第22話
「マーガレット摂政殿下、大変です!クーデターが起きました!」
連合国各地に配置された使者が、血相を変えて王宮に飛び込んできたとき、知らせたクーデターの場所は、意外にもあの西の大陸との国境を接した飛び地ではなかった。
「ヘストン、落ち着け、お前の配属先は確か、エルピス島だったな」
「はっ、はい、島民たちがいきなりナイフをもって暴れだし、警備兵に襲い掛かりまして…」
「ふむ、これは…」
マーガレットにとっても、これは予想外の出来事だった。
西の大陸で菌に侵されたライ麦を食したであろう住民たちによる集団中毒が発生し、それがアンリの誕生日に国民に振舞われた菓子が原因ではないのかとうわさされているということは、フリフワ共和国に駐在させている国家友好大臣により知らせは受けていた。
そのため、マーガレットは連合国に所属するすべての地域にライ麦を生産する、食すことを一時禁止し、東方地域で栽培されている大麦を緊急的に送らせた。
そして、レジスタンスによる不穏な動きがあることも察知し、国境付近の警備を強固なものへと変えさせていたのだ。
量産された大麦のパンは国境を越えてフリフワ共和国にも送られ、共和国大統領からは感謝の手紙も届いた。
大統領は国民に向けてもこれはうわさにあるように、サンセット連合国の陰謀などではない。もちろん、マーガレット王太女の呪いなどであるわけはない、これはライ麦の病気なのだ。と、奉仕の精神で常日頃から国民の尊敬を集め病にかかり右足が不自由になりながらもこのライ麦の病を克服するため医師に協力した修道士と医師を同席させ演説した。
クーデターの芽は摘んだ、人々の不信感のくすぶりは燃え盛る炎へとなる前に鎮火へと向かっているはずだった。
しかし、意外な場所からその炎は燃え広がってしまった。
エルピス島、かつてセラフィナ女王が自ら軍を率いて守り、そしてウイリアムもまた北の軍勢を撃退したあの特別な島、その成り立ちから王家への信頼は本国の国民よりも篤いと言われているほどだ。
何しろ、島民の三人に一人は自宅の居間にセラフィナ女王の肖像画を飾っているほどなのだ。
そんなエルピス島で、何故、今、クーデターが。
マーガレットは首をひねる。
【エルピス島でライ麦中毒が出たというのは、聞いていた。かの地にライ麦畑はない。トウモロコシが主食であるというのに、何故このようなことになったのか不可解であったが、ヘストンの調べで旅人からもらった土産のビスケットを食べたのが原因だとわかり、本国から医師を送ったのだが、あれは我の失策だったな。】
その旅人を詳しく調べよ、との達しは出しておいたのだが、サンセット連合王国出身の教師だということが分かり、またビスケットを食べた子供も幸いにも軽症で両親もその教師への処罰を求めないということだったので、拘束などはしなかったのだ。
失策、このマーガレットの危惧は確かなものであった。
旅人、サンセット連合王国出身の教師。
彼こそが、クレール・バスティアンその人だったのだ。
クレールはまたしても名を変え、モリニ・リテール、サンセット連合王国出身で連合国の教師の足りない僻地へと赴き熱心に子供たちを指導していた熱心な教師の旅券を勝手に複製し、麦角中毒に侵されてしまった親戚の子供を訪ねて国境付近の町に現れたモリニ本人を拘束し、養父のピエールのかつての革命仲間の自宅の地下で監禁していた。
「いいか、クレール。これは我々にとって、チャンスだ。これを機会にサンセット王国を解体する、そして、フリフワ共和国に併合し大きな世界を作るんだ。この世界は平等でなければならない、これはただの手始めだ。やがては世界をすべて一つにする。この広い世界が、すべて一つの国になるんだ。どうだ、素晴らしいだろう。そのためには多少の犠牲は必要だ。血を一滴も流さぬ革命など存在しない。かつての革命のように命を落とすものも出るやもしれん、しかしその尊い犠牲の上に、真の平和が、理想の世界が築かれるのだよ」
