第10話

 メイドオブオナーの候補者に先駆けて王都にたち、候補入りを改めて正式に辞退して離宮からスノーブ家のタウンハウスに向かおうとしていたその時、コーネリアは意外な人物の姿を目にした。

 ふわふわとした金色の巻き毛にミルク色のきめ細やかな肌、深い深い青空のような紺碧の瞳、歴代一愛らしいと評される王子、自分との婚約が内定したアンリ王子だ。

【どうしよう、ご挨拶した方がいいのかしら、もちろんすべきよね、あっ私はあの方の妻になるのですからきちんと】

「あっあの、此度のことよろしくお願いいたします」

 すれ違いざまやっとの思いでそう声をかけると、アンリ王子はぽかんとした表情をした後こっくりとうなずき照れ臭そうにきょろきょろと辺りを見回した。

【あぁ、照れてらっしゃるのね。アンリ王子はとてもシャイな方だと父上もおっしゃっていたし、そうよね、今のわたくしは鳥の巣頭の子豚ちゃんじゃない。王都のパーティーでも一番の花とされる美貌の持ち主だもの。ふふふ目も合わせられないほど照れるなんて本当にかわいい人。王子妃になったらわたくしがリードして引っ張っていってあげなくちゃ】

 コーネリアは、すっかり思い違いをしていた。

 この時のアンリ王子は、婚約の内定のことなどまったく知らない。

 いきなり声を掛けられた見覚えのない女性が、自分の婚約者になるだなんて露ほども思っていないのだ。

 何しろスノーブ卿が約束を交わしたという王ですら、こんなことになっているとは全く知らないのだから伝わっているわけがない。

 アンリ王子が離宮に顔を出したのはメイドオブオナー候補が今日やってくると聞いていたからであって、こっそり名簿を盗み見てその候補者の中にシャルロッテの名前があるのを見つけて喜び勇んで彼女に一目会いにやってきたのだ。

 コーネリアが照れ臭そうだと思ったのは、見知らぬ女性に声をかけられている姿をシャルロッテに見られたらどうしようと困惑して耳があかくなっていただけであり、高速で頷いたのはすぐに解放されたかったから、そしてきょろきょろしていたのはシャルロッテの到着を今か今かと待ちわびていただけであった。

 こうして絡まりあった勘違いの糸はこじれにこじれ、婚約内定の拒否というサンセット連合王国始まって以来のスキャンダルとなってしまったのだった。


【どうして、どうして、どうして!よろしくお願いしますっていったら頷いて承知していたじゃない。わたくしに声をかけられて照れていたじゃないの。今まで一度も言葉を交わしたことがなかったのにぺらぺらぺらぺら……よりによってあんなに貴族たちが集まったパーティー会場であんなみっともなく断られてわたくしどうしたらいいの、父上はあれから何も言ってこないし、兄さまはへらへら笑いながら王都中の噂になっているぞとかからかいにくるし!あーもう最低よ。こんな醜聞の的になってしまったら、もうわたくしに良縁が来ることなんて二度とないわ、ずっとこのタウンハウスに引きこもってタウンハウスの亡霊に、いや、そんなの絶対いや、でもスノーブ屋敷にも帰れない、母上は微笑んでくれるどころかもう二度と口すら利いてくれないかもしれないわ、それを我慢して居座ったとしてもそのうち兄さまにお嫁さんが来るわ、あーもうどうしよう、わたくしどうしたらいいの!】

