5章 万魔

古都

 三日後。

 天翔と碧海は、配下の部隊長たちが並ぶ前で、白虹居士と向かい合っていた。

 白虹の手には、細紐で巻かれた書簡一通が携えられている。これと同じものを、天翔はそう遠くない過去に見た。綴じ紐の鮮烈な青緑色――岩緑青いわろくしょう色も、あの時と変わりない。

 だが今、受け取る天翔の指には、一片の怖れもためらいもない。わずかな緊張だけがある。


「玉簡、謹んで拝受いたします」


 紐を一息に解き、中に目を通せば、内容は予想以上のものであった。


ほう州大都督劉明傑。彼の者から悪鬼を祓い、帝都龍蓮に平穏を取り戻すべし。指揮を、こう郡太守呉天翔へ一任する』


 部隊長たちへ向き直って音読すれば、一同から感嘆の声があがる。碧海が満足げに頷いた。


「明傑さんの名誉は傷つけず、できるだけ大哥おにーさんに有利に。碧海さんのお願い通りだよ!」

「よくやってくれました。この文面であれば、目的はあくまで悪鬼祓い。明傑殿ご自身は罪に問われていない。しかも総大将の任は天翔へ……事態がうまく治まれば、手柄の第一位は天翔になります」


 碧海の言葉に、白虹は得意満面の笑みを浮かべた。


「よくぞ、ここまでの勅書を引き出してくださいました。天子様をお救いしただけでなく、聖意までも取り持ってくれるとは」


 白虹は屈託なく口角を上げ、胸を張った。


「特製酸辣湯サンラータン、本当に気に入ってくださったからね! たぶん今なら、酸辣湯さえ作って差し上げれば、どんな詔勅でも出していただけると思うよ!」


 詔勅とは、スープひとつで左右されてしまうものなのか――胸中複雑な天翔に向けて、白虹は諸々の状況を説明し始めた。



 ◆



 白虹によれば、都の秩序は急速に崩れつつあるという。

 劉明傑配下の軍勢による、略奪と暴行とが主な原因だ。兵卒たちは欲の赴くままに都で暴れ回り、一部には便乗で狼藉を働くならず者まで現れているそうだ。

 明傑は天子を失った後も、しばらく青龍殿の宮中に留まっていた。何かを探している様子だったが、昨日、大きな動きがあったという。


「明傑さんは……というより明傑さんに憑いてる厲鬼れいきは、何かたいへんなことを始めたみたいだ。早くしないと、奴らが目的を達してしまうかもしれない」

「あの厲鬼どもは、目的を持っていたのですか?」


 いくぶん驚きつつ、天翔は問うた。かの悪霊たちはただ、人の隠された欲望を引きずり出して愉しんでいるだけのように見えた。少なくとも、天翔の目にはそう見えていた。


「あいつらが何者なのか分かれば、やりたいことは明らかだ。わかりやすすぎるくらいだよ」

「奴らの正体とは、いったい」

「……その話をする前に、都の話をしないといけないね。あそこがどんな土地で、どんな歴史があって、過去に何があったのか――」


 白虹が声を潜めたのと、ほぼ同時だった。

 遮るかのように、伝令の呼び声が響き渡った。声は一人ではなかった。


「呉太守、きょう郡太守より書簡がございます」

「太守、えん郡太守が面会を希望しておられます。つきましては日時の調整を――」


 各地から集まってきた諸侯が、続々と都へ到着しつつあった。

 彼らの元にも、新しい勅書は届けられていると思われた。とすれば当然、天子を擁する指揮官には責任も集中する。事態は激しく動き始めていた。

 諸侯と連絡を取ろうと、筆とすずりを用意する天翔に、白虹は意味ありげな言葉を伝えた。


「決行は明後日の朝。日の出と共に、都を攻める……そう、みんなに伝えてくれないかな」

「なにかしら策がありそうですね」


 傍らで碧海が言えば、白虹は大きく頷いた。だがそれ以上、何も言おうとはしなかった。



 ◆



 矢継ぎ早に入ってくる、諸侯からの連絡。返し終えた頃には日が暮れていた。天翔が寝室へ戻り、燈明を灯して一息ついてみれば、白虹が既に中にいた。


大哥おにーさん、首尾はどう?」

「忙しくはありますが、共闘の協議自体は順調です。優秀な軍師が、事前に根回しを行ってくれていましたからね」


 ちらりと傍らの碧海を見れば、当の本人は得意げに軽く頷いた。


「彼らとの連携の必要性は、事前に分かっていましたからね。主要な相手とはあらかじめ連絡を取っていました。明後日の朝までには進軍準備が整うでしょう。私たち側の手配に問題はありません」


