第14話
それからも剣術の稽古の前のわずかな時間、朝のひと時と、あの日コーネリア嬢が現れた昼下がりにアンリは王宮を抜けだし、離宮へと足を運んだ。
翌日、翌々日、そのあくる日も変化はない。
食事を受けとるのはブリッター女史でシャーリーの顔は見れず、コーネリア嬢も姿を見せることはなかった。
しかしそのまた翌日、あの薄紫のショールが目の前を通り過ぎた。
「あっ」
声をかけようと思ったが、訪ねる前に引き留めてしまっては元も子もない。
それに自分に向けられたものでなくても、シャーリーの笑顔を見たい。
目に焼き付けたい。この胸に刻まれるシャーリーの笑顔コレクションをもっともっと増やしたい。
けれど、そんなアンリの思惑は外れシャーリーはコーネリア嬢を出迎えるために扉から顔を出すこともなく、またほんの数分かと思われたその滞在時間は思いのほか長くただじっと扉を見つめて待つ時間は長く長く、数時間にも及ぶように感じられた。
そして、いよいよあのアンリにとっては自分とシャーリーを隔てるどんな金属よりも重く分厚く感じられるあの扉が開き薄紫のショールが出てきたが、あの日のようにシャーリーが姿を見せることはなかった。
「あぁ、何だ。がっかりだ」
すっかり気落ちしてしまったアンリだったが、この機会を逃せば今度いつ話を聞けるかもわからない。
渋々ながら紫のショールの跡を追い、廊下の突き当りでやっと声をかけた。
「あ、あのコーネリア嬢お久しぶりです、先日は」
「あら、ずっとつけてこられるから不審者かと思いまして、今衛兵を呼びに行こうかと思っていたところですのよ。まぁアンリ王子殿下でしたの、お久しゅうございます。ではわたくし急ぎますので」
謝罪の言葉を遮ったコーネリア嬢は、そのままさっさとその場を立ち去ろうとする。
「あ、あの、待ってください。どうしても聞きたいことがあるんです」
しかし、アンリ王子の必死の呼びかけにくるりと踵を返した。
「あら、何でしょう。婚約内定を取り消される以外に話すこともないわたくしに一体何の御用が?」
振り向かせてからこっぴどく振ってやろうとそう心に誓っていたコーネリアではあったが、こうしていざ対面してみるとあの日の苦々しい思いがこみあげてきてとても愛想よく品のある令嬢然として振舞うことなどできなかった。
以前とはまるで違うコーネリア嬢のそのとげとげしさに面食らうアンリではあったが、ここで引き下がってはシャーリーと打ち解けたコーネリア嬢のその手腕を知ることができない。
「あ、あの、聞きたいことというのはシャーリーのことなんです」
その言葉に、コーネリアは右目をきゅっと吊り上げる。
「あら、シャルロッテ嬢のことですの。それなら昨日今日知り合ったわたくしよりアンリ王子の方がよほど詳しくてらっしゃるのでは?ずっと恋焦がれらした運命の女性なのでしょう」
剣もほろろだ。
「いや、確かに私とシャーリーは幼友達です。けれどここに来てからはほとんど話はできていなくて……」
「まぁ、それなのに離宮に毎日来られているの、それは情熱的ね。アンリ王子にそんな燃え盛るような熱情がおありだとは存じ上げませんでしたわ」
「あ、あの、私がここに日参していることはどこでお聞きに、あの、まさかシャーリーから?ひょっとしてちらりとこちらを見てくれたりとか」
「まぁ、それはどうでしょうか、シャルロッテ嬢はあの騒動以来居室にこもりっきりにならざるを得ない状況になってらして、外に顔を出したのもわたくしが先だってお邪魔した時だけだったそうですのよ。おかわいそうに」
「あ、あ、そうなんですね、じゃあブリッター女史か」
はぁと深いため息をつくアンリ王子を、コーネリア嬢は苦々し気に見つめる。
