閉店間際の依頼人 2
夕食を一口食べたところで、類がすかさずたずねてきた。
「どうよ。俺の特製ビーフシチューのお味は」
年季の入ったちゃぶ台の上に並んでいるのは、ビーフシチューにサラダと、フランスパンだ。
ツカサと類は、畳の上に座ってそれを食べている。
「特製ってもしかして手作り? ルーじゃなくて?」
「市販のデミグラスソースとかは使ってるけどね。あとは赤ワインとかチキンスープとか」
「凝ったことしてるね」
家事は全部引き受けるから、ここに住ませてほしい。
類にそう言われたときは、本当にできるのだろうかと正直疑っていた。だが彼は、口を出す隙などないほどに、掃除も洗濯も完璧にこなしている。
とくに料理は彼の性に合っているらしく、手の込んだものに次々と挑戦している。おかげで最近は食事の時間が楽しみになっている。
類がここに住むようになって、もうすぐ半年。
雇っているわけでもなく、家賃をもらっているわけでもない。ただ生活をともにしているだけの同居人。
彼とはそんな関係だ。
「で、どう?」
「うん、おいしい。洋食屋さんに出てきそうだよ」
「でしょでしょ。さすが俺だね」
類は満足そうにパンをちぎって、口の中へと放り込んだ。
夕食を終えると、ツカサは食器を台所へと運んだ。
洗うのは類の担当だ。
お腹が満たされてほのかな眠気を感じながら、ツカサは閉店後の店内に戻った。
電気のついていない店内は真っ暗だった。時計の音に混じる虫の音は、雑草まみれになっている裏手の空き地から聞こえてくるものだ。
明かりをつけて作業台の椅子に座ると、まずは途中になっていた懐中時計の分解作業に取りかかった。
やはり部品を取り換える必要はなさそうだ。
中の機械を一通りチェックし終えたところでこちらは中断し、今度は今日預かったジュエリーボックスを引き出しから取り出した。
黒の漆塗りの表面が、店の明かりを艶やかに反射している。
「今からその箱開けるの?」
洗い物を終えてやってきた類が作業台を見た。
「あんまり時間かかりそうにないから、先にやろうと思って」
「そっか」
類は応接スペースのソファに寝転んで本を読み始めた。
ツカサがここで作業をしているとき、彼はいつも同じ部屋で読書にいそしんでいる。大体は小説を読んでいるようだが、あまり本を読まないツカサにはよくわからない。
ツカサは鍵を開けるためのピッキング工具を手に取った。
開けるのは、やはり簡単だった。
かち、と小さな音がしたところで鍵穴から工具を抜いて、ふたを開けた。箱の中には深紅のベロア生地が丁寧に敷かれている。
そこに、金の指輪が一つ入っていた。
まるで新品のようにぴかぴかと美しいそれは、いかにも婚約指輪といった立て爪のダイヤモンドの指輪だった。
「本物かな」
ツカサは思わず呟いた。
「なに?」
読んでいた本をテーブルの上に伏せてやってきた類が、箱の中をのぞき込む。
「婚約指輪?」
「そう見えるよね」
ツカサは左手に手袋をはめて、指輪をつかんだ。照明の光を受けてきらきらと輝くダイヤモンドに目を凝らしていると、横で見ていた類が言った。
「そのダイヤ、偽物っぽいけど」
「え、本当に?」
「たぶん。ちょっと見せて」
類が置いてあったもう片方の手袋をつけたので、ツカサは落とさないように指輪を彼に渡した。
「土台は本物の金みたいだけど」
「よくわかるね」
「だって書いてあるし」
言われて指輪の内側をのぞき込んでみると、たしかに18金と刻まれている。
「でもダイヤは偽物なの?」
「だと思うよ。虹色の光が強い気がするし」
ふ、と類が石の部分に息を吹きかけると白く曇った。
「これ、本物のダイヤモンドだったら曇らないんだよ。だからたぶん、ジルコニアとかじゃないかな」
「ジルコニア?」
「キュービックジルコニア。早い話、偽物のダイヤってこと」
類が指輪を返してきたので、ツカサは手袋をはめた手で受け取った。
「よく知ってるね、そんなこと」
「昔、バイト先でちょっとね」
「宝石店でアルバイトでもしてたの?」
「まさか。俺がそんなとこで雇ってもらえるわけないでしょ」
たしかに出会った頃の類の出で立ちを思うと、宝石店では雇ってもらえない気がする。
「バイト先の女の人が、彼氏にふられてさ。その足で指輪を売りに行ったんだけど、ダイヤが偽物だって言われたんだって。で、他のやつも偽物かもって怒りながら指輪とかネックレスを持ってきたから」
「バイト先に?」
「バイト先に。終わったら売りに行くつもりって」
もし本物だったら仕事中に盗まれてしまいそうで、聞いているだけで怖い話だ。
「それで他の仲間とダイヤモンドの見分け方を調べて、今のやり方で確かめてみたってわけ。ニ十個くらいあったけど、ほとんど偽物だったよ。本物は二つくらいだったかな」
アルバイト先を転々としていたからか、類は色んなことを知っている。交友関係も広かったことだろう。
だが出会ったときの彼は、スマートフォンを持っていなかった。
今は連絡を取れるように持たせているが、連絡先に登録されているのはツカサとハヤミ時計店だけだ。
「偽物か」
ツカサは指輪を箱の中に戻した。
「言うの?」
「何を?」
「指輪は偽物でしたって。明日お客さんに連絡するんでしょ?」
「言わないよ。指輪が入っていたことは伝えるけどね」
引き受けたのは箱の鍵を開けること。それ以上は仕事の範囲外だ。
ツカサは静かにジュエリーボックスのふたを閉めた。
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