 言い終え、碧海はぎろりと白虹をにらんだ。


「さあ、あとはそちらの番ですよ。必要な情報を共有してください。厲鬼とは何者なのか、都といかなる関わりがあるのか、どうすれば鎮められるのか……これほどの強い怪異です、扱いを誤れば、全軍が怨霊の虜にもなりかねません」

「そうだねえ」


 頭の後ろで手を組みつつ、どこか呑気に白虹は話し始めた。

 天翔と碧海は椅子に腰を下ろし、強張った面持ちで耳を傾ける。


大哥おにーさんたち、この土地の――都の名前は知ってるよね。どうしてその名がついたか、理由は知ってる?」

龍蓮りゅうれん城、ですな。四方からの龍脈が集まる地だから、と聞き及んでおりますが」

「そうだね。龍脈、つまりは地中を走る霊気の流れ。それが龍蓮の都には集まっている。結果としてここは『土』の強い土地になった。だから先代の王朝――『土』徳の帝室が都を造った。ここまではいい?」


 聞くふたりは、共に頷いた。ここまでは広く知られた話だ。しかし過去の支配者は、今の都にはまったく痕跡を残していない。

 天翔が、感慨深げに言う。


「ですが今は、『木』徳の王朝――すなわち今の帝室が都としていますね。『木』の青緑色で染まった青龍殿を見ていると、ここが『土』徳の土地だとは、にわかに信じ難くもあります」

「いいところに気がついたね。大哥おにーさん


 ほんの少し、白虹の表情が翳る。


「そう、本来ここは『土』徳の土地なんだ。それを、『木』徳の帝が無理に抑え込んだ。『土』の都を、そして宮殿を燃やし尽くして、『木』の宮殿を上に建てた。二百年前、都の主が代わった時にね」


 白虹の言葉に、天翔は違和感があった。明傑が贈ってくれた書物には、歴史書も多くあった。何度も読んだから、内容もしっかり頭に入っている。

 二百年前に、「土」徳の王朝が滅んだのは間違いない。だがどの書物にも、王朝の交代はごく穏やかに行われたと記されている。悪政で人心を失った「土」の帝は、民の支持を得た「木」の帝……つまり今の帝室に、自分から位を譲り渡した。最後の「土」の帝は幼い子供だったが、譲位後は出家して道士になり、平和な余生を送ったという。

 首を傾げつつ、天翔は訊ねてみた。


「二百年前の王朝交代は、ごく平和裏に行われたと……聞き及んでおりますが」

「そうだね、記録の上ではね。記録は、全部あの人たちが書き変えたからね」


 白虹の声が、ごくかすかな囁き声へと変わる。


「ひどいものだったよ、ほんとにね」


 声に、痛々しい響きが混じる。


「罪もない人々の家に、兵士たちが端から押し入って……欲の赴くまま、奪い尽くして、殺し尽くして、壊し尽くして、最後に火を放った。ずいぶん長いこと燃え続けて、古い龍蓮はすっかり灰になった。今の帝室は、そうして立ったんだよ」

「……戯言を」


 碧海が、蒼白な顔で反論をする。帝室への忠義篤い彼にとって、白虹の言葉は許しがたい不敬にあたるのだろう。


「そのような記録は、どの史書にも残されていません。仮にその言葉が真実だったとしても、古い都が失われたのは前帝室の不徳のため。徳ある帝が、徳なき帝に取って代わるのは当然のことです」

「言ったでしょ、記録は書き変えられたって。それに百歩譲って、前の帝室に徳がなかったとしても……人々をたくさん殺して、都を壊した誰かに『徳がある』なんて、どうして言えるのかな?」

「碧海も白虹殿も、一旦落ち着きましょうか。今の問題は、目の前の厲鬼どもです」


 両者が、応酬を止めて天翔を見た。天翔はいちど咳払いをすると、白虹をあらためて促した。


「白虹殿、話を戻しましょう。あの怨霊どもは何者であるのか。どうすれば鎮められるのか」

「ここまで言えば、もうわかると思うんだけどね。厲鬼、すなわち恨みを抱いて死んだ人々の怨霊が、どこから来たのか」


 一瞬遅れて、天翔は白虹の意図に気付いた。背筋を、ぞわりと走り抜ける何かがあった。


「もしや厲鬼とは……罪なくして死んでいった、古い都の――」


 沈痛な面持ちで、白虹は大きく頷いた。

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