第5話
夕食を終えた後、セバスチャンはシャルロッテを伴ってワープリン卿の書斎の隣にある小さな執事室へと向かった。
ざっくりとしか説明していなかったシャルロッテがここに呼ばれた理由、そしてその生い立ちとワープリン家の事情について詳しく話すためだ。
「本来ならシャルロッテお嬢様のお部屋にお荷物を置いてごゆっくりされてからの方がよろしいのでしょうが、夜も更けてまいりましたので」
「へっ、あたいの部屋なんてあるんか?」
「えぇ、勿論でございます。シャルロッテお嬢様がお生まれになってから旦那様がずっとご用意されておりますよ」
「はぁ」
十三年前に用意された部屋、埃をかぶっていそうだ。
その点が気になるところではあるが、いちいちそんなことを確かめる前に聞いておかなければならないことが沢山ありすぎる。
「では、今お茶をご用意いたしますので」
夜が更けているといいながら丹念にセバスチャンが淹れてくれた紅茶は、砂糖を入れていないのにほんのりとした甘み、そしてその中にはうっすらとした渋みもあってどこか大人びた味がした。
それからゆっくりとお茶を味わいながらセバスチャンから聞いた話は、食事中にぼんやりと考えていたシャルロッテの想像をはるかに上回る話だった。
王都で勉強していた女子学生だったマリーと現在のワープリン卿、アーサーは休日にワープリン家のタウンハウスで逢瀬を楽しんでいた。
はじめは互いの読んだ本の感想を語り合うような幼い恋心だった二人の気持ちは、アーサーに婚約話が持ち上がったころに形を変え、激情に火が付いた。
しかし、親同士の決めた婚約を反故にすることなどできようはずもなかった。
なぜなら婚約者、ミレーユ・ボンネットの家から多額の持参金を受け取ってしまっていたからだ。
ミレーユ・ボンネットは、南東の大陸の新興財閥の一人娘だった。
もともと先祖はサンセット連合王国の本島出身のしがない工夫であったのが、新天地を求めて当時開拓され始めたばかりの大陸に渡り、ダイヤモンド鉱山で一山当ててその資金を元手に蒸気自動車の生産に乗り出し、今や財閥まで率いる大富豪家になった。
その逆にアーサーの父である当時のワープリン公爵は放蕩が過ぎて先祖の財産を食いつぶし、つてをたよりにこのボンネット家から多額の借金までしていたのだ。
先祖の出身国である伝統あるサンセット連合王国の公爵家に娘を嫁入りさせて家名に箔をつけたいボンネット家と、借金の帳消し、その上多額の持参金と今後の援助の約束を取り付けたワープリン公爵の思惑は完全に一致し、アーサーには何の相談もなく婚約どころか婚姻の日取りまで勝手に決められ、国王に報告までされてしまった。
もはやどうにもならず大陸から花嫁がやってきた日、マリーは身を寄せていたタウンハウスそばのアパートメントから姿を消したのだという。
その後まもなくしてワインを飲みながら風呂場で転倒してタイルに頭を打ち付けてこの世を去った父の跡を継ぎ新たなワープリン公爵となったアーサーは父親の不良債権を整理し、領地の一部でしか栽培できない古来種の花の栽培に力を入れてそれを希少な鑑賞花として価値をあげて売り経済を立て直し、娘も引き取りたいと申し出たが妻の許しは得られなかった。
「そもそも結婚してすぐに里帰りさせられて、婚外子をあたくしの子であると勝手に届けられてしまった時点でとてつもない侮辱ですのよ!このあたくしを誰だとお思いなの?
