第12話

 コーネリア嬢のシャルロッテの居室への訪問。

 それを、ブリッター女史以上にハラハラして見守った人物がいた。

 早朝だけでは飽き足らず剣術の稽古の合間を縫って離宮にひっそりと姿を現すあの男、そうアンリ王子だ。

 姉であるマーガレット王太女からあのパーティーでの暴走をしこたま叱責され、王宮の廊下に二時間半立たされた。

 けれど、最後にはこの恋を応援している。あのシャーリーが妹になったらどんなにか面白おかしく日々を過ごせるだろう。何がなんでもシャーリーのハートを射止められるように死に物狂いで頑張るようにと激励もしてくれた。

 しかし、その一方で激しいアプローチはダメだという。

 会いたいとただ出向くのが激しいアプローチだというならば、いったい自分はどうすればよいのだ。

 会えないのに恋心を伝えることなんて、果たして可能なのだろうか。

 姉上の侍女に頼んで手紙を渡してもらおうにも禁じられているから駄目だとすげなく断られてしまう。

 もはや八方塞がりだ。

 しかもアンリには禁じておきながら、姉上は自分だけシャーリーと密会したなどとシャーシャーと言ってのける。

「相変わらず表情がくるくる変わって、元気でとっても愛らしいこだったよ、あの子と話すと元気が出るね。ふふっ」

 などと聞かされたアンリの気持ちはどうにもおさまらない。

 アンリにとってのシャーリーは光だ。

 病気がちの母上には、抱きしめてもらった記憶がない。

 寝込んでいるところに顔を出すと、上体を無理に起こしやせ細り枯れ枝のようになってしまった手で弱弱しく頭をなでてくれる。

 暖かなぬくもり、けれどその弱弱しいほほえみと微かにふるえる指先がどこか悲しかった。

 壊れてしまうかもしれない、そう思うと自分から母上によっていって抱き着くことなどできようはずもなかった。

 そのうちアンリが行くと無理をして余計に体調を崩すからと寝室に顔を出すことも禁じられてしまい、熱を出しがちになったアンリが田舎に静養に行きもどってきた後すぐに天へと旅立ってしまった。

 最後の思い出は、あの弱弱しく震える指先だ。

 そんな母とのどこかよそよそしい時間からか、アンリは女性に触れることが怖くなってしまった。

 一見元気そうな乳母も、はしゃいで振り回したら壊れてしまうかもしれない。

 そう思うと並んで歩くくらいが精いっぱいで母の代わりに甘えたりすることなどとてもできなかった。

 ただ、唯一の例外はいた。

 男装姿で剣を振り回す姉上のマーガレット王太女だ。

 どこからどう見ても頑丈そのもののこの姉になら、アンリはいつでも全力でぶつかっていくことができた。

 しかし、姉との遊びは幼い弟にも全く手を抜いてくれない剣術ごっこや、空中に容赦なく放り投げる高い高い、一回転しそうなほど飛ばされるブランコ遊びなどで、どれもこれも激しく胸にすがって甘えるなどというほんわりしたものとは無縁であった。

 けれどそんな姉上にアンリはとても懐いており、静養のために田舎に行かされた際は寂しくて寂しくてベッドの中で人知れず涙をこぼした。

【帰りたい、帰りたい、姉上に遊んでもらいたい】

 そんな思いで乳母と歩く川べりの道で、アンリは運命の少女を見つける。

 たった一人で、でもにこにこと楽しそうに川べりを元気に転げるようにして駆け回り、ときには木にも登って細長い何やら不思議なものもいかにもおいしそうに口をあんぐり開けてパリポリと食べている。

