第4話

 田舎の家の全ての部屋を合わせたよりも大きな食堂の中央にでーんと鎮座しているマホガニーのテーブル、そんな食卓にさっき知り合ったばかりの弟とたった二人で座る。

 シャルロッテは、どうしていいやら分からなくなった。

 田舎では農作業を終えた両親、そして弟と小さな食卓にぎっちり並んでスープやパンを食べた。

 けれど、こんな広いテーブルだというのに弟のチャールズとシャルロッテは、小さな声だと届かないくらい離れて座るのだ。

「あ、あのセバスチャンさんは、座らねぇんでがすか?」

「はい、わたくしは別の場所でいただきますので」

 農園では季節作業員の若者たちも入れ代わり立ち代わりではあるが、同じ食卓を囲んだ。

 けれど、ここでは違うらしい。

 セバスチャンの傍らでは、紺色のワンピースに白いエプロン姿のメイドらしき中年の女性もただじっと立ってこちらの様子を見ている。

 なんだか落ち着かなくなってシャルロッテは、手前にあった小さなガラスの容器に入った春の花のようによい香りのする水を一気に飲み干した。

「あっ、お嬢様、こちらは」

 メイドに慌てて容器を取り上げられたが後の祭り、もう一滴も残っていない。

「えっ、飲んじゃダメだったん?」

「は、はぁこちらは」

「シャルロッテお嬢様、こちらはフィンガーボールといいましてお食事の前に手を清めるための水でございます」

 気まずそうに口ごもるメイドの代わりにセバスチャンが説明する。

「へっ、家ではいつも井戸の水で洗ってたもんでよーこんなしゃれた手洗いがあるとは知らんかった」

「はぁ、わたくしがきちんと説明しておくべきでした」

「あー、じゃあこりゃ飲んじゃダメな水だったんかい。腹を下したりすっかいな」

「いえ、そういうわけではございませんが」

 セバスチャンとシャルロッテのやり取りに、チャールズは笑いをこらえきれない。

「ぷぷっ、お姉さまってやっぱり面白いでがすなーお母さまにも見せたら面白がるだろうな。ねぇ、ねぇ爺や、お母さま今度いついらっしゃるの?」

 帰ってくるの、ではなくいらっしゃるのと聞いたチャールズの言葉にシャルロッテはハッとした。

 そういえば、この屋敷に来てから卿夫人であるチャールズの母親の気配を一度も感じなかった。

「爺にもわかりかねますが、そう遠くない日に大陸から帰って来られるかもしれませんね」

「えーそうだったらいいな、また蒸気自動車でぶーんしゅっぽーって格好よくいらっしゃるかな。あまーいあまーいケーキやビスケットたくさんお持ちになって」

 蒸気自動車、農園の父が王都から来た若者と話題にしていたのを小耳にはさんだことはあるが、実際は目にしたことがない。

 先進好きの貴族が王都で乗り回している馬のいらない乗り物のようなのだが。

 チャールズの母親は、どうやら新しもの好きのようだ。

 新しい関心ごとに気を取られたシャルロッテは、手を洗うための水を飲み干してしまったという気恥ずかしさをすっかり忘れてしまった。

 さて、いよいよ初めての公爵家の貴族の食卓。

 一体どんな美味しいものが食べられるのだろうと膨らみ切っていたシャルロッテの期待は、無残にも打ち砕かれた。

 前菜の野菜スープにズッキーニやキャベツの煮物から始まりうなぎのゼリー寄せ、メインのローストビーフに付け合わせのグレイビープディングにマッシュポテト、農園の家で食べていた食事とは比べ物にならないほど豪勢ではあるのだが、どれもこれも冷め切っていて薄味で野菜の味にもどこか力がないような気がする。

 これだったらいつも家で食べていたキノコとパースニップのポタージュやひよこ豆の煮込みの方がよっぽど味わい深いし、時々市場に行ったときに食べさせてもらっていた露店のタラと芋のフライの方がよっぽど豪勢だ。

