第13話

 あんなに自分が懇願しても決して開くことのなかったあの分厚い扉が、コーネリア嬢の目の前ではやすやすと開く。

 あまつさえ最後には開け放たれた扉の先で、にこやかなシャーリーが手を振っていた。

 あのたった数分の間に、一体何があったというのだ。

 自分に向けられたシャーリーの最後の顔は、ぷんぷんに怒り狂った顔だったというのに。

【ずるい、ずるい、ずるいぞコーネリア嬢、僕がこんなに願っても願ってもまだ向けられていないあんな愛らしい笑顔を……僕に向けられた最後のシャーリーの笑顔は川べりで別れて再開を誓った時……もう九年も前なんだぞ!あの笑顔を心に刻み付けて、今まで何度も何度も思い返していたというのに、それをあんなにあっさりやすやすと】

 もやもやとした気持ちが抑えきれないアンリは、その足で王宮の姉上の執務室へと向かった。

 机いっぱいに山積みの書類を前にして忙しそうに目と手を動かすマーガレット王太女の横で、アンリはぐちぐちと今日あった出来事を話し続ける。

「ねぇ姉上、一体全体何が起こったのだと思う?僕はさ、最初あの女性がコーネリア嬢だと気づかなかったんだ。頭からすっぽりとショールをかぶっていたからね。それで怪しいともって、剣術指南用の木刀を後ろ手に持って警戒していたんだよ。もしシャーリーに危害を及ぼすような危険人物だったらすぐに飛び出して助けられるようにね。ところが正体はコーネリア嬢じゃないか、驚いて見守っていると二度ビックリ仰天さ、たった数分でシャーリーとコーネリア嬢がすっかり打ち解けてしまってさ、なんと笑顔で手を振りあって別れを惜しんでいたんだよ。どういうことだよ、こんなのありえないだろう。僕とシャーリーはもう九年来の中なんだよ。まぁ会えない時間の方がずっと長くはあったけどさ、でもさぁ長さが全然違うじゃない、こんなの納得がいかないよ。やっぱり女の子同士だからなのかなぁ」

「あぁ、ならまたドレスを着て会いに行けばよいのではないか、それに僕じゃなくて私だろう。もうすぐ成人を迎える王子としてその子供のような物言いはならんぞ」

 仕事に夢中で聞き流しているようでいて要点はしっかり聞いている姉上のアドヴァイスに、アンリはうんうんと耳を傾ける。

「うーん、そうかー女装かーいやーぼ、いや私も考えなくはなかったのだけどね、アンが懐かしく思って打ち解けてくれるんじゃないだろうかとね、でも私に合うサイズのドレスがもうどこにもないんだよ。母上のドレスルームもざっと見て見たけれど、そでを通すのもやっとだよ」

「おいおい、冗談に決まっておろうが、190センチを超える男のドレスなど珍妙なだけだ。シャーリーも懐かしく思うどころかぎょっとするぞ!まったくにょきにょきにょきにょき背ばかり伸びて、お前には私のドレスも無理だ」

