第8話

「へ、でもいっつもドレス着てたんに」

「あぁ、それはね。王家の習わしなんだよ」

「体の弱い男子が生まれると、七つまでは女の子の格好をして育てるんだ。すると、丈夫になるといわれていてね」

「はぁ」

「元々はセラフィナ女王が男装で育ってご長寿だったことが馴れ初めだそうなんだが、いつしか逆転していたんだ」

「ほー」

 シャルロッテは何が何だかもうわからず、そんな相槌しか打てない。

「しかしね、そんな恰好をして育ったくせにあの子、アンリは女の子と話すのが大の苦手でね」

「えっ!?」

 あの川べりで、アンは初めははにかみながらたどたどしくでも慣れてきたら実に饒舌にシャルロッテにおしゃべりしていたのに。

「あぁ、君のとっては意外だろうね。うむ、アンリがまともに話せるのはお亡くなりになった母上、そして我、家族以外ではシャーリー、君だけなんだよ」

「そ、それは子供だったからでは」

「いいや、我はこんななりだから意識しなくて良かったんだろうが、幼いころも侍女や若い娘が来ると母上のスカートの後ろに隠れていたのだよ」

「じゃぁ、そんであんな行動に」

 理由はわからないが、まともに話せる唯一の女性と再会して頭に血がのぼってしまったのだろう。

 むしろ異性として意識していないからこそなのかもしれない。

「では、女性と、スノーブ嬢と打ち解けてお話できるようになれば問題はすべて解決なさるのではないでしょうか」

 アンことアンリ王子の不可解な行動の謎が解けて霧が晴れるように頭がすっきりしてきたシャルロッテは、なまらずに言葉が出てくるようになった。

 それに気づいたマーガレット王太女はつまらなそうに小さく鼻に皺を寄せたが、ここでまたシャルロッテをからかってぐずぐずしている場合ではないと思いなおし、弟の婚約内定破棄についての疑念を晴らすべく口を開く。

「いや、そういう問題ではないのだよ。うむ、此度の婚約内定破棄騒動に関しては我にも責任の一端があるのだ」

「えっ、王太女殿下にですか?」

「うむ、アンリは先ほど言った通り女の子ときちんと会話することができぬ、であるからしてコーネリア嬢とも全くと言っていいほど交流がなかった」

 それで何故婚約内定になるのだろう。シャルロッテは不思議に思ったが、父であるアーサー・ワープリン公爵と卿夫人ミレーユの結婚のいきさつを考えれば、王侯貴族ではこんなことも珍しいことではないのかもしれない。

 まぁ王家がスノーブ卿に借金をしているなどということはないだろうが。

「そうですか、御両家でお決めになって」

「いや、それもまた違うのだ」

「?」

 本人同士は交流していない。

 家同士で決めたことでもない。

 何故、それで婚約内定という運びになってしまうのだろうか。

 シャルロッテの頭の中は、またこんがらがり始めた。

「一体どういうことだろうと不思議に思うだろうね」

 マーガレット王太女の問いかけにも、こくこく頷くことしかできない。

「これはね、スノーブ卿の先走りなんだよ。父上が病で臥せっているのはしっているかな」

「は、はい、父から聞きました」

「スノーブ卿は初めは我のメイドオブオナーにコーネリア嬢を内定してもらおうと父上の見舞いに来た折に頼もうとしたようなのだ。しかし父上はまどろんでおられて卿の言葉を聞き違えた。正式に選ばれるようにコーネリアの推薦をお願いします。という言葉に、アンリにやってくれとお返事してしまったそうなのだ」

「そ、それはどのようなお聞き違え」

「ははは、そうだな。どうやら半分眠っていて水仙しか聞き取れずにそれを見舞いに持ってきたものと聞き違えたらしいのだ。我と違ってアンリは花が好きだからな」

「あぁ」

「我は公務に没頭しておってな。国境沿いの視察に出かけておる際に話がどんどん進んでしまっておったのだ。アンリの了解も得ているとのことで、我が口をはさむことではないと思っておったのが誤りであった」

