第11話

 マーガレット王太女からの忠告の成果か、アンリ王子はシャルロッテの居室の前に現れて面会を懇願することはなくなった。

 しかしあきらめたわけではなく、毎朝早朝に離宮の庭園の隅からシャルロッテの居室の扉を見つめてはほーっとため息をついているとブリッター女史が教えてくれた。

 シャルロッテは困惑していた。

 確かにアンには会いたいのだ、会いたくてたまらないと言ってもいいくらいなのだがそれは相手の気持ちとは愛情の種類が違う。

 シャルロッテが抱いているのは友情、アンリ王子が抱いているのは恋心だというのだから。

 会って気持ちを伝えたい気もするが、それで誤解を与えてしまっては元も子もない。

 それにこちらから姿を現してアンリ王子がまたあの時のように興奮してしまいそんなところを他の令嬢に見られたらまた騒動が大きくなってしまうだろう。

 離宮のホールで王太女殿下の元家庭教師から個人レッスンを受けていた礼儀作法の授業も騒動が起きてから自習となってしまい、三度も食事も食堂ではなく居室に運ばれてくる。

 マーガレット王太女との面会以来居室から一歩も外に出ていない。

 一週間もそんな状況が続いていて、シャルロッテはすっかりうんざりしていた。

 そしてそんな最中、新たな来客がまたシャルロッテのもとを訪れた。

 コンコンコン、ノックが三回。

 王子ならまだしも、全く関係のない人物がこの離宮に勝手に入ることはできない。

 外部の人間が入るには許可がいるのだ。

 ならば、訪ねてきたのは内部の人間であろう。

 ひょっとしたらまた王太女殿下の使者かもしれない。

 そう思って扉を開いたブリッター女史は、あっけにとられた。

 そこには今一番シャルロッテに会いたくないであろう顔があったのだ。

「ごきげんよう」

 かぶっていたショールを脱ぎ捨て優雅に微笑んだその人はまぎれもなくコーネリア・グネヴィア・スノーブ嬢、ちまたではシャルロッテに婚約者を奪われた悲劇のヒロインとなっているあの侯爵令嬢だ。

「あの、お部屋をお間違えでは?」

 まさかシャルロッテを訪ねてきたとは思いもよらないブリッター女史は、シャルロッテを隠すようにして扉の前に立ちふさがる。

「あら、ここはシャルロッテ・セラ・ワープリン嬢のお部屋ではなくて?」

「あの、それは……」

 いつになくまごまごするブリッター女史の陰からシャルロッテはひょっこりと顔をのぞかせた。

「あの、どちら様ですか?」

 そう、シャルロッテはあの騒動の最中ずっとエードに視線がくぎ付けだったため、コーネリアの顔を知らないままだったのだ。

「わ、わたくしをご存じないと」

「えぇ、わたくし田舎育ちなものですから王都の令嬢たちのお姿を存じ上げてなくて、この離宮での授業も個別なものですから同じ候補生とも顔を合わせたことがないんです。あっひょっとして候補生のおひとりですか?」

 自分の顔を見て動揺するどころか知らないと言ってのける。一体この女はどれだけ太い神経をしているのだ。

 あの忌まわしき婚約内定披露パーティーにはこの女も出席していた。

 唯の参加者であるこの女と、あんなことになってしまったとはいえあの場所で主役の一人としていた自分、こちらが顔を知らないならともかくその逆だなんてありえない。

 あまりの屈辱とふつふつと湧き上がってくる怒りでコーネリアのにぎりしめたこぶしはわなわなと震えた。

「あれっ、どこかお加減でも悪いんですか、えっと、お嬢様」

「こ、コーネリアです」

「あっ、コーネリア嬢、ん、コーネリア?」

 やっとピンときた様子のシャルロッテに、怒りをかみ殺したコーネリアはまた優雅さに満ちた微笑を向ける。

「えぇ、コーネリア・グネヴィア・スノーブです」

「あぁ、お初にお目にかかります。コーネリア嬢、この度は大変でしたね」

「あら、御心配どうも、わたくしすっかり元気ですのよ。十七歳といえばひと昔前には結婚適齢期とも言われていましたけど、今は違いますもの。まだまだ自由でいたいですし、結婚なんて考えられないもの」