「ははは、わかっているよ。シャーリーをびっくりさせたくないもの。姉上の冗談に冗談で返しただけさ。ね、面白かっただろ」

「いや、想像して気分が悪くなったぞ」

「えーそんなー、私こう見えて昔はとってもかわいかったのに」

「はいはい」

 冗談なのか本気なのか読めないところのあるどこか飄々したこの弟のことが、マーガレットはかわいくてたまらなかった。

 自分には元気だったころの母の記憶があり、一緒にブランコ遊びをしたりたくさん楽しかった思い出がある。

 けれど十歳違いのこの弟には弱ってしまった母の記憶しかない。

 不憫だった。母の分も忙しくて構ってくれない父王の分も自分が相手をしてやろうと思っていたが、この弟はどこか脆弱で気持ちが弱い。

 体はすっかり丈夫になり、剣術もなかなかの腕前だ。

 けれど気持ちが優しすぎるのだ。剣術よりも温室で花を愛でることを好むところは母の性質を受け継いだのかもしれない。

 けれど、王子としてもっと気持ちを強く持ってほしい。

 王位継承二位という自覚を持ってほしい。

 そう思っていたところ先日のあの騒動。

 強く気持ちを言えないアンリが、女性とまともに口を利くこともできないあのアンリが実に朗々と自分の気持ちを語り、コーネリア嬢に向き合ったという。

 まぁ、その内容にかなり問題はあるのだが、自分の気持ちをはっきりといえるようになったというのはかなりの進歩だ。

 コーネリア嬢のことを思うと、かなりの親ばか、ならぬ姉バカではあると自分でも承知してはいるのだが。

 そして、このやさしすぎる心のアンリが唯一何よりも執心し、彼女のためなら槍が降ろうが突き進むことをやめないであろうその相手がシャーリー、シャルロッテ・セラ・ワープリン嬢、王子妃になるにあたって家柄は申し分ない、複雑な事情があるにはあるが書類上はきちんと整っているし、元をただせばセラ女王の末裔だ。

【聞き違えによってとんでもない醜聞に巻き込んでは閉まったが人の噂も七十五日、シャーリーが悪女でないとわかれば口さがない貴族たちもそのうち納得してくれるだろう。

 問題はシャーリーの気持ちなのだが。

 あの様子だとまだ恋って何なの、それっておいしいっぺ。というような心境だろう。

 田舎育ちのせいかそういった問題については、年齢より少し幼いような気がする。

 しかし、コーネリア嬢から近づいて行ったか。

 門番に許可証について頼まれたと相談を受けたときは何事もなければいいと危惧したが、候補者のなかに挨拶したい人がいると頼んでいると言っていたと聞いてはすげなく断らせることもできなかったが、どういう魂胆かは知らぬがこれはうまく使えそうだ。】

「あーあ、でもコーネリア嬢はやっぱりずるいよ、やすやすとシャーリーに会えてさ、ちぇつ」

【愛らしくちょっとおバカな我が弟はまだぐちぐちいっておるな、よし、一つ尻を叩いてやるか。シャーリーとの仲を友人以上へと進め、そして彼女以外との女性への恐怖症を直すいいかっけになるやもしれん】

「ふむ、弟よ、姉上のありがたいアドヴァイスがまたほしいか?」

「もちろん!もちろんです!姉上っ!」

「なら一つ劇薬を試してみるか」

「えっ、まさかお芝居にあるような仮死状態になる薬?それで死んだふりをしてシャーリーに心配してもらうとか?でもあのお芝居では本当に死んでしまうのだよね。本人も恋人も」

「いや、これは比喩であって本物の薬ではない」

「あーもちろんわかっていますよっ」

 本当にわかっているのだろうか、青ざめた表情で指がカタカタと震えていたが。

 書類の陰に隠れて苦笑し、マーガレットは本題を切り出す。

「アンリ、お前はたった数分間で何故コーネリア嬢とシャーリーが打ち解けて仲良くなったのか不思議がっていたな」

「そうそう、姉上、いったい何があったのだと思う?」

「それは、その場にいなかった我にはわかりかねるな」

「あー姉上にもわからないのか」

「それはそうだ。しかし、その理由を知っているものもいるな」

「そうだね、それは当人たちなら知っているだろう」

「ならば、当事者に聞けばよいのではないか」

「それができるならとっくにそうしているよ。でもシャーリーは私に会ってはくれないし、その場にいたブリッター女史だってきっと教えてはくれないよ」

「それだけか?もう一人いたのだろう」

「ま、まさかコーネリア嬢!?そりゃいつかお詫びにとは思っていたけれど、今私がスノーブ家のタウンハウスに行っても門前払いされるだろうし、人に見られたらまた噂になって余計に迷惑をかけてしまうよ」

「家に出向けとは言っていない。どうせまたふらふらと離宮に行くんだろう。そこで見かけたら話を聞けばいいんだ」

「そ、そうかその手があったか!」

 ぱっと明るい表情を浮かべた弟をちらりと見てマーガレットは書類の陰でほくそ笑む。

【面白くなってきた】

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