第2話

 燃えるような髪を持つ激情の女、けれどその実心は冷え冷えとしていて氷のようだ。

 シャルロッテは地味で目立たない公爵令嬢から一夜にして稀代の悪役令嬢としてその名をはせることとなってしまった。

「あの上品でお優しくお美しいコーネリア嬢を袖にしてあのような悪女にころりと騙されるとは」

「王子はきっと物珍しさに目がくらんだだけだろう。一時のことさ」

「そりゃワープリン卿は公爵でスノーブ卿より身分は上だけど、国の政は任されていないいつも領地をぶらぶら王都をぶらぶらのぶらぶら公爵だってのになぁ、優秀なスノーブ家の方が断然いいだろうに」

 口さがないうわさ話、そんな喧噪の中にいることに、当のシャルロッテは全く気づいていなかった。

 何しろ自分に突然求婚してきたのが自分が滞在しているこの離宮の主であるマーガレット王太女の弟であるアンリ王子だということすら未だに分かっていないのだから。

 控室で待っていたブリッター女史が事の顛末を知ってこめかみを押さえてため息をついたが、エードをがぶ飲みするシャルロッテに真相を伝えるのはしばし待つことにした。

「ブリッター女史、この度はわが弟の暴走によりそちらを巻き込んでしまいました。このことはこちらでなんとか始末をつけるので、そちらは動かないでいただきたい」

 王太女付きの侍女からそう手紙を受け取っていたのだ。

 しかし、そんな周囲の監視の目をすり抜けて、離宮の奥にあるシャルロッテの居室の扉の前に日参する者が現れた。

「シャーリー、シャーリー、僕だよ、この前はごめんよ、どうか一目だけでも顔を見せておくれよ」

 ブリッター女史にすげなく追い払われても何度も何度も現れ扉の前に絹の小袋に入った向日葵の種を置いてゆくその者は、そうシャルロッテと大立ち回りを演じ目下渦中の人となっているあのアンリ王子だ。

「アイツ、本当に何者なんじゃ。うーんあの綿毛のような頭はなんとなく見覚えがあるような、いやないような」

 首をかしげるシャルロッテの脳裏に、ぼんやりと子供時代を過ごした田舎の情景がよみがえる。

「しかし、あれは違うな、うむ」


 シャルロッテ・セラ・ワープリンは、王都の南にある田舎の農園で生まれた。

 農場主夫妻はまたいとこ同士であり、彼らの高祖母の曾祖母の大叔母のそのまたまたいとこの従妹の曾祖母の長兄の末娘が初代女王のセラ女王の母君であるといううっすらとした縁戚関係の田舎の末端貴族であったのだが、五代前のご先祖である男爵令嬢が伯爵家の末息子との婚儀目前にして農家の息子である旅の役者と出奔して貴族の地位を失った平民になった。

 しかし、なぜか当時伯爵家と領地問題を抱えていた公爵家からの助け舟で王侯貴族用のきゅうりを作る農園を土地ごと任されて今に至る。

 シャルロッテはこの農場で、農場主夫妻を両親と信じて疑わずすくすくと元気に育っていた。

 十六歳を迎えるあの日までは。

 あの夏、誕生日の朝いつものように公爵向けの温室にはない露地栽培のトマトを丸かじりしていると、見慣れない立派な馬車が農園の横道を走り去った。

「なんだが立派は立派だけども、きゅうりを取りに来たにしてはずいぶん小さい馬車だなっす」

 首をひねっていると、母のローリーが息せき切ってシャルロッテを呼びに来た。

「シャ、シャーリー、あ、あんたのお父さんが、お父さんからの使者が」

「父さん?今温室にいるっぺ」

「いや、そうじゃなくて、あんたの本当の」

「本当のって何さ?」

「あー、説明してる暇はない、兎に角さっさと一張羅に着替えて、髪も、あぁくしゃくしゃだ、ほら梳いてやるずら」

「ぎゃー母さん、痛いずらー」

 詳しい説明もされないまま日曜の教会用のお出かけ着を着せられ力任せに絡まった髪を梳かれたシャルロッテは、あの仰々しい馬車に乗ってやって来たちょっと偉そうな老紳士の前に引きずり出された。

