「貴方を騎士と認める。どうか末永く、守護の礎と成らんことを願う」

オドマン★コマ / ルシエド

「所詮荷物持ちの子孫じゃあな」

 俺には三分以内にやらなければならないことがあった。

 勝たねばならない。

 倒さねばならない。

 示さなければならない。

 誇りを取り戻さねばならない。

 俺の誇りだけでなく、先祖全ての。


 鞘に収めた剣を握り、深呼吸し、肩の力を抜く。


「騎士ザイナス、会場へ」


 声をかけられ、頷き、歩き出す。


 ザイナスという自分の名前すら忘れかけるくらい、目の前の勝負に集中してしまっていた。

 俺は遥か昔にこの地を救った騎士ザインの末裔。

 勝ち続けろと言われ、育てられて来た。

 だけど負けた。

 一年前、あの女に負けたのだ。

 だから今日こそあの女に勝たねばならない。


 理由なんて、ただの意地で十分だ。


 俺の足は自然と進み、決勝の舞台に上がる。


 トーナメントは軒並み終わった。

 観客は熱狂に湧いている。

 あと一試合。

 最後の一試合。

 この試合に勝った方が今年の『世界最強』として認められる。試合を見ている万人単位の観客全てがその『最強』の証人だ。


 舞台の上で、去年俺を負かしたふわふわ女が俺を待っていた。

 色素の薄い髪、薄い金色が混じった銀髪。

 俺の腕とは比べ物にならないほど細い手足。

 女性らしい佇まいに対して、隙の無い立ち姿。

 背は低めで、肩幅も狭く、全体的に小さい。

 けれど切れ長の瞳や、整った顔つきを見ていると、とても子供のようには見えない。

 俺はこの女より美しい女を見たことがない。


 だからこそ、はらわたが煮えくり返る。

 俺は。

 こんなにも美しいものに負けたのか、と。

 もしも、可憐な花に斬りかかり返り討ちにされた剣の気持ちというものがこの世にあるならば、それは今の俺の胸中に満ちるそれと類似のはずだ。


 女の名はフェニア。

 可愛い顔に可愛い名だと、去年思った記憶がある。去年の俺の、なんとも愚かしく、思い上がっていたことか。負ける可能性を露ほどにも考えず、そんなことを呑気に思っていたのだから。


「……」


 俺とフェニアが対峙すると、審判も舞台に上がる。

 確か、過去の捧剣祭で優勝した、剣神クアインの弟子だ。

 俺も剣神クアインに一手指南して貰ったことがあり、その時にこの弟子と軽く顔を合わせた記憶がある。名の知れた騎士の弟子の失態は師匠の恥だ。八百長の類は絶対に無いと見ていいはずだ。


 決闘に定められた試合時間は3分。

 「戦場ではその時間で敵を仕留められなければ敵に囲まれて殺される」という思想から決められた公式規定の試合時間、それが3分。

 この3分で俺は奴を倒さなければならない。


 審判が「勝者ザイナス、敗者フェニア」と宣言した瞬間……その時が、俺のゴールになる。


 俺が気持ちを高めていると、何故か俺の意表をついて、フェニアが話しかけてきた。


「あ、あの!」


 少し吃驚びっくりした。

 いつもそうだ。

 この女は俺の予想に反したことをする。

 俺の心を乱してくる。

 この女に話しかけられただけで、俺は冷静ではいられない。


「……なんでしょうか、フェニア様」


「な、なんで敬語なんですか! 去年のザイナスさんはわたしに敬語なんて使ってなかったじゃないですか! なんか距離感じますよ!」


「その時はとんだご無礼を……お許しください。俺は自他の実力を正しく測れず、思い上がった振る舞いを多く為してしまいました。ですが実際は貴女の方が強かった。これは当然の礼節です」


