「顔にでけえ傷付けて片腕無くした醜体で一生街をうろつきなっ! テメーは今日から俺達の宣伝塔だっ!」

 俺の兄は、いつも面倒見の鬼だった。

 俺のことしか知らない人に、「この人はザイナスの兄だ」と紹介したとしても、基本的には信じないだろうと思う。


 家を追い出される俺に、金貨の詰まった財布を持たせて、新しい服を着せて、新しい靴を履かせて、地図を渡して近隣の土地のことを教えてくれて、大急ぎで旅の必需品を買い揃えてバッグに詰めて、それを玄関に置いてから旅立ち前の俺の食事をメイド達に作らせていた。


 本当に、俺の兄とは思えない。

 あの父から生まれた息子とも思えない。

 たぶん、よそから嫁いで来た母親の血だろう。

 執事やメイドも苦笑しながら、弟を過度に心配する兄の指示に喜んで従っていたように見えた。兄はいつだって、自然と『普通の人』に慕われる人だった。


「兄さん、あの後の捧剣祭はどうなった? フェニアの騎士任命の日にちは決まった頃だろうか。元々、捧剣祭は『1人の勇者が22人の騎士を選んだ』伝説をなぞる祭事だから、優勝者が勇者の子孫である現王によって騎士に任命されて終わるはずだと記憶しているが」


「あの子は……おそらくだけど、騎士にはなれない。ザイナスは怒るだろうけどね」


「は?」


 俺は、俺自身が驚くほど、低い声を出した。


「何故だ?」


「落ち着きなさい、ザイナス」


 この国の王族は基本的に、世話係と近衛の騎士、一部の貴族と重臣を除いて、誰にも姿を見せない。呪詛を避ける伝統だからだ。


 平民は一生王族の姿を見る機会など無いが、彼らにも1つだけ王族と会う手段がある。

 捧剣祭で優勝し、王族に拝謁し『国に認められた最も貴き騎士』に任命されることだ。


 騎士にも多々ある。

 俺のような血筋だけの騎士。

 騎士と名乗ってるだけの傭兵。

 貴族の部下として雇用された騎士。

 偉業によって騎士の称号を与えられた騎士。


 中でも、世界中の強者が集まる捧剣祭で優勝し、最も古くから騎士の伝統と格式を保っているこの国の王族に任命される騎士は、大陸のどこに行っても通用する偉大な肩書きとなる。

 誰もが姿を見たことがないこの国の王族は、そうして任命した最も貴き騎士を通じて、時に何か大きなことを成す、らしい。


 俺はそれになりたかった。

 フェニアがそれになるなら納得できた。

 憎くても、悔しくても、あの女ほどにそれに相応しい人間が他に居るとは思えなかったから。


 見えざる王族。

 その代理人として遣わされる最強の騎士。

 それが捧剣祭の優勝者に与えられる栄誉だ。


 だから俺は、それが成されていないということに、ひたすら困惑していた。


「怒ってはいけないよ、ザイナス。……『平民の優勝は前例がない』ということで、彼女の優勝をどう取り扱うか、保留にしようという貴族の動きが22家のどこかから出ていたんだ」


 それは、捧剣祭の優勝を目指した全ての者達に対する侮辱とも取れるものだった。


 俺はその時、人生でそれほどまでに怒ったことがないというほどに、怒っていた気がする。


「そいつはふざけてるのか、兄さん」


「まあ、ふざけた言い分だ。公平性という考え方で見るなら論外と言っていい。でもね……その話に決着がつく前に、フェニアさんが消えてしまったんだよ、忽然とね」


「……それはどういう」


「何か用事があったのか、元々騎士の肩書きに興味が無かったのか、はたまた貴族が絡むゴタゴタを嫌がったのか……個人的な勘だけども、ゴタゴタを嫌がった線が強い気がする。勘だけどもね」


「……」


 この時の俺は、冷静なつもりだった。


 後になって振り返ってみると、脳味噌が残らず茹だっていそうなくらいには沸騰していた。


「あの女が何を考えてるかなんか知らないが、もし本当に、『かつて平民から勇者に選ばれた騎士』の子孫である貴族が、今の時代に平民から選ばれた騎士の歩みを邪魔をしてるなんて、そんな許されないことがあるのなら。そのせいであの女が面倒を避けて逃げるしかなかったというのなら。……見過ごせるものか」


 この国では、騎士を任命する時に用いられる、儀礼の定型文がある。


「兄さん。『貴方を騎士と認める。どうか末永く、守護の礎と成らんことを願う』……これを兄さんの名において平民騎士フェニアに贈ったと、そういうことにして広めてくれないだろうか。俺はもう廃嫡されたから何もできないけれど、代わりに次期当主に選ばれるはずの兄さんなら……」