「お久しゅうございます。シャルロッテお嬢様。御父上の筆頭執事のセバスチャンでございます」

「ひ、久しぶり?」

 何故かシャルロッテに帽子を脱いで恭しくお辞儀した老紳士は、意外な言葉を告げた。

 どう考えても初対面だというのに。

「あぁ、お嬢様は覚えておられないでしょうな。爺が一度だけお目にかかったときは、まだ生後間もないころであらせられましたから」

 どうやら赤ん坊のころに会っていたようだが、それならシャルロッテが覚えていなくても仕方はない。

「そ、そうずらか。赤ちゃんの頃に、はぁ会ってんだべか」

「ずら!?だべ!!」

 ほんの先刻まで優しい笑みを浮かべていた老紳士は、シャルロッテの言葉にピクリとまゆをあげて険しい目つきになって顔をしかめた。

「あ、あぁほんに申し訳ないすなぁセバスチャンさん、うちはこのここらは御覧の通りにド田舎なもんですから、うちらもこの子もこんな調子のガサツな言葉づかいでね」

 いつの間にか温室から戻ってきていた父親のセスのフォローにもその表情は和らがない。

「まぁ、その辺りの部分はこちらにいらしてから一から学びなおせばよいでしょう、まだお若いのですからすぐに直せることでしょう。ふぅ」

 小さなため息をついた後、老紳士執事のセバスチャンはまたにこやかで品のある笑みを作り直し、シャルロッテに向き合う。

「シャルロッテお嬢様、予定よりしばし遅くなってしまいましたがお迎えに参りました。お嬢様はこれからワープリン家のご領地の北方にあるお屋敷に向かわれその後準備を整えたのち王都へと行かれることになります。さぁ参りましょう。急がなければ日が暮れてしまいます」

「へあ!?」

 青天の霹靂とはまさにこのこと。

 母から説明を受ける間もなく、セバスチャンが連れてきた妙齢の侍女に今まで触れたこともないようなつるつるのドレスに着替えさせられ髪をくるくると結われたシャルロッテは、馬車の道中でセバスチャンから自らの出自について聞かされることになったのだった。


 今まで母親だと思っていたローリーは、実は母の姉、つまり伯母であった。

 彼女らの母親、つまりシャルロッテにとっての祖母はワープリン公爵家の末弟の乳母をしていた。

 まだ幼かったシャルロッテの母であるマリーも一緒についていったのだが、その時庭園で知り合ったのちのワープリン公爵であるアーサーと親しくなり、文通が主であったその交流は勉強が好きだったマリーが成長して奨学金を得て王都の女子学院の寄宿舎に入っても続いた。

 そして、翌年の春に農園へと突然戻ってきたマリーの姿を見て両親は仰天した。

 そのお腹は大きく膨らんでいたのだ。

 いくら延々とたどれば初代女王につながるとはいえ農園の娘、公爵夫人として迎え入れられるなどということもなく、産後の肥立ちが悪くすぐに旅立った妹の娘はまだ結婚したばかりであった姉夫婦の子として育てられることとなった。

 アーサーは出産にも臨終にも立ち会うことはなかったが、見舞いの品をセバスチャンに言づけた。

 そのためセバスチャンは赤子のシャルロッテと面会したことがあったのだ。

 淡々と簡潔に語られたそのあらましを聞きながら、ゆったりとした馬車の揺れに引きずられるようにしてシャルロッテはまどろんだ。

 想定外の事実、驚愕して取り乱し叫びだしてもおかしくないくらいだが、余りにものんびりと田舎の自然児として自由気ままに生きてきた自分とは不釣り合い、そんなドラマチックな出来事はなんだか絵空事のようで、まったく実感がわかなかったのだ。

 時折欠伸を交えながらこっくりこっくりと舟を漕ぐシャルロッテの姿を見ても、セバスチャンは農場での時のように眉を上げたり顔をしかめることはなくただ悲しそうに微笑みながらその様子を見つめているだけだった。

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