【一体なんだっていうのよこの王子、いやこの間抜け男は。デリカシーってもんがないのかしら、いくら何でもあんな目に合わせた女性の前でこんな風に他の女性のことでため息をつく!?】
「ご用件はそれで終わりかしら?」
今度こそ立ち去ろうとするコーネリア嬢を、アンリはなおも引き留める。
「いえ、そうではないのです。私が一番聞きたいのは、コーネリア嬢が先日こちらを訪れた際にシャーリーとすぐに打ち解けて仲良くなられたその秘訣、笑顔を見せてくれたその理由についてお聞きしたいのです」
「はあっ!」
コーネリアは、思わず呆れ声を出してしまった。
こんなに必死になって聞きたいことが、そんなことだったとは。
「あぁ、あの方はだれに対してもあのように振舞われるのではないですか。わたくしも今まで存じ上げておりませんでしたが、思っていたのとは違ってかなりざっくばらんなお方のようで」
「そう、そうなんだよ!シャーリーは明るくて気さくなとってもいい子なんだ」
さっきまでのしょんぼりした表情と打って変わってまるで自分が褒められでもしたかのようににこにこと笑顔を見せるアンリ王子、コーネリアは何だかバカバカしくなってきた。
こんな王子を振り向かせてたとしても、自分は何の充足感も得られないであろう。というかこの王子にはシャルロッテのことしか目に入らないのだ。
自分がこれから何をしようが、すべては徒労と終わることだろう。
そんな無駄な時間は、もう一秒たりとも過ごしたくはない。
なんだかすっかり目が覚めたような気分になった。
「わかっているならそれでいいではありませんか。では本当にこれで」
「でもね、シャーリーは今の私には笑ってくれないんだ。あの時もすごく怒っていたし」
またしょんぼり顔に戻るアンリ王子に、コーネリアは呆れすぎてもはやけらけらと笑い出したい心持になった。
「そりゃそうでしょう、あんな公衆の面前でわたくしとの婚約内定を白紙になさって、その足でほかの女性にプロポーズ、そんな状況でにこにこと笑いかける女性がどの世界にいるとお思いなの」
「そ、それはそうだよね。わかってはいるんだ。でもね、あのときは勝手に足が動いていた。言葉がどんどん出てきて止まらなくなった。そうせざるを得なかったんだ」
「はー、それをよくわたくしの前でおっしゃれますわね」
「す、すまない。いくら父上の聞き違いから始まった誤解の連鎖とはいえコーネリア嬢、あなたには多大なるご心労をおかけした。姉上にもきつく言われたが、私の配慮が足りなかったんだ」
「えっ、聞き違い?それは一体」
「えっ、もしかして御父上から聞いていないの?」
アンリから詳しいあらましを聞いた後、コーネリア嬢の顔からはあの日の父の上気した顔の何百倍以上もの湯気が噴き出すような気持ちになった。
聞き違いによる間違った返答を自分のいいように勘違いし、きちんと確かめることもせずに興奮して先走ってしまったのだ。
こうなると迷惑をかけられたのは自分やスノーブ家ではなく、王家に対して多大なる不敬を働いてしまったのは自分たちスノーブ侯爵家ではないのか。
恥ずかしさと父への怒りで離宮の柱を力任せに蹴り飛ばしたいような気分になってくる。
「あ、あのコーネリア嬢」
心配そうな顔で自分の顔を覗き込むアンリ王子に対して申し訳ない気持ちがふつふつと湧き上がってくる。
このちょっとおまぬけな王子の恋路を自分たち親子が邪魔してしまったかもしれないのだ。
そしてあのなんの邪気もなさそうな能天気に自分を受け入れて今日も人づてに手を尽くして手に入れた茶菓子でもてなし陽気に少し訛りながらぺちゃくちゃ楽し気におしゃべりしてくれた田舎令嬢は、稀代の悪女とのそしりを受ける羽目となった。
コーネリアは、いたたまれない気持ちになった
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