 王宮で見かける幼いのにしゃなりしゃなりとした女子たちとは全然違う、けれど姉上のように荒々しくどの剣士よりも凛々しいといったのとも違う。

 体中から元気が湧きだしているような、昇りたてのお日様のようにきらきらと明るく鮮やかな髪の毛の女の子、あのそばかすといいまるで向日葵みたいだ。

 この子ならきっと壊れない。

 そう思うと、どうしてもその子と話してみたくなった。

 けれど、乳母に相談しても反対されるだろう。

 アンリは昼寝の時間にぬいぐるみをベッドに隠してこっそり抜け出すようになった。

 いつも寝たふりをしているとそれを確認した乳母が、こっそりと抜け出しているのをしっていたからだ。どうやら地元出身の乳母は、自由になるこの時間に幼なじみと密会を重ねていたようだった。

 そんな大人の事情は幼いアンリには気にもならず反って自由になる時間を得られる幸運な時であった。

 アンリという名前、そして王子であることは決して言ってはいけないと姉上に堅く誓わされていたため、本名ではなく母上が自分を呼ぶときに使っていた愛称のアンを名乗った。

 女の子はシャーリー、想像していた通り明るく元気ででもそれだけではないこちらの心にまっすぐ入ってくるような不思議な魅力を持つ女の子だった。

【あぁこんな女の子がいるんだなぁ、姉上と離れ離れなのは寂しいけれどシャーリーと出会えて本当に良かった。田舎に来て本当に良かったなぁ、シャーリーとずっと一緒にいられるならずっとここにいてもいいかも】

 いつしかそんな気持ちが芽生え、姉上への手紙にもシャーリーのことばかり書いた。

 別荘を抜けだしていることには気づいていたのだろうが、姉上は告げ口などしなかった。

 後で知ったことだが、ワープリン公爵家を通じてシャーリーの家である農園の夫妻に目を配ってくれるように頼んでおいたらしい。

 大好きで大切なずっと一緒にいたいお友達、姉上へと感じる愛情とは違う胸がカーッと熱くなってでもどこかチクチクするような不思議な気持ち。

 それが恋心であることに気づいたのは、田舎を去ってずっと後のことだった。

 会いたくて、会いたくて、シャーリーのことを調べに調べた。

 そして、彼女が実はワープリン卿の娘で当時は本人も知らなかったのだろうが、フルネームがシャルロッテ・セラ・ワープリンであることも知った。

 複雑な家庭の事情、でもそれを一切感じさせなかった彼女の明るさに恋心は余計に募る。

 まぁ、シャルロッテ本人は自身の複雑な生い立ちについて一切知らされていなかったのだが。

 姉上のメイドオブオナーの候補者にその名前を見つけた時の胸のときめきは言い表せないほどであった。

 これでシャーリーと毎日会える!自分が実は男であることを知ったら驚かせてしまうかもしれない。だからゆっくりゆっくり距離を縮めてしかるべき時が来たら実は自分はあの時のアンだったと伝える。そして、シャーリーにも自分を想ってもらえたら。

 そう綿密に計画していたというのに、離宮の廊下で偶然を装って軽くぶつかり、謝りながらさり気なく名前を聞くというシミュレーションを何度も何度も頭の中で繰り返しながら離宮の廊下を行ったり来たりしていたというのに!

 自分が知らぬ間にどんどん進んでいきパーティーの一時間前に知らされた婚約内定騒動で何もかもがめちゃくちゃになってしまった。

 姉上にきつく言われた通り、コーネリア嬢は自分と同じく聞き違い婚約騒動の被害者だ。

 あんな場所で婚約内定を否定されて、どんなにか惨めな思いをしたことだろう。

 姉上のおっしゃっていた通りにつつがなく適当に婚約という言葉を決して口に出さずにパーティーを終えて、あれが婚約内定パーティーというのはただの根拠のないうわさで一切そんな事実はないと後から発表してもらえばよかったのだ。

 でもそれだけは嫌だった。たとえ誤解でも聞き違いでも、シャーリーの目の前で婚約披露パーティーなどをするのは耐えられなかったのだ。

 反省すべきは多々ある。コーネリア嬢には申し訳ない。

 けれど、これはないだろう。

 久しぶりに見れたシャーリーの顔が、コーネリア嬢を出迎えた時のものだなんて。



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