第7話

 セバスチャンが迎えに来るよりもっとずっと前、農園のそばにある別荘に貴族の子供がやって来た。

 体が弱いため静養に来たのだという。

 シャルロッテと同じ年頃のその子は、いつも綺麗なドレスを着て桃色のかわいいリボンを綿毛のようなふわふわの黄金色の髪に結んで、乳母に付き添われてしゃなりしゃなりと川べりを歩いていた。

 それを遠巻きに眺めるだけだったシャルロッテであったが、ある日川べりで冷やしていたきゅうりをぽりぽり齧っていると、綿毛のその子がひょいと隣に座ってきた。

「ねぇ、そ、それなぁに?」

「きゅうりだけんど」

「えっ、あのサンドイッチのきゅうり?そんなを形しているんだね」

「サンドイッチのきゅうりは知ってるのに、丸ごとのきゅうりはしらないずらか?」

「うん、切ってパンにはさんであるのしか見たことがないよ」

「ほー、母さんが切ってるのも見たことないんか?」

「うん、うちのお母さまはお料理はしないよ。厨房で料理人が作るけど、私はその中へは入れてもらえないんだ」

「ほほー、お貴族様ってのも面倒くさいんずらな」

「そうなのかなー、そうかもしれないね。ね、それ美味しいの?」

「うん、食ってみるっぺ」

「わーうれしい、ありがとう」

 冷えたきゅうりを齧ったその子は「おいしいね」とつぶやきふふふとはにかんだ笑顔を見せた。

「お礼にキャンディあげるね。私はアン、あなたは」

「へへっ、あなたなんてこそばゆいな。あたいはシャーリー」

 その時もらったキャンディのイチゴ味は、祖母の作ってくれるお菓子とはまた違う不思議な甘さをシャルロッテにもたらした。

 そして、それから二人は時折川べりできゅうりを食べなんでもないような日々の出来事を語り合うようになった。

 しかし、別れは唐突に訪れた。

 昼寝の時間にこっそり別荘を抜けだしているのが露見してしまい、健康が上向きになってきたこともありアンは家に戻されることになってしまった。

 田舎を離れることを嫌がったアンは夜中にこっそり別荘を抜けだし、裸足のままシャルロッテから自宅だと聞いていた農園の家にやって来た。

 コツンと投げられた石に気づいたシャルロッテは、家でかくまうと見つかるかもしれないというアンの心配とそのおびえる姿に胸を打たれ、ともに家を抜けだしてあてもなく川べりを空が白むまで歩き続けた。

 その時、白馬に跨ってアンをさがしに来たのが今この目の前にいるマーガレット王太女その人であったのだ。

 歩き疲れてうずくまっていた子供たちの前に雲間から差し込む朝日にきらめく亜麻色の髪をなびかせて颯爽と現れた白馬に乗った騎士、余りの格好良さにシャルロッテは口をぽかーんと開けて見とれてしまった。

「アン、心配かけちゃだめじゃないか。たまたま我が近くに演習に来ていたからよかったものの」

「ごめんなさい」

 しょんぼりとうなだれるアンをしり目に、シャルロッテはきらきらと輝く目で騎士を見つめる。

「わー、アンのお兄さんって騎士だったんずらー!近衛兵?格好いいっぺ」

「えっ、違うよ」

「へっ、じゃあなして軍服」

「えっとそうじゃなくって、兄さまじゃなくて姉さまなの」

 目をきょろきょろさせたアンは小さな両手をぶんぶん振り回して、騎士とシャルロッテを交互に見つめる。

「うっわー女騎士!めっぽうかっこいいずら!あたいもなりたい!」

 わーわーとはしゃぎ痛む足も忘れて飛び跳ねるシャルロッテを見て、あのときもマーガレット王太女は顔を真っ赤にして笑っていた。

 そしてひとしきり笑い終えるとアンをひょいと馬にのせ、ポンポンとシャルロッテの頭を軽くたたき「女騎士になりたかったら王都においで、いつでも待っているよ」と優しく微笑み颯爽と朝霧の中へ消えていったのだった。

