夜の訪問者 2

 時計店と同じ通り沿いにある鷹見たかみ貴金属店は昔なじみの店だ。

 時計店の元店長だった祖父が貴金属店の元店長と親しかったため、互いの店をよく行き来していた。

 現在、貴金属店の店長を務めているのは、息子の鷹見圭吾たかみけいごだ。今年で四十八歳になる彼に、ツカサは幼い頃からよく面倒を見てもらっている。

 ツカサにとって彼は、伯父のような存在だ。

 預かっている箱を傷つけるわけにはいかないので、指輪だけを取り出して丁寧に布に包み、時計用のケースに入れて持ってきた。

「うん、キュービックジルコニアだね」

 ルーペで指輪の石をのぞいて、圭吾が言った。

「ほらね、やっぱり」

 類が得意げな顔をした。

「偽物ということだよね」

 あらためて確認したツカサに、圭吾が苦笑した。

「まあそうだね。ジルコニアだからって決して悪いわけじゃないけど、本物のダイヤモンドを期待している人にとっては偽物だね」

 この店も、キュービックジルコニアを使ったアクセサリーを多数取り扱っている。

 そのことに気づいて、ツカサは慌てて頭を下げた。

「ごめん、圭吾さん。何も考えずに偽物なんて言って」

「気にしなくていいよ。ツカサ君も、依頼されたからには本物か偽物かはっきりさせる必要があるだろうしね」

 偽物だと確定した途端に、きらきら光る立て爪の石の輝きが安っぽく見えてしまうから不思議だ。

「ありがとう圭吾さん。お客さんにもそう伝えるよ」

「がっかりしないといいけど」

「そうだね」

 ツカサは、圭吾が差し出した指輪を受け取った。

 美佐子が本物のダイヤモンドを期待しているのかどうかは、昼間の電話ではわからなかった。

「でもその指輪、ダイヤは本物じゃないけど、婚約指輪としては本物だったかもしれないよ」

 ツカサの手元に戻った指輪を見て、圭吾が言った。

「けっこう細かい傷があったけど、それにしては指輪自体がピカピカなんだよね。綺麗に手入れしてしまわれていたってことは、大事にされてたってことだと思うよ」

 大事なものが入っている、という美佐子の父親の言葉は、どうやら嘘ではなかったようだ。

 キュービックジルコニアの指輪を、ツカサは布で包んで時計の箱に戻した。

 貴金属店を出て時計店へと戻る道で、類がたずねてきた。

「今度は言うの? 偽物だって」

「鑑定してほしいって頼まれたからね」

 夜八時過ぎの商店街。

 仕事帰りの人たちでにぎわっているのは、居酒屋が多く建ち並んでいる辺りだけだ。ハヤミ時計店のあたりはシャッターの下りた店が多く、そちらへと近づくつれて、あたりは暗く静かになっていく。

「誰? あの人」

 類が言った。

 時計店のドアの前に、誰かが立っている。

 はじめは暗くてよく見えなかったが、近づいていくと四十代くらいの男性だとわかった。

「ツカサさんの知り合い?」

「いや、見たことないよ」

 ふいに、男が振り返った。

 店の近くまできていたツカサと類のほうへ、肩をいからせて近づいてくる。

「あんたら、そこの時計店のやつらか?」

「そうですけど」

 答えたツカサのほうへ、男がにらむような顔を向ける。

「店主はどこだ。用がある」

 あまりの迫力に答えるのをためらったツカサの代わりに、類が答えた。

「店長は今いませんけど、どんなご用で?」

「昨日、豊田美佐子って女が箱の鍵を開けてくれって頼みにきただろ」

「箱の鍵開けの依頼はたしかにありましたね。お客さんの名前まではわからないですけど」

「鍵はもう開いたのか」

「さあ、どうでしょう。店長に聞かないと」

「開いたなら返せ」

 男が大きな手をずいっと差し出してくる。

「だから俺らじゃわかんないですって」

「美佐子は俺の妹だ。だから代わりに取りにきてやった」

「どっちにしてもですね、連絡先を書いたご本人じゃないと渡せないってことになってるんで」

「お前じゃ話にならねえ。店に入れろ。店主は中にいるんだろ」

 男は鍵のかかった店のドアの取っ手をつかむと、無理に引っ張った。決して強いとはいえない木製のドアが、がたがたと激しく揺れる。

「ちょっ――……」

「兄さん!」

 ツカサが思わず声を上げたと同時に、叫ぶ声がした。

 駆け寄ってくる人影に、男がちっと舌打ちをする。

「なんでお前がここに来るんだ、航平こうへい

「姉さんから電話があったんだ。もしかしたら兄さんが時計店に押しかけるかもしれないって」

「美佐子のやつっ……」

 男がガンッとこぶしをドアに叩きつけた振動が、静かな通りに響き渡る。

「これ以上この店に迷惑をかけるつもりなら、私が今すぐ警察を呼ぶ」

「警察を? 今まさに世話になってるお前が?」

 見下した目を向けられても、嘲笑されても、航平は動じなかった。姿勢の良い立ち姿で、ただ真っ直ぐに男と目を合わせ続けている。

 根負けしたのは男のほうだった。

「お前らの好きにはさせねえからな」

 ふんと顔を背けて去っていった男の背中が見えなくなると、航平は振り返って深々と頭を下げた。

「兄が大変ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「いえ、助かりました。あなたは豊田美佐子さんの……」

「弟の航平です」

 顔を上げて少し笑顔を見せた彼は、先ほどの男とは似ても似つかない温和な顔立ちをしていた。

「兄は……たぶん美佐子もですが、あの箱には祖父の遺産が隠されていると思っているんです」

「遺産ですか」

 たずねたツカサに、航平が頷いた。

「父が亡くなってから半年が経ちますが、父が財産を預けていた貸金庫の鍵がいまだに見つかっていないんです」

 なるほどとツカサは納得した。

 だから美佐子は、指輪以外に何か入っていなかったかとたずねたのだ。

「ジュエリーボックス、私が預かりましょうか」

「いえそれは、美佐子さん本人に確認してからでないと」

「そうですよね。では姉が取りに来られる状況になるまで、もうしばらく預かっていてもらえますか」

「それはもちろんですが」

「またお兄さんが怒鳴り込んでくるのは勘弁してもらいたいですね」

 類がすかさず言った。

「そうならないように私も注意を払いますが、もしもの時はすぐに警察を呼んでいただいて構いませんので」

 航平は胸ポケットから名刺入れを出すと、中から名刺を一枚出した。

「何か困ることがあれば、こちらにご連絡ください。そのドアも、万が一破損していた場合は、私にご連絡いただければ対処させていただきます」

 ツカサは名刺を受け取った。

 そこには“豊田鉄工 代表取締役”と肩書が記されていた。

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