第17話

【結局何をどうすれば、あの二人を接近させられるのかしら?】

 タウンハウスの自室のベッドの上で、コーネリアは悶々としていた。

 次にシャルロッテと会う約束をしているのは三日後、そのときにアンリ王子を背後に隠して連れて行ってしまうか。

 いや、それは無理だ。コーネリアも女性としてはかなり背が高い方ではあるが、アンリ王子とはニ十センチ近い差がある。とても背中に隠しきれない。

 頭の上からぽわぽわととあの綿毛頭が出ていたらブリッター女史が警戒してコーネリアにも扉を閉ざしてしまうだろう。

 離宮の庭園でティーパーティーをしようと誘って連れ出して、そこで待ち構えていたアンリ王子と偶然を装って会わせてしまう?

 いや、あそこは人目につく。

 アンリ王子を囲んでコーネリアとシャルロッテが紅茶を楽しみきゅうりのサンドイッチを食べている光景なんてコーネリア自身が考えてもどうにも滑稽な場面なのに、メイドオブオナー候補の令嬢たち、そのお付きの侍女たちに見られでもしたらどんな尾ひれがついた醜聞が出回るか、考えただけでも恐ろしい。

【人目、人目、人目につかない場所、それでいてゆっくりと話ができるような場所、うーん、このタウンハウスはひょっこり父上が帰ってくるときもあるし、ばあやもいるから無理よね、うーん、それじゃあ、あっ、あそこがあったじゃない。どうして今まで思いつかなかったのかしら】

 二人を会わせるのにちょうどいい、これ以上ないと思える場所を思いついたコーネリアはポンっと手のひらをこぶしで叩き、近くの郵便局へさっそく出向き兄へと電信を送った。

『チチウエノヘソクリヌイタバラス』

 その電信を士官学校の寄宿舎で受け取った兄のヨハンは慌ててタウンハウスへとやって来た。

「おいコーネリア!あの電信はどういうことだ!あれは友人たちとのトランプゲームで負けが込んでしまって、仕方なくちょっと借りただけなんだ。すぐに返すつもりだって言っただろう」

 あれは二日前のこと、夜更けに寄宿舎を抜けだしたヨハンはタウンハウスのスノーブ卿の書斎にこっそり入り字引に挟んである数枚の札を抜きだした。

 物音で起きだしたコーネリアは、その一部始終を目撃していたのだ。

「あら、それなら今すぐお返しになったら、ねぇほら、書斎はすぐそこよ。なんならわたくしが挟んできてあげましょうか、ほうらお札をお出しになって」

「い、今はない」

「あら、じゃあすぐっていつなの?」

「すぐはすぐだ」

「へぇそうですの、父上今日の夜はお帰りになるんでしたかしら」

「た、頼む、このことは父上にはどうか内密に」

 いつもは偉そうにふんぞり返って妹にあれやこれやと指図してくるヨハンが平身低頭で自分にへこへことしている姿が可笑しくてコーネリアは笑いがこらえきれない。

「ぷふふふふ、えぇ、そうね、ヨハン兄さまがそこまでお頼みになるのなら、聞いてあげなくもないわ、お気の毒ですもの」

「そ、そうか、それはありがたい。さすが我が妹、心が広いな」

「でもね、代わりと言っては何ですけれども、一つ条件がありますのよ」

 へらへらとしたヨハンの笑顔が一転して曇り、右目を上げて険しい表情になる。

「じょ、条件って何だよ」

「ヨハンお兄様、勉強のためにって母上に頼み込んで寄宿舎のほかにアパートメントをお借りになっていますわよね、離宮からほど近いあの場所」

「そ、それが何だっていうんだよ。勉学のためなのだ。何も悪くないだろう」

「悪いとは言っていませんわ」

「なら、何なんだ」

「あのお部屋のね、鍵を貸していただきたいの、ちょっと使いたいことがあるのよ」

「はっ、お前がか?なんだ王子にこっぴどく振られたばっかりだっていうのに恋人でもできたのか?逢瀬にでも使うのか?」

「兄上といっしょにしないで!お友達とお茶会するだけよ!それにわたくしは振られてなんかいないわ!あれは誤解だもの」

「誤解?何の誤解だよ」

「それは……」

 コーネリアは、自分があの婚約内定破棄騒動の真相を知ったことをまだ父のスノーブ卿にも知らせていない。言いたいことは山ほどあるのだが、国王の聞き違いとなればそれもまた醜聞として広まってしまうかもしれない。