 ヘアアイロンで髪を伸ばす余裕もなくくしゃくしゃの鳥の巣頭でベッドに突っ伏せ悩み苦しむコーネリア、その脳裏にはとある少女の姿が染みついて離れない。

 あの日、パーティー会場から飛び出して庭園の茂みに隠れるようにして泣いていたら、燃えるようなオレンジの髪を振り乱して小柄な少女が駆け去っていった。

 噂で囁かれている王子にプロポーズされ、コーネリアが惨めな思いをする羽目になった元凶の少女の特徴とぴたりと一致する。

 あの少女がシャルロッテ・セラ・ワープリン公爵令嬢であることに間違いはないだろう。

【一体なぜなの、皆のうわさを聞いたってわたくしがシャルロッテ・セラ・ワープリンに劣っているところなんてひとつもないわ。いつもむっつりと押し黙っていて、離宮に滞在するほかの令嬢たちの茶会にも顔を出さない。すごく暗い子だって話じゃない。それなのに王子に取り入るすべだけは持っているだなんて、まさに悪女じゃない。魔性の女よ。こっちはメイドオブオナーを辞退してしまって婚約内定も白紙に、それなのにあっちは候補者のままで呑気に離宮にいるのよ。そんなのありえない、いくらなんでも不公平よ】

 ぐるぐるぐるぐるどんなに考えても、自分がこのような状況に陥ってしまった理由がコーネリアにはわからなかった。

 この婚約のきっかけになったレオリオ王の聞き間違いはマーガレット王太女の計らいによりコーネリアの名誉を守るためにと世間には伏せられ、巻き込まれたシャルロッテとその父であるワープリン公爵も了承済みだ。

 コーネリアの父であるスノーブ公爵も知らされてはいたのだが、自分の早とちりによるこの醜聞が気恥ずかしかったのか、娘には何も告げていなかった。

 すわ王子妃の父、ひょっとしたら将来の王妃の父、そして王の祖父となるというふくらみに膨らみ切った野望が泡となって消えてしまった失意のせいもあるかもしれない。

 そして、王子の思い人がワープリン公爵令嬢のシャルロッテであったこともその失意に追い打ちをかけた。

 同じ年で王都でともに学生時代を過ごした二人は、苛烈な競争相手だった。

 武門の家柄に生まれながら文学をこのみ、領地での農作物の研究に没頭するワープリン、ワープリン家より歴史は浅いながら武門や外交に活路を見出したスノーブ家、しかし長い間戦はなく武門の雄を見せる場もない。

 放蕩により落ちぶれたワープリン公爵家なのに初代国王との戦の名声は残り続ける。

 それが悔しいし、剣の腕では決して負けないのにそれを実践で披露できず、学問ではいつもワープリンが上を行くのがどうにも気に入らなかった。

 けれど、あの婚約内定ですべてが変わった。

 向こうの娘は単なる女官候補の一人でしかなく、こちらは王子妃に内定、美しさも品格もそして地位も圧倒的に上回る。

 もう競争相手などにはなりえない。そう思っていたというのに。

 そんな悔しさにまみれた父のマグマのようなどろどろに煮え立った失意など知りえないコーネリアもまた自分を蹴落とした燃える髪の少女に延々と思いを巡らせる。

【どうやってシャルロッテ・セラ・ワープリンがアンリ王子の気をひいたのか、その心をがんじがらめにしたのか、どうしても気になるわ、わたくしはスノーブ領、いいえ、王都でも、ううんこのサンセット連合王国一の努力家よ!あの娘がどんな手練手管を持っていたとしてもその手口を盗んでみせる!そうして王子の方からあのときは申し訳ございませんでしたどうか私と婚約してくださいって懇願させてみせるわ!それを聞いたら外国の王族からだって引く手あまたになるかもしれない。そしたらパーンっとアンリ王子の手を振り払ってもっと素敵な人のところに嫁ぐの。わたくしにこの国は狭すぎるわ】

 新しい目標を見つけたコーネリアの目には、めらめらと闘志の炎が燃え始めた。

 そしておもむろに鏡台に向かうと放り出していたヘアアイロンで髪を整え、頬紅と口紅を差し、鏡の向こうのもう一人の自分ににっこりと微笑みかける。

「ねぇ、わたくしなら絶対にできるわ、そうでしょう。こんなに素敵なんだもの」

 しばしうっとりとその姿に見とれた後、すっくと立ちあがったコーネリアはドレスの上にスノーブ家の色である薄紫色のショールを羽織り目的の場所へと足を速めた。


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