「王子も聞き間違いを?」

「ははは、そうではないよ。父君から話を聞いたコーネリア嬢が離宮の廊下ですれ違った際に此度のことよろしくお願いいたします。と挨拶してきてな、それに頷いて応えてしまったそうなのだ。まぁ今回のパーティーも我や父上も関与しておらずカジュアルにそれとなく報告しようというスノーブ卿の考えで正式な婚約披露の場ではなかったのだが、アンリはすっかり思いつめていたようでな、あのようなこととなってしまった」

 聞き違いでどんどん進んでいく自分の婚姻話、アンリ王子は、アンはどんなにか困惑したことだろう。だからといっていきなり自分に結婚を申し込むという暴挙についてはやはり理解しかねるが。

 シャルロッテは、事の次第を納得したようなできないようなどうにも言い表すことのできない微妙な心持になってしまった。

「シャーリーにもずいぶん迷惑をかけてしまったね。混乱しただろう」

「えぇ、けれどやっぱりわたすはアン、アンリ王子の気持ちが理解できません。確かにわたすらは仲の良い友人ですたが、ずっと会っていなかったのです。いぎなり結婚したいとか。やはり唯一しゃべることができることで勘違いすてるのでは」

 また微妙に訛り始めたシャルロッテがほほえましくてまた笑いかけそうになったマーガレット王太女であるが、それが混乱から来るものであるということはその眉間の皺からよくわかり、ぐっとそれを飲み込んだ。

 それにあの夏の別れの日から目の前のこの少女、シャルロッテへの恋慕の情をせつせつと訴えかけられていた自分にははっきりとわかる。

 アンリのあの感情は、気楽にしゃべることができるなどという勘違いからくるものではないだろう。どんなに美しい令嬢でも、どんなに愉快な話ができる令嬢でも、気配りの権化のように細かいところに気の届く令嬢でも、その心をぴくりとも動かすことはできなかったのだから。

 それに実際にくるくるとよく動くその表情やどんなに抑えようとしても生き生きと力があふれ出るようなその声にじかに接していればよくわかる。

 この田舎育ちのきゅうり令嬢には、他のどの令嬢にもないような魅力があるのだ。

 小さな体中からあふれて噴き出してきそうなほどの生命力のエネルギーが。

「ふむ、この魅力に幼いながらに気づくとはさすが我が弟、見る目があるな」

「へっ、何を見るんで、す?」

「ハハッ、こちらのこと、ただの独り言だ」

 けれど、当の本人は己から湧き出るその輝きに一切気づいていない。

 そこもまたたまらぬ魅力なのであろう。

「此度のことはシャーリー、シャルロッテ嬢に迷惑をかけただけならず、コーネリア嬢にも多大なショックを与えてしまったことだろう。アンリには君へのあからさまなアプローチは控えるようによく言い聞かせておこう」

 王太女殿下の計らいに、シャルロッテはやっと一息つく。

 アンリ王子もしばらく頭を冷やせば落ち着いてくれるだろう。

 今のままなら顔を合わせるのは不安でしかないが、落ち着いたころなら幼友達のアンとシャーリーとしてまた仲良く話せる日が来るかもしれない。

 貴族のお嬢さんと思っていたら王子だった。

 ずいぶんびっくりさせられはしたけれど、やはり大事な友人、かけがえのない初めての友人ということには変わりがないのだから。

 その時を楽しみにしてふっと微笑んだシャルロッテに、マーガレット王女は冷や水を浴びせるような一声を投げつける。

「ちなみに、あからさまでないひっそりとしたことは禁止するつもりはないよ。我は弟の恋の一番の応援団長なのだからね」

 薔薇のつるに巻かれた籐椅子に腰かけ優美に唇の端を上げた女騎士のその美しい顔が、シャルロッテには悪魔の微笑みのように見えたのだった。


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