「分かった」


 父も恐れず即答してくれた兄の優しさに、この時の俺は全く気付いていなかったあたり、おそらく相当に茹だっていた。


 けれど、今振り返っても分からないこともある。


 あの時の兄は、何故笑っていたんだろうか。


「なんで笑うんだ、兄さん」


「いや、なんというか……弟のことを何でも知っている兄気取りだった自分がおかしく思えてね。この歳になって、齢15になる弟の新しい一面を見ることになるなんて思ってなかったんだ」


「新しい一面……?」


「ああ。僕はザイナスが他人の名誉のためにそんな必死な顔をするのを、初めて見たんだよ」


 兄は楽しそうに笑って、優しく微笑んでいた。


 俺はただ、思うことをそのまま述べた。


「俺は、俺に勝った騎士に当然の機会を与えたいだけなんだ。俺に勝った者の栄光を認めないということは、1人の勝者の陰で敗者となった俺達のことも間接的に貶めているということだから」


「そうか」


「あの女は……フェニアは、優勝したんだ。才能だけで労せず頂点に至ったわけじゃない。あれは努力で磨かれた剣だった。それは汗も流していない外野に否定されていいものじゃない」


「うん」


「俺達はたった三分に人生の全てをぶつけ合ってる。剣を交えれば相手のことが分かるくらいに。あの女と鎬を削った俺は、屋敷でふんぞり返ってる貴族の老害よりはずっと、あの女の努力を理解してるはずなんだ。だから平民だからなんて理由でそれを蔑ろにする奴らが居ても、俺だけは最後まで……」


 兄は俺を見てずっと笑っていた。


 その理由はまるで分からない。


「……兄さん、何故笑ってるんだ……?」


「悪いことばかりじゃなかったなと思ってね」


「?」


「こういう楽しさは年頃の弟を持つ兄の特権だなぁ。うん。世の中悪いことばかりじゃない」


 兄は時々こうなることがあった。

 俺にはよく分からないことを考えていて、俺には理解できないところで何かを納得している。

 兄は俺よりずっと豊かな人だったから、兄は俺の考えていることが分かっても、俺には兄の考えていることが分からないのだ。


 兄ウォルザインは、ずっとそういう男だった。


「ごめんね、ザイナス」


「謝られる理由がない」


「長男の僕が弱いせいで、僕がこの家に生まれたせいで、僕が父上の期待に応えられなかったせいで、君に何もかも押し付けてしまった。辛いことも、苦しいことも、傷付くことも、責任も、役目も……全ては僕が情けなったせいだ」