「え、あ、はい。あの、去年試合の後にお話しようとしたらザイナスさんがもう居なくて、話したかったことが話せなかったので、だから今ちょっと試合が始まるまでお話しようかなー、なんて。ああほら好きな女の子のタイプとか適当にだべだべのだべりでもするとかそういうので」


「試合前の私語はあまり褒められませんよ」


「あ」


「剣で語りましょう。俺はそうします。フェニア様もそうした方がいいです」


「そ、そうですね! ごめんなさーい!」


 えへえへと、愛想を振りまくようにフェニアが笑っている。

 調子が狂う。

 なんなんだこいつは。

 こうしていると、去年俺がこの女に負けたことが夢か幻であるかのように思えてくる。


 だが、事実だ。

 俺はこの女に負けた。

 言い訳のしようもないほどに、完璧に。


「両者、指定の位置に」


 審判が俺達に指示を出す。

 もう始まる。

 勝つのは俺か、あるいはこの女か。

 いや、俺だ。

 絶対に俺だ。

 そう信じなければ、勝てるものも勝てない。


 たった三分で人生が決まるのがこの世界。

 たった三分のために三年、あるいは三十年をかけるのが俺達。

 たった三分に全てを懸けて、負けたら全てが無意味、それでいい。そのために生きる。


 手には剣の柄の感触。

 踏み締めた砂から微かな音。

 空は青。

 風は肌を撫でる程度に。

 冬の名残が残る涼し気な春の陽気が流れる。


 ふと。


 剣を握り、息を整えながら、この三分のために費やしてきた人生のことを、思い出していた。






 俺は22人居た『伝説の騎士』の1つ、始祖ザインが立てた家に生まれた。


 かつて、この国は滅びの中にあった。

 北に異民族。

 東に敵性国家たる帝国。

 西には人より遥かに強い魔獣の生息地・西部大魔森林地帯。

 他にも堕天使や色々、噂だと魔王なんてものも居たらしい。

 この地に生きていた人間は弱く、少なく、いずれどれかに滅ぼされる運命にあった。


 かつて、その尽くと戦って人々を守った勇者が1人と、その仲間となった騎士が22人居たという。

 勇者は王となり、騎士達は貴族となって、この国を建国した。

 それがこの国の始まり。


 だからザインの家の当主は騎士となり、その上で誰よりも強くなければならない。

 伝説の騎士の子孫だから。

 どんな平民より強く。

 どんな貴族より強く。

 そう教えられて、生きてきた。


「ザイナス。貴方は何のために生きますか」


「剣のため。家のため。先祖のためです」


「よろしい」


 手に豆ができるほど剣を振った。

 豆が潰れるほど剣を振った。

 爪が剥がれても剣を振った。

 落ちこぼれと言われても剣を振った。

 他の21家の同年代に負けないため剣を振った。

 叱られて剣を振った。

 怒られて剣を振った。

 食事を抜かれて剣を振った。

 遊ぶことなく剣を振った。

 脇目も振らず剣を振った。

 一週間寝ずに剣を振った。

 魔獣に食われかけながら剣を振った。

 全てを破壊する猛牛の魔獣の群れに剣を振った。

 12歳の時に異民族との戦争に駆り出されて、言葉も通じない人間を殺すために剣を振った。

 父親に木剣で全身を叩かれながら剣を振った。


「ザイナス。貴方は何のために生きますか」


「剣の、ため……家のっ、……ため……先祖の……ためです……」


「よろしい」


 父もそう生きた。

 祖父もそう生きた。

 俺もそう生きる。

 俺に子ができれば同じように強いただろう。


「ザイナス。貴方は何のために生きますか」


「けんの……いえ、の……せんぞの……」


「素振りの剣速が下がっています。1万回、最初からやり直し」


「っ……指導、ありがとう、ございますっ……!」


「よろしい」


 ザインの家は落ちぶれていた。


 それも、当然だ。

 勇者の仲間と言っても22人は多すぎる。

 勇者が王様になって、仲間が大貴族様になって、国の運営の要所を各々分担して……そうしたら当然、大したことをしてないやつも出てくる。

 ザインの家には、他の22家にあるような経済基盤、権威の裏付けとなるもの、国の運営に関わる仕事が、何もなかった。あるのは剣だけだった。


 そもそも、勇者の仲間で大活躍した奴であっても広く名が知られてる者などたったの数人だ。

 誓いの英雄騎士タウ、野獣騎士シン、門の守護騎士ダレト、最強の騎士ラメド……22の伝説の騎士の中には子供達が大好きな騎士が何人も居るが、ザインは子供達に名指しで聞いても「誰?」と言われるくらいにはマイナーだった。


 始祖ザインは武装の騎士。

 皆の武器を運ぶことがメインの仕事で、伝説の中でも活躍する場面は仲間に武器を届けることばかり、伝承に残っている活躍も御伽噺の最終決戦以外に何もない。


 つまり。

 言い方を変えれば、勇者の英雄譚に同行しただけの、ただの荷物運びだった。


 ザインの家の人間は代々、その劣等感に苛まれてきた。陰で誰もが言っている。王を守護する22の家の中で、ザインの家が一番情けない、『英雄譚にタダ乗りした凡人』の家だと。