 あの格好いい女騎士がよもや王太女だったとは。


「わっ、わっ、わっ」

 あまりの衝撃に、シャルロッテの口からはそんな言葉にならない声しか出てこなくなってしまった。

「ははは、ずいぶんと驚かせてしまったようだね、けれど忘れられてしまっていた我はずいぶん寂しい思いだったのだよ。こちらは一日たりとも忘れたことはなかったというのに」

【いくらなんでもそりゃぁ話を盛りすぎだっぺよ。王太女様がちらっと会ったことがあるだけの田舎の子供のことそこまで覚えているとかないずらよーあっ、女騎士が王太女殿下なら、アンもただの貴族の子じゃなくてお姫様、王女だったってことずらよね。元気だっぺか、王都にはいるんだべね、それらしき姫様は一度も見かけてねぇけども、体は元気になったんずらよね、まさか、具合を悪くしたりどか】

 一度思い出すとどんどんアンのことが気がかりになってくる。いや、アンのことは忘れてしまっていたわけではなく心の隅に残ってはいて、メイドオブオナーの候補者にいないかどうかチェックはしていたのだがアンという名前は名簿になく、アンジェレッタ伯爵令嬢という名でハッとしたのだが、ブリッター女史に確認してみたところブルネットの髪で姉もいないとのことで別人だということがわかり、家名も知らなかったので広い王都で再会するのは無理だろうとあきらめていたのだ。

 けれど、会えるなら会いたい。

 こちらの身分が公爵令嬢へと変わったとはいえ、あちらは王女様だ。

 子供のころよりもその身分差は身にしみてわかる。

 いわば雲の上の人なのだ。まぁもっと太陽に近い場所の人が今目の前にいるのではあるが。

 それでもこれはアンリ王子のしでかしたことにより例外的に面会できているだけだ。

 ここでお願いするのは筋違いであろう。

 しかし、それでもアンに会いたい。

 川べりでいっしょにきゅうりを食べて何でもないおしゃべりをして、つかの間の幼い日々を共に過ごしたシャルロッテにとって生まれて初めてできた外から来た友達。

 会いたい、会いたくてたまらない。一目だけでも。

 それがかなわないならば、せめて近況だけでも。どうしているのかだけでも知りたい。

「あ、あの、アンはえっとアン王女は、元気に、元気にしていらっしゃるのでしょうか」

「あぁ、アン、元気にしているよ。田舎の空気がよかったのだろうかあれ以来風邪一つひかない元気な子になってね」

「よかった。本当に良かった」

「ふふふ、アンのことはしっかり覚えていたんだね。我とは違って」

「そ、それは」

「ははっ、冗談だよ。君たちはずいぶんと仲が良かったようだね、こちらに帰ってきてからもアンは君の話ばかりしていてね。会いたい、会いたい、って毎日毎日聞かされていたんだよ。そんなわけで我も君のことを忘れられる暇がなかったってことなのさ」

 マーガレット王太女は、また楽し気にくすくすと笑う。

「それとね、アンは王女ではないんだよ」

 マーガレット王太女のその言葉にシャルロッテはぎょっとする。

 王太女の妹君なのに王女ではない?

 まさか、アンも自分のように複雑な生い立ちの子供だったのだろうか。

 怪訝そうなシャルロッテの表情に、マーガレット王太女はハッとした顔をして、こう付け加えた。

「あぁ、別に複雑な事情はないからご心配なく。アンは王女になるのは無理なだけだから」

「えっ、それは一体どういった」

 王家の事情にこれ以上嘴を挟むことなど不敬だとわかってはいても、どうしても気になった。

「うむ、大したことではないのだけれどね、ところでシャルロッテ、アンに会いたいかい?」

 話をそらされた。

 やはり、何か複雑な事情が。

 でもこの好機を逃すわけにはいかない。

「はい、はい、会いたいです」

「そうか、それを聞いたらアンは飛び跳ねて喜ぶだろうな」

 マーガレット王女の笑いは、どんどん大きくなってゆく。

「もう会っているんだよ。実は」

「へっ!いつ」

「つい最近だよ。その前にもアンの方は幾度も君を見かけていたようだけどね」

「えっ、気づかなかった」

「うむ、あまりに興奮して思わずプロポーズしてしまったようだ」

「へあっ!?」

「アンはね、アンリだよ。王子だから王女にはなれないってわけなのさ」

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