 ずっと要らない罪悪感を抱えている兄だった。


「大丈夫」


 俺には勿体無い兄だと、ずっと思っている。


「あなたの選択も、人生も、そして俺に向けてくれた思いやりも。全て間違いじゃなかったと……俺が証明してみせる。必ず」


「……気負い過ぎだザイナス。もっと気楽でいい。もっと適当でいいんだ、分かる?」


「分からない」


「ああもう」


 俺が家を追い出される前の最後の食事。

 兄の厚意で振る舞われたそれを食べながら、俺は兄と何の意味も無いような話をずっとした。

 別れの前に、思い出話を、何度も何度も。


 兄の方から話しかけて来てくれないと、家族と益体も無い雑談を始めることもない、そんな自分がどれだけダメなやつなのか、俺はよく知っている。


「昔は兄さんが『ザイナスばっかり才能があってずるい』って言って、泣いて俺のことをはたいたりしてたのにな」


「いやぁ、悪かったと思ってるよ。お兄ちゃんらしくはなかったよね。ごめんごめん」


 久しぶりに、家族と長話をした。

 フェニアのせいで、とは言いたくないが、フェニアのおかげで、と言うのは何かが変で。

 あの女は何もしてないが。

 いや本当に何もしてないはずだが。

 ……強いて言うなら、やはりフェニアのおかげで、それがきっかけになって、俺は兄と楽しく話せたということになるのかもしれない。


 何かが変わる予感があった。

 何かが変わっても何が変わったのかよく分からないまま、過ぎ去ってしまう予感もあった。

 自分の何かが変わっても俺は言語化できない。

 自分のどこがどう変わったのか言語化できる人間は尊敬に値する。器用な奴だ。






 兄に貰った地図を手に、家を出て、まず西の方にある町へ向かった。

 道中に大したことは起こらなかったが、確か木々がまばらに散った道路沿いの開けた場所で、名声目当ての賊5人に襲われたりはした。


「道を空けてくれないか」


「おいおい、平民のガキ、それも女に負けたハリボテ剣士様が随分と偉そうじゃあねえか、なあ?」


 だいぶ驕り高ぶった賊であったように思う。

 血の匂いがだいぶ濃かった。

 おそらく5人全員が10人から30人は殺していたであろう賊達。世に蔓延る残酷な小悪だ。


「眠れる獅子が張り子の虎だとバレたんだ。それでビビるような阿呆は居ねえさ。ここでお前をのして……無敗を誇った22家の元次期当主を仕留めたっつーハクを付けさせてもらうぜっ! 安心しろ、殺しはしねえ! 顔にでけえ傷付けて片腕無くした醜体で一生街をうろつきなっ! テメーは今日から俺達の宣伝塔だっ!」

「うおおおおっ!」

「ふぅ」

「シッ」

「ヒャァ!」


 賊は俺を囲み、飛びかかる。

 俺は少しばかり、周りを見た。


 敵は5人。

 伏兵はなし。

 5人の流派は構えと握りを見る限り、22の騎士の1人・誓いの英雄騎士タウが開祖となったタウ流系剣術の分派の1つ『タウ一刀一殺流』。この国の平民が最も学ぶ機会が多い剣術のそれ。


 地面に不確定要素は無し。

 周囲に不確定要素は無し。

 ここ数日続いた晴れによって泥濘ぬかるみも見当たらない。

 地面の下にモグラが2、木々の合間に鳥が5、草むらにハエが4。


 俺の歩幅で140歩ほど先の草むらに、一輪の花が咲いていて、その花の上を蟻が歩いている。

 つるつるとした花弁に足を滑らせ、蟻がつるりと滑り落ちる。


 それを合図に、剣の柄に手を掛けた。


 剣を抜く。

 走る。

 剣を振る事、敵と擦れ違う都度一つ。

 重ねて五つ。

 賊の眼球に残像が残る内に、命をった。


 花から滑り落ちた空中の蟻に、そっと手を添え、柔らかく受け止め、花の央に優しく置く。

 そして、抜いた剣を鞘へと戻す。

 ぱちん、と小気味の良い音一つ。

 俺はこの音が好きだった。


 そして、五つの賊が十の死体に変わって地面に落ちる音がした。

 上半身が五つ。

 下半身が五つ。


 辛うじて息があった男が、何か喋っていた。


「ば、馬鹿な……速ッ……強……この強さが……あって……平民の、ガキ、なんぞ、に、負ける、わけがっ……なに、がっ……」


「誰よりも速く動いて、誰よりも速く斬れば永遠に負けないと思っていた。そして負けた。それが俺だ。負けて全てを失った、つまらん剣だよ」


 全員の息が絶えてから、俺は歩き出した。


 彼らの死体は、獣が食って片付けただろう。


「だけどな」


 道中大したことは無かったが、それゆえ俺には考える時間がたっぷりあった。

 歩きながら考えた。

 どうするか。

 何をするか。

 この先のこと、これからのこと。

 これまでのこと。


───所詮荷物持ちの子孫じゃあな

───剣術なんかもういいよな!


 フェニアのことを考えるだけで、胸中はありったけの感情が混ぜこぜになって、俺は何をしたいのか分からなくなって来る。

 その混沌から、俺は1つの目標を掬い上げた。


「負けっぱなしで終わるつもりはない」


 負けたままでは終われない。

 勝ちたい。

 あの女に。

 そして、取り戻す。

 俺の心から欠けた全てを。

 そして、マイナスをゼロに戻さねば。


 そう心に決めて、俺はまた歩き出した。


 ただ、そうだ。

 この時の俺は自覚していなかったけれど、1つだけ、認めたくない事実を認めなければならない。


 貴族生まれ屋敷育ちの俺は、ただ1人で未知の世界に放り出され、どこか心細く、誤魔化しようもなく寂しく、自覚できない悲しみを抱えていて───だけど、『負けっぱなしでいられるか』という気持ちがそれら全てを塗り潰していて。

 負けん気だけで、歩き続けていた。


 歩いて、歩いて、歩いて。

 鍛えた体は悲鳴を上げない。

 けれど心が悲鳴を上げる。

 そんな悲鳴を、負けん気で掻き消して進む。


 やがて日が暮れ、野宿が始まる。

 兄が渡してくれた弁当を食べ始めると、一緒に食事を摂ってくれた兄の温かみを思い出して、風の肌寒さを感じて、一人ぼっちで食事をしている自分を自覚して、湧き上がる昏い感情の全てを噛み潰して横になった。


