第16話

「姉上、大ニュース!大ニュースだよ」

 いつものように忙しく仕事中の自分に構わずに執務室の扉から飛び込んでくる弟のアンリ、その薔薇色に上気した頬を見てマーガレットはの眉をしかめつつも唇をゆるめる。

「どうした?ついにシャーリーと会えたのか?」

「いや、それはまだなのだけれど」

 唇を尖らせつつも、やはりまだ嬉しそうだ。

「ほう、何があったのだ」

「うん、姉上のアドヴァイス通りにコーネリア嬢と話をしてみたんだ。そうしたら彼女さ、ぼ、いや私たちの恋に協力してくれるって!」

「ほう、何故そんなことになったのだ」

 マーガレットにとって、これは意外な展開だった。

 コーネリア嬢はだれにでも優しく品よく振舞い、その立ち居振る舞いには一部の隙もない。

 しかし、その父親譲りのその気位の高さはふとしたときに見え隠れしていた。

 スノーブ卿の品の良さ、人当たりの良さに隠された野心、そこにマーガレットは気づいていた。

 外交のうまさで西の大陸で国境を接するフリフワ共和国の王政を倒し政権を樹立した弁舌の立つ手練れの政治家たちを手玉に取り貿易を有利に進め、父王の信頼を勝ち取り外務大臣でありながら内政にまで関与するようになった。

 マーガレットが未だ独り身であることから次の次の王はアンリであると目星をつけて、与しやすしと考えたアンリを摂政として裏で操ろうとでも目論んでいたのだろう。

 だから聞き間違いに気づいていながらも、それを知らないふりをして既成事実を積み重ねてなし崩しに婚姻を成立させてしまおうと考えたのだ。

 あのような出来事があった後も、こうなってしまったら娘には他に行き場がなくなってしまう。シャルロッテ嬢はお断りになったようですし、改めて婚約の申し込みがあれば娘は受け入れると思いますなどとたわけた繰り言を申していたのも王の椅子、その背後に回りこの国の一番高い場所に立つという野望を捨てきれなかったのであろう。

 シャーリーのところに自分から乗り込んでいったその娘のコーネリア嬢にも何かたくらみがあってのことと思っていたが、あの子ならそんなたくらみは跳ね返してしまうだろう、その考えは当たっていたが、毒気を抜かれるのが思いのほか早かった。

 その気位の高さから、コーネリア嬢はアンリに声をかけられてもあからさまに無視をするようなことはしないだろう。

 表面上とはいえあの醜聞を気にも留めていないような寛大な態度をとるだろうと思った。

 そして親し気に話す二人の様子を見てシャーリーに何か新しい感情が芽生えるのではと思っていたのだが、マーガレットが振ったはずのサイコロは思いもよらない場所に転がっていったようだ。

【当て馬に使おうなどと失礼なことをしてしまったが、コーネリア嬢も我の予測を超えた面白い人物のようだ。ふむ】

「それで、どんな協力をしてもらうのだ?」

「それはまだ教えてもらえてないんだ。けれど姉上も応援してくれていると教えたら、詳しいことが決まったら姉上の侍女のローラ宛に文を送ってくれると言っていたよ。届いたら教えておくれね」

