大好物のシンプルなキャロットケーキなどを次から次へと頬張り、オレンジエードをがぶ飲みしていた。

「わたくしね、本当は甘いものがだーいすきなの、今日はあんなにたくさん踊りましたものね、きっとこれくらい食べても問題ないわ!あぁこの舌の上でとろけるこってりとしたチョコレートの甘みとほんのりした苦み、そしてサクサクとしたビスケットの歯ごたえ、最高だわ。チョコレートなんて口にするのは小さな子供のころ以来よ、それにこのキャロットケーキも絶品だわー人参なんて毎日毎日仕方なく食べて、あのオレンジ色を見るだけでも顔を背けたくなるくらいなのに、でもケーキにエレガンスに変身したらこの通り、素晴らしく魅力的になるのだわ、不思議ねぇ、あぁブラウンシュガーにオレンジのさわやかな風味、クリームチーズ、全てがマッチして素晴らしいシンフォニーの出来上がりね。それに両方オレンジが入っているせいかしら?オレンジエードの甘さと酸味と合わさると相乗効果でより素敵になっちゃうのよ!」

 こんなに饒舌で上機嫌なコーネリアを、シャルロッテは初めて見た。

 その幸せそうな顔を見ると、自分のケーキやオレンジエードを分けてあげたくなるくらいだった。

 だから、今も大好きなオレンジエードを飲んでもらって少しは気を楽にしてほしいと思ったのだが…


「もうっ!あの時のことを思い出させないで!パーティーでのダンスなんて大した運動量でもないのに、どうしてわたくしったらあんなに暴飲暴食してしまったのかしら!あのせいでドレスのウエストが少しきつくなってしまって、しばらくの間人参と水しか口にできなかったのよ。ウサギになったような気分だったわ」

「ええでねぇの、ウサギなら白くってふわふわとしてかわいらしいし」

「もうっ、シャルロッテはいくら食べても全然太らないからそんな余裕しゃくしゃくのことが言えるのねっ、腹ただしくなってしまうわ!」

「うーん、コーネリアは折れそうなくれぇほっそりしてると思うけどな」

「それはねぇ、日々の努力のたまもの、ってそれどころじゃないんですわよ、ちょっと一口いただきますわ」

 我慢できなくなったのか、その剣幕に気圧されたのかいつになくびくびくとしたブリッター女史から目の前に差し出されたガラスのコップになみなみと注がれたオレンジエードを、優雅に天鵞絨のソファに腰を掛けた後細長い金属製のストローでちびりちびりとお上品に数口のみ、彼女がここへ来た本題について話し始めた。

「わたくしあのお誕生日パーティーの後、しばらくこちらへ来られなかったでしょう、ここだけではなくて街への外出も禁止されていたの。お父様はパーティーで男女三人であんなふうに踊るなんてあまりにも破廉恥だ。スノーブ家を笑いものにしたいのかってとても立腹されていて、その時はわたくしも少々はしゃぎ過ぎたかしらって少々反省して、大人しくタウンハウスの自室で美容体操をしたり、天文学の本を読んだりして過ごしていたのよ。でもいつまでたっても謹慎状態でしょう。おかしいと思いましたら、今度はライ麦の病気のせいだとおっしゃるの。でもそれは出先でライ麦のパンやお菓子を口にしなければいいだけのお話だし、わたくし普段外でそのようなもの買って食べたりなどは決してしませんもの。どんなに食べたくてもぐっと唇を噛み締めて我慢しているのですわよ」

「はぁ、それは」

「でもね、ライ麦の食品はマーガレット様が流通を禁止なさって、今は出回っていないらしいのですわ。ならば、街に行っても遭遇することはありませんわ!わたくし、いよいよおかしいと思いましたの」

 コーネリアはふんっと息を吐き、今度は少し長めにオレンジエードをチューチューと吸った。

「そうしたらね、ある日の夜更けにお兄様がふらりと帰ってきて、何やらお父様と言い争いをしているではない、いよいよへそくりの着服のことが明るみに出たのかしらと思いまして、わたくしそっと自室を出てお兄様のお部屋のドアにそっと耳をつけたの」


 タウンハウスで抜き足差し足部屋を出て、兄の部屋のドアに耳をつけて盗み聞ぎをするコーネリア、想像もできないようなその状況にシャルロッテは思わず笑ってしまいそうになったが、その場を支配するようなピリリとした緊張感に背筋がピッと伸び、表情も引き締まる。

「でもね、そのお話の内容は、わたくしの想像よりずっと大変なことでしたの。ライ麦の病気騒動をきっかけにして西の大陸に潜んでいたレジスタンスがエルピス島に渡ってクーデターを扇動した。そして、北の帝国からも戦争を仕掛けてくるかもしれない、この本国でも感化された連中がいつ暴動を起こすかしれない、コーネリアは危なくて外に出せない。そのうち領地に帰させるって。それも驚きましたし、嫌でしたけど本題はそのあとですの。

 アンリ王子がこのサンセット連合王国を守るために自ら志願した。お前も王子の盾になるために、一緒に行けっておっしゃっていたの」

「えっ、コーネリアの兄さんも戦地にいぐのか?」

「いいえ、兄さまは絶対に嫌だって断固として、拒否していたわ。アパートメントを解約すると言われて涙声になっていたけれど、それでも嫌だって、自分は馬上槍試合でもいつも真っ先に負けて馬から落とされているのに、何をできるのかって。そうしたらお父様はスノーブ家は武門の家だというのに家名を汚す気かってますます怒声をお上げになって…そうしたらって兄さまはもともとうちは武門とかじゃないだろってまた言い返して…ってシャルロッテ、あなたアンリ王子の出立にさっきから全く驚かないのね。わたくし、このことをあなたに真っ先に知らせなければと思って、お父様が眠ってらっしゃる隙に見張りのメイドの目を盗んでやっとのことで抜け出して来たというのに」


 自分を心配して駆け付けてくれたコーネリア、マーガレットには他言するなと言われていたが、彼女にあのことを秘密にはできない。


「実はな、あたいが出かけてんはアンの見送りのためだったずら」

「えっ!シャルロッテ、あなたこのことをご存じでしたの!」

「いんや、知らなかったけんど、マーガレット様が港まで連れてってくれてな、アンはしばらく遠くに行くって」

「まぁ…」

 コーネリアは目を丸くして驚き、あんぐりと開いた口の中にまたエードを注ぎ込んだ。



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