 だから、過剰に強さに拘ってきた。

 父も、その父も、そのまた父も。

 子供を何人か作り、その中で一番強い者を当主にして、それを何代も何代も繰り返し、落ちぶれたボロ臭い屋敷の片隅で、ただひたすらに剣を振る。


 我々も伝説の騎士の末裔なんだ、我々の先祖はタダ乗りした凡人なんかじゃない、そう叫び続ける一族の末裔として、俺は生まれた。


「ザイナス。貴方は何のために生きますか」


「剣のため。家のため。先祖のためです」


「よろしい」


 勝ち続けなければ、生きる意味がない。

 勝ち続けなければ、生まれた意味がない。

 勝ち続けなければ……先祖も、先祖から続く全ても無意味になる。

 そう教わりながら生きてきた。


 たった三分で決まる試合で、俺の生まれた意味、生きる意味、これまでの全てが決まる。

 そう思いながら、決闘に臨んできた。


 ザインの家は、劣等感だけで出来ている。

 ただの荷物運びの子孫。

 活躍しない英雄譚の隅の粕の子孫。

 それでいて、領地の経営だの、内政だの、権力闘争だの、剣以外の何かで家を盛り上げることもできなかった無能の血脈。

 貴族院に寄生するだけの寄生虫。

 剣にすがるしかなかった能無しの家。

 永遠に続く親から子への虚しさの再生産。

 22家で唯一居なくても困らない空っぽな飾り。


 俺がまさにそうだ。

 俺には剣しかない。

 勉強も、娯楽も、何もしてこなかった。

 剣しかしてこなかった。

 剣を取ったら俺には何もない。

 剣が無ければ虚しさしか残らない。


 決闘は良かった。

 だって、やれば俺が勝つから。

 大人が相手でも。

 騎士が相手でも。

 達人が相手でも。

 練習を除けば、全ての試合で俺が勝つ。

 勝てない相手との決闘は、家の名誉のために父が許さなかった。

 決闘は好きだ。

 やれば俺が優れてるという結果が出るから。

 勝利の中では、虚しさを忘れていられるから。

 三分で、全ての証明が終わる。

 俺が心安らげる、たった1つの理想郷だ。


 理想郷、だった。


 俺が、あの女に負けるまでは。






 年に1回の、世界中の戦士・騎士が集まる祭典、『捧剣祭』。

 1000年ほどの歴史があり、その年度の最強の剣士を決め、その戦いを伝説の勇者と騎士達に捧げるという祭事の側面も持つ武闘大会を、人はそう呼んでいる。


 あの女と初めて会った、のは。

 そうだ。

 あの女が、迷子になっていたんだ。

 それを見つけて会場まで連れて行ったのが、俺だったんだ。


「ありがとうございました! あの……とっても助かりました。本当に困ってて、心細くて……でも、ザイナスさんがとっても優しくて嬉しかったです!」


 奇妙な女だった。

 俺のことを優しいなんて言うやつは、あんまり居なかったと思う。

 貴族社会でも、平民の間でも、ザインの一族の評判は基本的に良くはない。

 とびきり愛想が良くない俺なんてなおさらだ。


 でも、何故か、あの女は俺のことを優しいだとかなんとか言っていたし、俺も何故か……そう言われて悪い気はしなかった。


「頑張れ」


 だから、俺らしくもなく、その日会ったばかりの女を応援するなんてことをしてしまったのかもしれない。


「! は、はいっ! 頑張りますっ! ……負けちゃうまで頑張ります、はいぃ」


 そんなことを言っていた女が勝ち抜いていくのを、観客の誰もが手に汗握って見ていたように思う。


 捧剣祭は、22の家の誰かか、国外から来た他国の最強の誰かが優勝する祭典だ。

 皆、そう思っていた。そう信じていた。

 幼少期から剣を習っている貴族の平均値と、剣を習う金のない平民は、強さの平均値がまるで違う。

 無名の人間が優勝することはめったにない。そう、考えられていた。


 1000年前に捧剣祭が始まって以来、捧剣祭で平民が優勝したことはない。

 予選抜けすらほとんどない。

 女の子なら参加すらしない世界だ。

 フェニアの件のように、決勝まで残る平民の女の子の剣士だなんて、歴史に残る珍事だったんじゃないだろうか。


 『穴打ち』コファーも。

 果ての国から来た剣豪リリラクレロレルも。

 砂漠の剣王イズダレトも。

 剣神の弟アークラインも。

 尽くが彼女に負けた。

 だから決勝で当たった俺にも、油断は無かった。


 俺の二つ名は『瞬光』。

 瞼が瞬く間に王都の端から端まで移動できる、人が1つ呼吸する間に最低でも100度は斬れる。

 だから強い。

 だから負けない。

 そう思っていたし、そう信じていた。


 そして、負けたんだ。






 剣を交えた。その三分間を除いた俺の人生全てを比べてもなお、その三分の方が濃かったと言えるほどに、あまりにも深く濃厚な三分間だった。たとえ、その結果が敗北に終わったとしても。






