第3話
シャルロッテがワープリン公爵家の屋敷に呼ばれたのは、公爵が一度も会ったことのない娘可愛さの気持ちが募りよそに預けているその不憫さに苛まれてなどということではなく、ほかに理由があった。
「あぁ、お前か、シャルロッテか」
屋敷につくなりぽつりと一言だけ発しちらりと一瞥をくれてから押し黙りぴんと張ったひげを弄るワープリン公爵、そしてその横で不思議そうにシャルロッテを見つめているワープリン家の長男、シャルロッテにとって腹違いの弟にあたるチャールズ、三すくみ状態になっているこの三人が血縁関係にあることは、だれの目にも明らかだった。
朝焼けのようなはたまた燃え盛る炎のような鮮やかで目の覚めるようなオレンジの波打つ髪、アーモンド形の猫のような琥珀色の瞳に薄く赤みがかった唇、そして小さくツンととがった鼻、その上から右から左の頬に流れるように散らばった向日葵の種のようなそばかす、父にある髭を除けば何から何までそっくりなのだ。
「あ、あの、あなたはぼくのお姉さまなの?」
チャールズがこう問いかけるのもさもありなんだ。
「あ、えっと」
シャルロッテは返答に困ってしまった。
目の前にいる明らかに自分にそっくりなこの子を見れば、弟であることはまず間違いないだろうとは思うのだが、セバスチャンからはこのことについてまだ何の説明も受けていない。
何しろ自分が公爵の娘、道ならぬ恋によって誕生したいわゆる落とし胤であることを知ったのもつい一時間ほど前の馬車の道中であったのだから。
「そうだ、お前の姉さま、シャルロッテだよ。静養に行っていた田舎から帰ってくると先刻言っておいただろう」
助け舟のつもりなのか、ワープリン卿が口をはさむ。
しかし、静養というその言葉にシャルロッテは余計に困惑してしまう。
【静養……あたい生まれてこの方大きな病気どころか風邪一つひいたこともないんだけでも。あたいから一番縁遠い言葉ずら。一体あたいはこのお屋敷でどういう説明されてるんずらか。しっかし顔はあたいとそっくりだけど農園のビリーと違って、この子はずいぶん坊ちゃんぽいなぁ。年は、ビリーよりは少し上だべな】
慌てて連れられて来てしまったため別れの挨拶すらできなかったが、シャルロッテにはビリーという今年十歳になる弟がいた。
今となっては、実際にはいとこということになるのだろうが。
【あぁビリー川に遊びに行ってたらいきなりあたいが消えちゃっててずいぶんびっくりしてるだろうな、泣いていたりしなきゃいいけども】
少し年が離れているせいかシャルロッテは農園の仕事で忙しい両親の代わりにビリーの世話をよく焼いていた。
おねしょをしてぎゃんぎゃん泣いているビリーのぐしょぐしょに濡れた寝間着やくじらのようなしみのついたシーツの始末をしてやったこともある。
世話焼きの姉と泣き虫の弟、仲の良い姉弟であったが、こと食べ物、特に甘いもののことでは喧嘩が絶えなかった。
ビリーが五歳になった年に亡くなってしまった祖母が健在なうちはまだよかった。
彼女はお菓子作りが大得意で、きゅうりのほかに温室で貴族用に栽培しているフルーツの中で不揃いなもの、色つやがよくなくて出荷できないものを使ってはジャムを作り、ジャムタルトやジャムローリーポーリーといった乳母時代に覚えた王都仕込みのしゃれたお菓子を作って幼い孫たちに振舞ってくれていたのだ。
しかし、祖母が亡くなると幼い兄弟のおやつは果物のみになってしまった。
しかも不揃いの果物からできるジャムも売り物にしてしまった商売上手なローリーのせいでおやつにもできなくなり、露地にひょっこり生えたひしゃげたスイカや庭木のグーズベリーを取り合う羽目になってしまった。
【あぁ、おやつが一人占めできるぞってひょっとしたら喜んでるかもしれねぇな。ま、泣いてなきゃいいか。こっから帰るときにはうめぇ菓子でも土産に買っていってやるか】
