第18話

 離宮の廊下でコーネリア嬢とアンリ王子が、親し気に話しをしていた。

 ブリッター女史からシャルロッテがそう聞かされたのは、コーネリア嬢が二度目に訪ねてきたその翌日だった。

「へぇ、そうなの、良かったじゃないの。仲直りができて」

 元々聞き違いから始まり誤解が誤解を生んでこじれてしまった二人の関係、だれも悪くはなかったのだ。

 原因である誤解が解けたなら、二人の間にわだかまりはなくなる。

 一から始められるのかもしれない。

「ひょっとしたらこれですっごく仲好しになって、それで今度は本当に婚約することになるのかもしれないわね」

 そう言いつつも、シャルロッテの胸には何かが引っかかるような感じがしていた。

 小さい、小さい、でも邪魔くさい小骨のようなものが引っかかっているよりちりちりとするのだ。

「まぁ、シャルロッテお嬢様はそれでよろしいのですか?」

「はっ、はー、なんであたいに関係がー、二人がどうなったってあたいには関係ないことだっぺー」

 けれど、あの何も知らなかったころとは事情は丸っきり変わっている。

 アンリ王子、アンは幼かったころに出会った初めての友達、そして一番古く、一番心が近かった友達、そして王都でできた初めての友達コーネリア、あんな騒動に巻き込まれたというのにわざわざ自分のところまでやって来て友達になろうと言ってくれた人。

 二人ともシャルロッテの掛け替えのない、代わりのいない友人なのだ。

 幸せになってほしい。

 そう思ってはいるけれど、もしも本当に婚約して二人が恋人同士になってしまったら、そこに自分の居場所はなくなるのではないか。

 二人の世界に割り込むことなんて出来なくなるんじゃないか。

 そんな不安が胸がよぎる。

 きっとこのチクチクは、その不安によるものなんだろうとシャルロッテは自分で自分に言い聞かせそうとするが、チクチクはおさまってはくれない。

 自分がまた訛ってしまったことも、いつもならすぐに注意するブリッター女史が何も言わなかったことにも気づかずにシャルロッテは考え込んでしまった。

【あんなごとがあってまだちゃんと話せてねぇけども、アンはあたいの大事な大事なお友達だ。結婚とか、そういうんは全然考えらんねーけども、また前みてぇに仲良くできんならしてぇし、男とか女とか関係なく一緒にいでぇと思う。コーネリアだって知り合って間もねぇけど話しやすいし、あたいと同じように食べることが好きで気が合う、一緒にいると貴族のお嬢さんといっしょにいると思えねぇくれぇ気が落ちづく。二人とも大好きだ。そんな二人が幸せになれるかもしれねぇのに、自分が仲間外れにされるかもしれねぇとかそんなごとグタグタグタグタ考えちまって、あたいったらどうしちまったんだろう。こんなに心が狭ぇ人間だったのか、あたいは】

 どんなにどんなに考えても、チクチクはちっとも消えてくれない。

 それに目の端がさっきから火照っているようで、なんだかむずむずもする。

「シャルロッテお嬢様、顔色がすぐれませんわ、お加減でも?」

 そして、ブリッター女史が優しく声をかけてくれたその時、シャルロッテの琥珀色の両目からはぽろぽろと大粒の涙が次から次へとこぼれだした。

「ぶりっだー女史ぃ、あたい、あたい、なんか変なんだよーアンとコーネリアが仲直りしてうれしいはずなのによぉー、幸せになってくれたらいいなって思ってもいるのによぉー胸の奥がこうちくちくしてさびしくてさびしくてたまんねぐなっちまうんだよーあたい、あたい、どうしちまったんだろう」