 叶うなら、耳を塞いで現実から逃げ出したかった。観客席から市民らの思い思いの声が聞こえた。


「平民に負けたのか……」

ザインでしょ?」

「アレフの家とかをバカにしてた罰が当たったか」

「ザインの家も終わりだな」

「他家の傍流はともかくザインの次期当主がなぁ」

「時代って感じだねえ。平民も強くなったもんだ」

「剣技しか取り柄のない家だろうに」


 たぶん、それは。


「所詮荷物持ちの子孫じゃあな」


 俺の父が、そのまた父が、更にそのまた父が、決して聞きたくなかった言葉の羅列だった。

 言わせてはならない言葉達だった。

 それを言わせないために、俺はどこまでも負けてはならなかった。

 まして、平民相手に。女の子相手に。負けてはならなかったのに。


 負けたから。俺の命の価値は、ここで消えた。


 独りで倒れていた俺と対照的に、フェニアは色んな人に囲まれていた。

 フェニアを囲んでいるのは平民ばかりで、皆素直に喜び、フェニアの友達のような距離感で彼女を祝福していた。


「やったなフェニア!」

「フェニアー!」

「すげー!」


 フェニアと一緒に出場していた、フェニアの友人らしき少女が、何の悪意もなさそうな顔で口を開いて、


「ま、でも剣術なんかもういいよな! あたしもお前に付き合ってやってたけどつまんねーもん!」


 そう、言った。


 フェニアも苦笑いして、


「あはは。そうかもね。でもさ……」


 そう、応えた。


 俺の中で、何かが切れたような気がした。


 負けたことが悔しかった。

 敗北によって全てが失われた虚無感があった。

 積み重ねた人生の無意味さを感じた。

 全てを奪ったフェニアへの憎しみがあった。

 不自由を課す家への忌々しさが吹き出した。


 戦う時のフェニアの美しさに見惚れた。

 勝利を喜ぶ彼女の可憐な笑顔への好意があった。

 人々に好かれるフェニアを素直に称えた。

 平民らしからぬ礼節で、試合が終わってすぐに「ありがとうございました」と頭を下げる所作に、素晴らしい心の在り方を見た。

 何より強く彼女を尊敬した。


 これまで剣の道で積み重ねてきた日々のおかげで、フェニアを『たまたま才能を持って生まれただけの才能任せの天才な平民』と見下すことなく、『彼女の剣は努力によって磨き上げられている』と理解できた自分が、どこか誇らしかった。


 そして、それら全てを塗り潰すくらい、『剣術なんか』という会話を彼女がしていたことが、悲しくて、悔しくて、辛くて、憎かった。


───所詮荷物持ちの子孫じゃあな

───剣術なんかもういいよな!


 だって、そうじゃないか。