「全く、我は伝書バトか。こう見えて忙しいのだぞ」

「はーいわかっていますって、全部うまくいったらちゃーんとお礼しますからっ」

「はぁそうか、楽しみにしておこう」

 手のかかる弟が両手を振りながら出て行ったあとマーガレットは仕事の手を止めて、執務室の正面にある天鵞絨の垂れ幕を上げて、そこにある肖像画をじっと見つめる。

 そこに描かれているのは、真っ白な雪の降り積もった平原で白馬に跨り剣をふるう騎士の姿だ。

 セラフィナ・サンセット、サンセット連合王国初の女王であり初代王以来二人目、女性としては初めて王と軍の総大将を兼ねた人物。

 幼き日からのマーガレットのあこがれだ。

「セラ様、恋を知らない我が、弟の恋路に口を出そうなんて浅はかであったでしょうか」

 凛と前を見据える肖像画の中のその人にマーガレットは問いかけたが、これには少々語弊がある。

 マーガレットは恋を知っている。

 秘めた恋ではあったが。

 十五になった年、マーガレットは士官学校に入学した。

 そこに指導するために訪れたのが、当時の近衛隊長であったウイリアム・デセラであった。

 二十三という若さ、そして男爵家の三男坊という貴族の中では恵まれた境遇とは言えないデセラが大出世を遂げたのには確固たる理由がある。

 士官学校を卒業したばかりの十八の時、彼は北方の小さな島の防衛に志願して獅子奮迅の活躍で攻めてきた北の大陸の大軍勢を撃退した。

 小さく本島からかなり離れた島、けれどここはサンセット連合王国の中でも特別な場所である。

 セラフィナ女王の治世当時にもこの島は北の大陸から攻められ、交流のあったサンセット連合王国に助けを求めた。そして女王自ら軍を率い敵を撃退したのだ。

 その勇猛果敢さ、心の広さに感服した島の人々は自ら連合王国の一員となることを熱望した。

 あの肖像画は、その一場面を切り取ったものだ。

 そんな特別な島、大事な領土を守った英雄に先代の王、マーガレットの祖父は感嘆し、近衛隊長を任せたのだ。

 口うるさい老貴族たちは彼を否定したが、実際にともに戦場に立った兵士たちの全てが彼を支持し、そのうちだれも文句を言わなくなった。

 士官学校の学生たちは一様に彼を尊敬し、マーガレットもその一人ではあったが、入学したてでありながら年長の学生たちを打ち負かすほどの剣の腕前だったため、彼と手合わせをしたい。そして勝ちたいという気持ちも持ち合わせていた。

 そして、実践方式の稽古の順番が回ってきたとき、マーガレットは愕然とする。

 あちらは数十人の相手をした後、こちらは元気いっぱい準備万端のはずなのに全く歯が立たない。

 剣を近づける隙すらないのだ。

「ハハハ嬢ちゃんなかなかやるじゃないか!将来は期待できるぞ」

 軽くあしらわれている気がした。

 勝ちたい、勝ちたい、そう思って何度も稽古を申し入れた。

 そして負け続けた。

 美丈夫、気骨がある。そんな誉め言葉を聞かされ続けていたマーガレットに、ウイリアムは軽口をたたき、気兼ねなく接し、嬢ちゃん扱いをする。

 王女であることを知っているはずなのに、特別扱いはしない。

 彼のその態度、そして誰も寄せ付けないその強さに、いつしかマーガレットは心惹かれていった。

 けれど、そのその想いはついぞ口にできなかった。

 士官学校の卒業の日、「お疲れさん。次にやったらもう俺も勝てないかもな。がんばれよ、未来の女王さん」ウイリアムはポンポンとマーガレットの頭を叩いた。

 大きくてがさがさとした武骨な手、でもとてもやさしい手。告げることのできなかった想い。けれど胸の奥で静かに揺らめいていたあの炎。

 マーガレットはそのときめきを、切なさを、痛みを確かに知っていた。

 【一度でいい、メグと親し気にそう呼んでほしかった。】その想いは伝えることはできず、胸の奥底で今も燻っている。

 そして、くしくもマーガレットのあこがれの人、セラフィナ女王が恋した相手も近衛隊長だった。

 しかし、マーガレットの秘めた恋とは違いセラフィナと近衛隊長のビーゲルは思いの通じ合った恋人同士だった。

 いつ戦場に赴くことになるとも、そこで散ることになるやもしれん。

 その想いから生涯結婚をすることはなかったが、民の全てが知る公認の恋人関係は双方が亡くなるまで続き、ビーゲルは女王の背後を守り続けた。

 あの肖像画に描かれた女王の影、小さな黒い人影、それは女王の影ではなくビーゲルであるとまことしやかに伝わっている。

 恋にも国の統治にもすべてに全力を尽くし、生き切ったセラフィナ女王。

「我はあなたにはまだまだ程遠いですね」

 マーガレットは肖像画の二人に向かってピッと敬礼をした。






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