【一体どういうつもりなの、シャルロッテ・セラ・ワープリン!お前のせいでわたくしはこんな目に合っているというのに。ぬけぬけと、虫も殺さないような顔してやっぱりとんでもない悪女じゃないの】

「あぁ、そうですよね、そうですとも。わたくしも同意見ですわ」

【あー良かったずら。コーネリア嬢本当は結婚したくねかったんだな、そりゃそうだよな、いくら王子だって一言も口きいたことないんだもんな】

「おほほほほー」

【このクソ女!】

「うふふふふー」

【あーコーネリア嬢楽しそうでよがった。わざわざあいさつに来てくれるなんてよい人だっぺ】

 真横で繰り広げられるかみ合っているようでずれている会話、コーネリアから醸し出される氷のような空気にブリッター女史は戦慄する。

 一聴するとシャルロッテがデリカシーのない返答をしているように思えるが、彼女は婚約内定取り消し事件の真相を知っているし、あれが勘違いの連鎖により発生してしまった不幸な事故だということをコーネリア本人も知っていると思っているのだ。

 けれど、実際にはコーネリアは父から事情を説明されていない。

 こんな状態で会話がかみ合うわけがないのだ。

 しかし、一応は会話が成立していることはいる。

 互いの心は全くの一本通行だというのに。

 そこから生じる不協和音がブリッター女史の心を一層ざわつかせる。

【セバスチャンさんからのお手紙で一応の概要は私も知らせてもらいましたが、コーネリア嬢も御父上から聞いて知っているのよね。シャルロッテ嬢には非はないことを、それなのにこの雰囲気は何なのかしら、全くうちのお嬢様はこの不穏な空気に全く気付かずにこにこにこにこ、本当に呑気ね。しかしコーネリア嬢は一体何しに来たのかしら】

 そんなブリッター女史の疑念は、コーネリアの次の言葉で一層深まる。

「わたくしね、これからシャルロッテ様と仲良くしていただきたいの。こんな形になってしまいましたけどこうして知り合えたのも何かのご縁ですもの、ね、よろしくて」

 優しいようでいてとげとげしく耳をさすような尖ったガラスを天鵞絨でくるんで隠したようなその低音に、ブリッター女史の背筋はちくちく痛む。

「わーうれしい!王都でお友達ができるの初めて、あっ、王都から来た友達はいたのだけどね」

 シャルロッテはその真意など疑うこともなく、ただただひそかに心配していた、けれど顔も知らなかったコーネリア嬢の申し出にうきうきしている。

「わー、うれしい」

「うふふ、そんなに喜んでいただけてわたくしの方もうれしいわ、ではこれからちょくちょくこちらにお邪魔してもよろしいかしら?シャルロッテ嬢はご存じないかもしれないけどわたくしもメイドオブオナーの候補者に選ばれていたの、だから離宮に入る許可証はいただいていたんだけれど返しそびれていて、まだ有効だって確認できたので」

「あー、辞退したんだよね」

 コーネリアが結婚したくなかったという言葉をそのまま信じたシャルロッテは気兼ねなくそんな言葉を口にしたが、コーネリアの唇はぷるぷると震える。

「えぇ、そうなのよー!ではまたお邪魔するわね」

「えぇ、お待ちしています」

 優雅に手を振りながらコーネリアのこめかみはぴきぴきと引きつる。

 いくら悪女とはいえ少しは慚愧の念があるだろう、そこに付け込んで近づこうとあれこれ考えていたのに、あんなふうにあっけらかんと悪びれず接してくるとは。

 思いがけない強敵かもしれない。

 コーネリアは今回の醜聞に同情した離宮の門番が偽造してくれた許可証を見つめながらほおっとため息をついた。

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