 フェニアも、その友達も、剣以外の何かがあったんだ。

 だからあんな風に笑って生きていられる。

 俺はあんな風に笑えない。


 彼女らは剣を捨てても生きていられる。

 剣以外のものをいくらでも持っている。

 剣を『なんか』と言っても平気で居られる。

 たとえ剣で負けたところで、たぶん、きっと、彼女らは悔しいとすら思わない。悔しいと思ったとしても引きずらない。

 彼女らの方がだから。

 本当はそれが普通なんだ。


 だけど俺は。

 ずるいじゃないか、って。

 そう、思ったんだ。

 あまりにも情けない自分に吐き気がしそうなくらい、心の底から、そう思った。


「そんな豊かな人間に負けて、剣以外の何も無い俺の人生に……何が残るんだ?」


 一年が経ち、今振り返ってみると、フェニアは無神経な友人の言葉に会話術としてとりあえず賛同してみせて、波風を立てないようにしていただけだったようにも思える。

 だけど、一年前の俺はそうは思わなかった。


 悲しくて、悔しくて、辛くて、憎かった。


 俺は逃げるように走り出して、会場を抜けた。


 それから一年。俺は一度も、フェニアと会っていない。






 次の日に、俺は父親から家族の縁を切られ、家を出て行くように命じられた。


「貴様は今日限りで廃嫡、絶縁とする。出ていけ」


「……お世話になりました、父上」


 俺を次期当主から外して、家族の縁を切り、家から追い出して、「ザイナスはザインの家でも強くはない人間だった。大衆の前で家の恥を晒した責任は取らせた」という言い分を広めるつもりだったと、後から聞いた。

 別にそれが事実である必要はない。

 その方が家の体面を守れるというだけ。

 俺だってそうするだろう。

 だから悲しくはなかった。


 ただ、少し寂しい思いをしてたような、そんな気はする。よく覚えていない。


「ザイナス」


「……兄さん」


 父上の部屋を出た俺に、その時話しかけて来たのは、ウォルザイン兄さんだった。


 肉付きの悪い顔。骨ばった手足。手の豆や擦り傷が見当たらない綺麗な青白い肌。弟の俺が言うのもなんだが、昔から似てない兄弟だったと思う。

 俺はいつでも、兄さんに無愛想な顔をしていたが、兄さんはいつも、俺のことを心配そうな顔で見てくれていた。


「今回のことは、なんて言ったらいいか……くっ、父上は何を考えてるんだ!」


「ザインの家のやり方からすれば正しい判断であると思う。俺は父上が殊更間違っているとは思わない。長男の兄さんが次期当主になれなかったのも、俺が次期当主に選ばれたのも、俺が決闘で全試合無敗だったからで、平民の女の子に負けた以上……」