 そうして、夢を見た。

 フェニアに負けた時から何度も見ている夢。

 負けたあの日を繰り返す夢を。

 何度挑んでも、何度挑んでも、あの日のフェニアに俺は勝てず、地面を舐める。


 憎い。

 悔しい。

 忌々しい。

 強い。

 美しい。

 可憐だ。

 素晴らしい。


 夢に無数に湧く印象の欠片を拾い上げ、俺の心は次々と"彼女はどういう人間なのか"という結論を組み上げていく。


 『強い女だ』。

 『綺麗な女性だと思う』。

 『こんなにも憎んだ相手はいない』。

 『俺よりも綺麗な剣術を振るう達人』。

 『この女さえいなければ』。

 『剣を通して理解できた尊敬できる人格者』。


 夢の中に泡のように印象が生えて、流れて、組み上がって、また生えて、その繰り返しの果てに、いつも最後に残る印象は1つ。


「寂しがり屋の、普通の女の子だ」


 俺の心は、いつもその答えを出していた。


 俺とあの女の交流など、三分しかない。

 剣を交わしたたったの三分。

 何よりも濃厚な、刹那に等しい三分間。

 俺が剣士フェニアについて知ることなど、その三分に剣を通して伝わった心の本質くらいのもの。


 なのに。

 その三分に刻まれたものが、いつまでも消えてなくなってくれない。

 あの日の彼女が忘れられない。

 眠れば、夢の中であの女が待っている。


 俺は三分に全てを懸け、負け、その三分にて全てを失い、そしてそれからの人生の中でも、その三分に心を引きずられるように生きていた。


「……」


 カタン、と、木に立てかけておいた剣が倒れた。それを拾って、抱きしめるように眠りにつく。


 俺には剣しかない。

 俺には剣だけがあればいい。

 剣さえあれば挫けなくて済む。

 たった一本の剣にすがるように、俺は目を閉じた。






 ザインの一族の屋敷から西の方にある町は、なんか昔なんやかんやあって、なんかキラキラした宝石みたいなのが昔はザクザク出てて、なんか昔はお金持ちとかいっぱい居たけど、なんか皆どっか行ってしまって、人は未だに多いが昔ほどにはお金が無いとかそんな感じの町だった。


 当時の俺は勉強してないので知らない。

 一年後の俺も当然知らない。

 そもそも町の名前を覚えてない。

 その、なんだかという町に1人、俺の知り合いが住んでいるということは前々から知っていた。


 その知り合いが町の大門前で俺を待ち構えていたので、俺は吃驚びっくりした。金を握らされて俺を始末しに来たのかと思った。殺られる前に殺っとくかと剣を構える所までは行った。

 かなり猛烈に怒られた。


吃驚びっくりしたぞベトミリィ」


「ビックリしたはこっちの台詞だァ! バカ野郎! ザイナスが目の前で剣構えたら普通の人はその時点で死を覚悟するんだよ! オレもそう!」


 10秒で20回ほどチョップを受けた。

 短く切り揃えた金髪を揺らして、眼鏡の位置を押し上げて、中性的な顔をずっと呆れ顔にしたまま、ベトミリィは溜め息を吐いた。

 ぴしっとした男性用スーツがよく似合っている。大都市では流行りの一品らしい。


「ベトミリィ、手に持ってるそれはなんだ」


「ん? 妹へのお土産。今週実家に用があったからよ」


「妹。ああ、アリスベットか。元気なのか」


「元気で可愛いぜ、いつも通りだ」


 ベトミリィの先祖は始祖ベト。

 遠い昔に俺の先祖、始祖ザインと共に戦った騎士の1人だ。

 始祖ベトは子孫にほとんど何も残さなかった始祖ザインと違って、未来を見据え、子孫に何を残すかをよく考えていた騎士だったという。

 ベトミリィもまた、その先祖の恩恵を受けている……らしい。


「ま、ザイナスが今一番オレに聞きたい話は分かってんよ。例の平民女のこったろ? ざっとだけど情報は集め終わってんぜ、お客さん」


「話が速いな。助かる」


「即断即決、大陸最速。喧嘩以外は基本大体なんでもできる天才ベトミリィとはオレのことだからな。呼ばれたことはないが。はっはっは」


「即断即決、大陸最速。喧嘩以外は基本大体なんでもできる天才ベトミリィ」


「呼ばれカウント数1個増やしてんじゃねえよ! 相変わらず気遣いがズレてる男だな!」



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