高揚したピエールの顔、こんならんらんと輝く生気に満ちた彼の瞳を見るのは、クレールにとって初めてのことだった。
【あぁ、ピエールお父様はなんて志が高いのだろう、この父について行けば、きっと自分は新たな世界の扉を開ける、漁師の子供でも頑張って努力をすれば政治家になれるような。そんな理想の世界に。この人に、父についてきて本当に良かった】
クレールは心酔しきった養父のために、彼に言われたことをすべてそのまま実行した。
王家を崇拝する以上に、精霊信仰シャーマン志向の根強いエルピス島の住民に、不安の種を植え付ける。
先ずは学校の子供たちの中から、特に精霊信仰が強く信心深い家の子供を選び、勉強熱心だから特別だと、王家の菓子を分け与える。
実際にはピエールが仲間の一人である医師から譲り受けた麦角菌に感染したライ麦で作ったビスケットなのだが。
そして、彼が中毒になると医師の調合した薬を分け与える。
そして、偉大なるセラフィナ女王の猿真似をしたマーガレット王太女は、自分が自ら王位に就くために父王を呪い、病に伏せさせていると彼の父親に耳打ちする。
彼女はセラフィナ女王と違い、この島を自ら守りに来なかった。全てを兵に任せていたではないか、このエルピス島を大事に思ってなどいない。
むしろ、邪魔に思って、呪いにかけているのだと。
マーガレットが女王になったら、北の大国からもう守ってくれることはないだろうむしろ売り払ってしまうのではないかと。
子供の父親は、この島の島長であり、島民からの信頼が篤かった。
そんな彼の子供が病になり、それが王家の菓子である。
そして、彼の言う通り、マーガレット王太女は、この島に一度も訪れてはいないではないか。
父王の政治の代理として摂政に就任した折に、『このエルピス島はサンセット連合王国にとって、特別な場所である。これからも守っていく』などと文書が届いただけだ。
実際は政務に忙しくて、エルピス島に限らず各地に赴けなかっただけなのだが、クレールに植え付けられた不安の種は島民の間で次第に大きくなり、麦芽中毒とは全く関係なくクレールも何もしていなかったのだが、クレールにとっては運がよく、そしてマーガレットと連合王国にとっては運悪く、島の子供たちに麻疹が流行した。
これも魔女、マーガレットの呪いだ。
島民たちはすっかり信じ込んでしまった。
そして、麻疹事件から二週間後、船着き場に中年男性の一群が現れた。
かつての革命軍、そして政府の要職についていないメンバーたちが集結したのだ。
島の男たちに兵士と闘う方法を教えるために。
わざわざフリフワから警備が手薄くなっていたサンセット連合王国の東の領土を経由して、船底に武器を隠し、島長からの特別許可でヘストンの調査も受けず。
ピエールは血沸き肉躍っていた。
裕福な商人が金で買った貴族階級に生まれたものの、毎日が退屈だった。そんな時町の酒場で出会った今の大統領、ルッケと出会った。彼の平等への情熱はそのままピエールのものとなり、資金援助を惜しまなかった。けれど、革命が成功したのち、革命軍の財布としての彼の役割は終わった。
要職にも着けなかった。
あのドキドキワクワクとした気持ちは、すっかり消え去ってしまった。
それからは、今まで以上に退屈だった。
ふらりと訪れたサンセット連合王国の港で、字を教えてくれと足にしがみつく薄汚い子供に出会うまでは。
自分を見る子供の目は輝いていた。
そんな憧れの眼差しに応えたい。
新しい世界を作るのだ。そのためにはこの生涯を革命に費やそう。
革命だけが自分を輝かせてくれる。ピエールは、自分が革命のための革命をしていることに、自分でも気づいていなかった。
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