この時のシャルロッテは自分が何のためにこの屋敷に呼ばれたのかも知らず、どうせ気まぐれで呼ばれただけだろう。しばらくの間滞在したらまたひょっこり農場に戻されるのだろうと思っていたのだ。
「あーところでシャルロッテ、お前がここに来た理由についてだが」
顔を合わせたばかりの実の父親、ワープリン卿が再び口を開くまでは。
「お前も知っているかもしれぬが、わが国、サンセット連合王国の現国王であらせられるレオリオ王は体調を崩されて静養されておる」
「はぁ、そりゃ初めて聞いたべが」
「べがって!」
シャルロッテの田舎訛りに思わずぷっと噴き出したチャールズを、ワープリン卿がスッと手で諫める。
「あぁ、そうか、農園の方までは知られていないかもしれんな。まぁそれでマーガレット王太女が名代としてご公務をこなされておるのだが、そう遠くない日に即位されることもあるやもしれん」
「はぁ、そうでがすか」
ワープリン卿のしている話が自分がここに呼ばれた件と一体何の関係があるのか、シャルロッテには皆目見当がつかなかった。
「それでな、セラ様、セラフィナ女王のご即位のころからの習わしで、サンセット王国に女王が即位するときには貴族の娘の中からお付きの女官、メイドオブオナーが選ばれることになっているんだ」
「はぁ」
これもまた自分とは何の関係もなさそうな話だと、シャルロッテは気のない相槌を打つ。
「そこで、わがワープリン家にもその旨通知が届いたのだ」
「へぇ」
「これはとても名誉なことだ。貴族の中でも歴史ある一族からしか選ばれないのだからな!初代国王とともに北方遠征で獅子奮迅の活躍をしたエンポリオ将軍からつらなる我がワープリン家なら当然のことではあるが」
えへんと胸を張り髭をもてあそぶ、ワープリン卿、しかしなぜこんなに嬉しそうに自分にこの話をしてくるのか、シャルロッテにはやはり理由がわからない。
「何、他人事のような顔をしているのだ。王太女の身の回りで礼儀を勉強でき戴冠式の際には御裾持ちをさせていただける大変栄誉あるお役目なのだぞ」
そばかすが浮き上がるように頬を赤くしてぷりぷりするワープリン卿にシャルロッテはきょとんとした顔を向ける。
「はぁだからその名誉だか栄誉だかとあたいが何の関係が」
「あたいとは何だ!わたくしと言いなさい」
「はぁわたくすにとってはおっしゃる通り他人事でげすが」
「違う!お前自身のことだ」
「へっ!?」
「だからそのメイドオブオナーの候補にシャルロッテ、お前が選ばれたんだ!」
「へっ、あた、わたくすが何でまた」
「そりゃお前がこの私の娘、歴史あるワープリン公爵家の令嬢だからだろう」
「はぁ、でも」
ほんの数刻前まで自分は農園の娘だと思って生きていたのだ。シャルロッテが戸惑うのも無理はない。
「あぁ、もういいっ!詳しい説明は爺やからしてもらうがいい。ではセバスチャン任せたぞ」
「かしこまりました。旦那様」
音もたてずにいつの間にかそばに控えていたセバスチャンに全てを丸投げすると、ワープリン卿は怒り任せに振り乱したせいで乱れた髭を胸ポケットから出した小さな櫛で整えながら屋敷の奥へと去って行ってしまった。
「では、シャルロッテお嬢様、チャールズ坊ちゃま、そろそろご夕食の準備が整ったころでございます。食堂に行かれてください」
「わー僕とってもお腹が減っていたんだ。さっきのお父様のぷりぷりしたお顔を見ていたら焼き立てのパンを思い出しちゃって」
「それはちょうどようございました」
どうやらこちらの弟も食い意地が張っていることに関しては同じようだ。
「シャルロッテお嬢様もまずは食事を終えましたら、先ほどのお話の続きを」
さすが老齢のベテラン執事、シャルロットの困惑した気持ちもお見通しだった。
しかしてシャルロッテの初めての貴族の食事が始まった。
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