「そういうことを言ってるんじゃない! あの人は父親で、ザイナスは息子だろう! 人道の話をしているんだ僕は! 人はペットじゃないんだ、思い通りにならなかったらといって捨てていいなんてわけがない!」


「……」


 現当主、父の名はウェザイン。

 長男の名はウォルザイン。

 俺が次男のザイナス。


 父の名に寄せて名付けられた兄は期待されて生まれてきたが、体が少し弱く、人を傷付けるのが苦手で、父の期待に応えられず、次期当主の候補から早々に外されていた。

 俺は兄が期待されていたので期待されていない名前を付けられたが、予想に反して父の期待に応えられる剣才を持っていたため、繰り上げで次期当主に選ばれた……とかなんとか、執事長の爺さんが言っていた。


 ……平民の女の子に負けたことで、結局俺も父の期待を裏切ることになったが。期待させてから裏切った分、俺の方がタチが悪いか。


 当たりの名前、外れの才が兄。

 外れの名前、当たりの才が俺。

 それでいて、期待させておいて裏切るのが俺で、期待してなかったが役に立ったのが兄。

 父にとってはそうだったらしい。


 他の弟達は、まだだいぶ幼かった。

 次期当主に据えられる歳じゃなかった。

 なので、俺が次期当主から外れたことで、既に領地経営などで実績を出していた兄が暫定的な次期当主になるのだと、父は述べていた。

 父は強くない兄を(暫定とはいえ)次期当主とすることに、分かりやすく不満そうにしていたが。


「俺は」


 さらっと言うつもりだった。

 なんでもないことのように言いたかった。


「俺は」


 けれど俺は、俺が思っていた以上に気持ちにヒビが入っていたらしく、2度、言葉に詰まった。


「……俺が思ってるよりずっと弱くて、だから全然ダメだったみたいだ。期待には応えられなかった。剣のために生き、家のために生き、先祖のため生きる。その内2つを守れなかった今、俺の価値ってもう……」


「ザイナス」


 その時、俺の言葉を遮るように抱き締めてくれた兄の体温を、何故かずっと憶えている。


「いいんだ」


 兄はよく俺を抱き締めてくれた。

 俺は兄を抱き締めようと思ったこともない。

 普通なのはきっと兄の方で、変なのは俺の方で、だから俺は兄と違って『負けた後』に何をすればいいのか分からなくなってしまうんだと、この時、ぼんやりと思っていた。


「父上の言葉なんて忘れてしまえ。僕にとってザイナスはずっと、頑張り屋で自慢の弟だ」


 俺が自然と尊敬する人間は大体が、剣に全てを捧げた剣鬼や剣神ではなくて、豊かな人だった。

 フェニアとか。

 兄とか。


 彼らを見ていると、俺は、自分に何も無いことを強く実感して、心のどこかが虚しくなる。

 有るを見るから、無いが見える。

 兄は素晴らしい人間だった。

 素晴らしい人間なのに。


「父上がなんと言おうと、君が強かろうと弱かろうと、君は僕の家族で愛する弟だ。だから……負けたくらいで、そんな全てを否定されたような顔をしないでくれないか……」


 俺は、兄のような人間になりたいと思ったことは、一度もなかった。


 今も、昔も。


 俺にとって兄というものは、ずっと手の届かない場所で瞬いている星のようなものだった。


「たったの三分で、君の全てが否定されるわけじゃないんだから。否定する誰かが居ても、兄さんが飛んでいって言い返してやるから、だから……」


 でも、だからこそ、思ったのだ。

 俺は、負けてはいけなかったんだと。

 兄を苦しめる結果になるのなら、何がなんでもあの女に負けてはならなかったと。

 この兄がずっと心安らかに弟を誇っていられるように、兄の自慢の弟で居るために、勝ち続けているべきだったと。

 なのに負けた。

 その結果がこれ。


 俺はずっと、無力感で死にたくなっていた。


 なんで俺は、人生を懸けても家族の期待に応えられなかったんだろう。



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