「あー、タラのフライが食べたい」

 ぽつりと漏らしたシャルロッテの一言をチャールズは聞き漏らさない。

「何々シャルロッテお姉さま、そのタラのフライって」

 テーブルの端から端に届くような元気な声で聞いてくる。

「あぁ、魚市場の露店で揚げたてのタラと芋のフライを売ってるずら、ほっかほかでうめぇよ」

「わーステキ、素敵だなぁ。僕も食べてみたい!爺や、ねぇ、僕も魚市場に行ってみたいよ」

「ほっほっほ、魚市場はお屋敷からずいぶん遠方ですからねぇ、まだお小さいチャールズ坊ちゃまでは少し疲れて体調を崩されておしまいになるかもしれませんから、もっと大きくおなりになられてからにしましょうね」

「えーっでもシャルロッテお姉さまもそんなに大きくないじゃない、僕より少しだけ背が高いだけでしょう」

「お背はそうかもしれませぬが、御年は五つも上でらっしゃるのですよ」

「えー!もっと小さいと思ってた」

 余計なことを言うなとばかりにぎろりとシャルロッテを一瞥した後、セバスチャンはチャールズを何とか言いくるめるのに一苦労していた。

 その間シャルロッテは我関せずとばかりに食事収めのデザートに手を付けようとする。

 冷め切って味気なかった料理たちと違い、目の前のデザートは実に食欲をそそる見栄えだ。

 そして、懐かしい気分にもなる。

 祖母が特別な日、初夏生まれの孫たちの誕生日だけに作ってくれていたあれ。

 ウィットサンケーキだ。

 本来はウィットサン、イースターから五十日目に食べるものだが、祖母は孫姉弟のためにと合同の誕生日会にも腕を振るってくれていたのだ。

 甘酸っぱくて爽やかな夏の始まりを感じる味のするグーズベリーがたっぷり入ったケーキの上に白く可憐な愛らしいエルダーフラワーが飾られた素敵なケーキ、祖母と別れてから初めて食べるその味が待ちきれなくて細かに細工のされた銀のフォークを伸ばした手が一瞬止まる。

 今思い浮かべている祖母のあのケーキと全然違う味だったら、冷めた料理を食べた時とは比べ物にならないほどがっかりするような気がしたからだ。

 けれど、タラのフライと魚市場の話題にすっかり飽きたのか一足先にケーキに手を付けていたチャールズの幸せそうな破顔を目にすると居てもたってもいられなくなり、遠慮がちに小さくカットしたそのひとかけらを舌にのせた。

【あれっ、どうしてだぁ、このケーキばあちゃんの味にめっぽう似てる。それにこのグーズベリーもうちの庭のと同じ味だべ】

 首をかしげながら一口、もう一口と食べすすめて最後のひとかけらを飲み下した時、食堂の奥から一人の老コックが姿を現した。

「シャルロッテお嬢様、お初にお目にかかりますですだ」

 ぺこりと頭を下げるそのくしゃくしゃの皺だらけの老コックの面影は、どこか亡くなった祖母を思い起こさせる柔和な顔だ。

「シャルロッテお嬢様、彼は家の専属菓子職人でノアと申します。農園のおばあさんの一番上のお兄さんですよ」

「あぁ、こうやって会えるなんて嬉しい限りだなっす。公爵家の王都のタウンハウスで会ったっきり妹とはとんと会えずじめぇで、でもこうしてお嬢様に会えた。このグーズベリーは田舎から持って来て公爵家の庭園の隅に植えさせていただいたものなっす。どうしてもお嬢様に食べて頂きたくってなぁ」

 田舎のグーズベリーと同じ木、そして祖母の兄、どうりで懐かしいどこかやさしさを感じる味がしたはずだ。

 祖母の作っていた王都仕込みのお菓子の数々は、この兄から教えてもらったものだったのだろう。

 祖母の味は、ここでまだ生きていたのだ。

【ビリーにも食べさせてあげたかったずら】

 シャルロッテの胸は熱くなり暖かいものが滲みだしてきた目を伏せて、ナプキンの端でそっと目じりをぬぐった。


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