フリッパー大陸の薔薇と謳われたミレーユ・ボンネットですのよ!求婚者が数多、群れを成していたというのにお父様ったら勝手にこんな田舎貴族との結婚を決めてしまって!もう、もうっ、大体ねぇ、あたくし馬車なんて大嫌いなの。糞をまき散らして臭いったらないわ!折角文明の利器である蒸気自動車があるっていうのに!ボンネット自動車の最新モデルをお父様が送ってくださるって言うのに!技師がいないだの蒸気が農作物にどうのとかごちゃごちゃごちゃまくし立てて断ってしまうし!あーあたくしもううんざり。しばらく国に帰らせてもらいますわ」
ミレーユがそう言い放って屋敷を出たのは、今からちょうど一年前のことだという。
「奥様はチャールズ坊ちゃんも呼び寄せたいと何度か手紙を送ってこられているのですが、何しろこの公爵家の跡取りですからね、旦那様は首を縦に振らず」
幼い子供が一年も母親に会えていない。
そうなると帰ってくるではなくいらっしゃるとまるで客人のように言っていたチャールズの言葉も合点がいく。
しかし、婚外子である自分を実の娘だと届けられてしまった卿夫人の怒りもわからないでもない。
知らされた詳しい事実にもやはり物語を聞いているだけのような、そんな他人事のような気持ちはぬぐい切れない。
「それで、これからが本題なのですが」
「へっ?」
「王太女殿下のメイドオブオナーについてです」
「あぁ」
そういえばそんな話も聞いていたが、あまりに濃厚な家庭の事情を聴かされていてすっかり忘れてしまっていた。
「ミレーユ奥様が出ていかれてから三月後に、旦那様に王都から打診があったのです。田舎で静養されているご息女の体調はいかがか。王太女殿下が貴族育ちのご令嬢だけではなく田舎の一般的な民の暮らしも見聞きなさった女官も欲しいと提言なされたとのことで」
「あーそれであたいに、じゃけどあたいは見聞きしてるとかじゃなくってまさにただの田舎者ずらが」
「いえいえいえ、農園の平民になったとはいえ元をたどればシャルロッテお嬢様のご先祖はセラフィナ女王につらなっているれっきとした貴族の御出自です。そしてワープリン家のご息女でもある。由緒正しいお血筋ですよ」
「うーん、そうなんかなぁ、ぴんとこないずら」
「た・だ・し!そのお言葉遣いはいただけません!それでは王太女様にお言葉が通じないやもしれません。これから王都ご出発までの三週間、みっちりとベテランの家庭教師について教育させていただきます。どうかご心配なさらずにブリッター女史は幾人ものメイドオブオナーの御令嬢を育て上げたこの道のプロ中のプロでございますから、みっちりとしごいてシャルロッテお嬢様を王都のどんなご令嬢にも引けを取らない素晴らしいレディへと育て上げてくださいますことでしょう!」
「み、みっちり、しごく……」
人差し指をぴんと張りらんらんと輝く瞳で熱く語るセバスチャンの不穏な言葉たちに背筋がぞっとしたしたシャルロットの予感は、見事に的中する。
心配していたとの違って黴臭くなくきれいに掃除された自室のふかふかのベッドに倒れこみ、許容できる範囲をオーバーした話を散々詰め込まれていてくたくたになっていたシャルロッテはすぐに眠りについたのだが、深い深いその眠りはたった数時間後に突如として妨げられてしまった。
「さぁ、シャルロッテ嬢、もうニワトリもクックドゥードゥードゥルドゥーと元気に鳴き声を上げていますよ。さっさとベッドから起き上がってくださいな」
きっちりと毛の一本たりとも出ていないひっつめ髪に賢そうな鼈甲の丸眼鏡、どう見ても家庭教師以外ありえないであろうという妙齢の女性に叩き起こされてしまったのだ。
「うぅん、まだ外は暗いずら」
「そんなことありません!ほらお日様はもう昇っていますよ。まぁ今日は曇っているわね、まぁでも雲の切れ間から見えますから、ほらご覧くださいませ」
「うーん、でも眠い」
「まぁ、マーガレット王太女殿下はヒバリのように早起きで公務を忙しくこなされていると評判ですのに。お付きの女官がそんなフクロウのようではいけませんよ」
「うー女官とかどうでもいいずらぁ」
「ずらじゃありません!」
「じゃあどうでもいいでごじゃいますー」
「いい加減になさい!」
シャルロッテとブリッター女史、それが互いに第一印象最悪の二人の出会いであった。
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