 あの話をするとなれば、自分は怒りを抑えきれずに大きな声を出してしまうかもしれない。

 それを使用人でも聞かれたとしたらと思うと、おいそれと口にできなかったのだ。

 慎重に慎重に扱わなければいけない問題なのに、この口の軽い兄にうっかり話してしまったら、今夜中には士官学校を飛び越えて王都中に知れ渡ってしまうだろう。

「誤解は、誤解、もうこの話はおしまい」

「へっ、そうか、じゃあ俺の話も終わりでいいな」

「それは無理よ」

「あー、鍵なーどこにやったかな」

「あらそう、そちらがそんな態度なら、ヨハン兄さまがお父様から盗んだお金で踊り子と遊びまわっているって母上に手紙を書くわ!」

「待ってくれ、お母さまには何も言わないでくれ」

 焦るヨハンは、額から噴き出す脂汗を制服の袖で拭う。

「母上、驚いて失神しちゃうかもしれないわね」

 二人の母、リズベットは息子のヨハンにことのほか甘い。

 目に入れても痛くないほどに可愛がっている、この世のどんな存在よりも愛しくて愛しくてたまらないのだ。

 だからこそなのか、リズベットは息子に若い女性が近づくのを嫌う。

 幾度か縁談の話はあったのだが、自分が一番いい女性を選ぶといってすべて断ってしまった。

 リズベットの中では、ヨハンはまだまだかわいい坊やなのだ。

 そんな最愛の息子が勉強のためにと借りたはずの部屋で数多の女性と乱痴気騒ぎを繰り返していると知ったら、その怒りは天をも突き抜けてしまうだろう。

 勉強部屋を解約するのは当たり前、遊んだ女性たちを一人ひとり探し当てねちねちと息子を誘惑した女狐めと責め立てるまでするやもしれない。

 そんな事態になってしまったら、もはやヨハンの誘惑に乗る女性など皆無になるであろう。

 そんなことは、ご免被る。

 ヨハンは憎たらしい笑みを浮かべる妹を前に、なすすべなくぎりぎりと歯噛みするしかなかった。

「ぐぬぬぬぬぬ、仕方ない一週間だけ貸してやるから、絶対に返せよ」

「えぇ、もちろんよ。ありがとう存じます。ヨハンお兄様」

「来週の日曜には、必ず取りに来るからな!忘れるんじゃないぞ」

「えぇ、ヨハンお兄様も字引の間にお札をはさむのをお忘れなくね。さぁ早く鍵をお出しになって、その胸ポケットのふくらみ、鍵でしょう」

「ぎぎぎぎぎ、目ざとい奴め」

 チャリン。

 兄の手から妹の手へと渡された自由の場所への鍵。

 受け取ったとたんにひらひらと手を泳がせて自分を追い出しにかかる妹。

【まったく誰に似たんだか小憎たらしい妹め、あのお優しいお母さまから生まれたとはとても信じられないなー。あーしかし、あの部屋が今週使えないとなると困るな、歌手のベティ、街の酒場で落ち合ってからあの部屋でしっぽり楽しもうと思っていたのに。あっちの部屋、にはいかつい男がいそうだしなぁ、あー困った、困った】

「あの、鍵さ、やっぱり明日渡すんでいいかな」

「は、は、う、え」

「あー、もう分かった、わかった、ちっ、今夜はあの部屋で夜通し勉学に励もうと思っていたのにさ、俺が勉強できなかったらお母さまも悲しむだろうな、あーっコーネリアがこんな親不孝者だったとはな」

 ヨハンは何だかんだ同じように母を愛している妹をちらりちらりと見たが、帰ってくるのは刺すように冷たい視線だけだった。

「女性のお勉強は少しお休みした方がいいと母上も思っておられるから、ご安心なさって」

「あぁ」

 妹の手中に収まった鍵に後ろ髪引かれながら、苦々しい思いを抱いてヨハンはタウンハウスを後にした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る