 自分の胸にすがっておいおいと幼子のように泣きじゃくるシャルロッテの背中を、ブリッター女史はやさしくさすり続けた。

「仲間外れにされるかもしれないとお思いですか?」

「?ん、?んっ……ひっく、ひっく」

「それは杞憂だと思われますよ。アンリ王子はいわずもがな、コーネリア嬢だってシャルロッテお嬢様を好いてらっしゃるからこちらに来られるんでしょう。もしも気まぐれで着ていらっしゃるならあんなに楽しそうにこのお部屋で過ごすことはできないと思いますよ」

「で、でも、こんやぐしたら、げっこんしたらぁー」

「あらあら気がお早いですね。私はお二人が廊下で楽し気にお話しされていたのを王太女殿下の侍女のリンさんからお聞きして、それをお伝えしただけですのに。シャルロッテお嬢様はお二人のことずっと心配されてらしたでしょう」

「?ん、?ん、なが直りできたのはよがったよぉーずびっ」

「それなら、もう泣くのはやめて、一緒にリンさんから差し入れていただいたヒナギクの花のはちみつ入りの紅茶でもいただきましょうよ」

「だっで、だって、勝手に涙が出てきちゃうんずらよーひなぎつのはちみつのみだいよー」

「ほほほ、はちみつを全部飲まれては困りますけどね、まぁ涙どころか鼻水がぐずぐずじゃありませんか、ほら、もう大きいんですからこのハンカチでチーンとなさい、そうしたら涙も止まるかもしれませんわよ」

「どまらないー」

「もうっ、こんなにめそめそなさってばかりなのはシャルロッテお嬢様らしくありませんよ。あなたはなんでもハッキリとお腹の中に言葉をためずにおっしゃってしまうお方でしょう。心配なら直接お二人にきけばいいんです!」

「い、いいの?」

「当たり前です!お二人だって、シャルロッテお嬢様が言いたいことをため込んでぐずぐず泣かれているのを知ったらご心配なさいますよ!」

「で、でも、コーネリアには会えるけど、アンには」

「何をおっしゃっているんですか!毎日毎日物陰からこの扉をじっと見つめに来ていることを、シャルロッテお嬢様もよく御存じでしょう。そのときに私がこちらへ呼んでまいりますから、まぁいくら王子とはいえ未婚のお嬢様のお部屋に男性を通すのは本来はとても許されぬことではありますが、今回は特例中の特例です。あんまりべそべそされていたらこのお部屋も、となりの私の寝室まで水浸しになってしまいます。私はびしょびしょのベッドで寝たくはありませんからね」

 ブリッター女史は、いたずらっぽく笑う。

 それを見たシャルロッテも何だか楽しい気持ちになってきた。

「えへへ、ブリッター女史も冗談とか言うんだべな」

「だべなではありませんっ!」

「あ、はい、言うんですね」

「あ、はい、じゃなくて、えぇ」

「えぇーそれぐらいいいじゃない」

「えぇーじゃなくてえぇ」

「えぇー」

「ふふふふ」

「あははー」

 ヒナギクの花の香りの湯気がしみて、ブリッター女史と笑いあうシャルロッテの目じりからあたたかな雫がしたたってくる。

 でもそれはさっきまでとは違う、痛い、痛い、涙じゃない。

 やさしく頬をつたい心にしみいるようなしずくだ。

【そうが、あたい、アンと会っていいんだ。会えるんだ。あーこの前はアンだってきづかねぇで蹴っ飛ばしちまったもんなー怒ってんかな、でもあれはあっちが変なこといったからだもんな、お互い様か。明日、明日の朝、お日様が昇ったらアンとまた話ができるんだな、あー何話そうかな、始めは元気にしてたか、は変だよな。元気なことだけはこっちもあっちも知ってんもんなーうーん、意識しちまうと何を話したらいいかわっかんねーなー】

 ごろんごろんと寝返りを何度もうちまんじりともしないまま朝を迎えたシャルロッテだったが、薄く扉を開けて確認してもアンリの姿は見当たらなかった。

 その翌日も、そしてあくる日の昼下がり、シャルロッテのもとにはリンに託された招待状が届いた。

 それはコーネリアからのティーパーティーへの誘いだった。


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