再会

 翌朝、天翔は手勢を率いて、都「龍蓮りゅうれん」へと向かった。

 龍蓮は、東西からの街道が交わる重要な都市だ。様々な品を扱う各地の行商人たちにとっても、国の支配を目論む軍勢にとっても、第一に押さえるべき拠点である。

 龍蓮の都は、人にとって重要なだけではない。ここは、地中を走る霊気の流れ「龍脈」の集まる土地でもあった。龍脈の力が集まり、この地で蓮花のように咲き誇る――雅やかな地名には、そのような意味も含まれている。

 この地にはじめて都を構えたのは、先代の王朝、すなわち「」徳の加護を受けた帝室であった。以降、「土」徳が衰え、現在の「もく」徳の帝に天下を譲り渡してからも、都はこの地から遷ることはなかった。宮廷の主は変われども、今も昔もこの古都は、国の中心として栄え続けている。


「田舎者と、嘲られはしないだろうか」


 途上、しばし馬を休ませたところで、黒頭巾姿の天翔が呟きを漏らした。碧海はその背を強く叩いた。


「私は都住まいも長かったですが、田舎者は確かに見ればわかりますよ……侮られないかと怯えているか、変に舞い上がって落ち着きなく周りを見回しているか、どちらかですからね。つまり」


 さきほどよりも強く、碧海は天翔の背を叩いた。


「変に、怯えたり舞い上がったりしなければいいのですよ。いつものあなたでいてください。胸を張って前を見て進んでください。今の私たちは劉明傑りゅうめいけつ殿の客人。普段どおりに振舞っていれば、あえて侮る者などいはしません」


 師友に力強く言われれば、いくらかは気が楽になる。天翔は小さく、しかし何度も頷いた。


「己が大言壮語も果たせなかった、情けない客人ではあるがな。確かにおまえの言う通り、縮こまっていては亜父あふの恥にもなろう」


 顔は頭巾で隠したまま、天翔は笑みを浮かべた。和らいだ目だけが、表情を外へ伝える。


「少し気が楽になった。おまえの言葉は、いつも俺の励みになってくれる」

「主を支えるのも軍師の仕事ですので。些末事であっても、どうぞ気軽にお話しくださいね」


 碧海が穏やかに笑う。

 背後では二人の愛馬が、並び立ってゆるやかに尾を振っていた。



 ◆



 龍蓮の、厚く高い大城壁の前に、多くの兵士たちが陣を敷いていた。風になびく旗印には、「劉」の一字が黒々と書かれている。亜父たる劉明傑のしるしであった。

 天翔もまた、己の「呉」の旗を掲げて進む。既に、都への入城を許す旨の書状は受け取っている。だが、まずは城の外の本陣を訪れるようにとも言われていた。遅れてきた者としては、従うほかない。

 馬上で背筋を伸ばし、まっすぐに前を向けば、居並ぶ明傑の兵たちは一様に頭を下げていた。全身に、心地良い緊張が走る。

 城壁沿いに張られた、ひときわ大きな天幕を前に、天翔と碧海は馬を降りた。入口の衛兵が敬礼し、二人を中へと案内した。


「鴻郡太守呉天翔殿、お見えです」


 応えて、天幕の奥で人が立ち上がった。

 どっしりと落ち着いた、気品と風格に満ちた人物だった。錦繍で彩られた豪華な鎧を、完璧に着こなしていた。細い目には力を湛えつつ、あくまで微笑みは柔らかで、内なる力を感じさせつつ、威張った気配がまったくない。幾筋か白の混じる髪も、豊かなあごひげも、丁寧に整えられて品が良い。齢五十に近いと見える姿形は、柔らかな徳の輝きに満ちていた。

 十数年前、天翔が最後に会った時よりも、雰囲気は穏やかになったように見える。だが、内なる精気に衰えは見えず、大柄の逞しい身体は活力に満ちている。今こそが、男として円熟の盛りであるように思われた。

 彼は天翔の姿に気付くと、目尻を下げて満面の喜びを浮かべた。


「遅かったではないか。天翔よ」

「申し訳ございませんでした、亜父」


 進み出た天翔が膝を折ると、「亜父」劉明傑は豪快に笑った。


「ずいぶん探したぞ。大城門から街路の端まで、呉天翔が来ておらぬかと呼ばわってみたが、返事がなくて困っておったところだ」


 天翔の、うつむいた顔が熱を持つ。彼流の冗談と解ってはいても、恥ずかしいことに変わりはない。

 碧海が横から助け船を出す。


「我らは途中、翠柳城すいりゅうじょうにて蛟龍に襲われました。結果、一日半ほどの遅れを生じ――」

「言い訳はいらぬ」


 明傑の口調が、急に険しくなった。


「龍が出ようが虎に襲われようが、作戦は結果がすべてだ。数刻の遅れが、数千の兵を危機に晒すこともある。その時も、貴公は言い訳で切り抜けようというのかね」

「……ごもっともで、ございます」


 珍しく碧海が動揺している。何か言わねば、と天翔が感じた瞬間、明傑はまたも大声で笑った。


「よいよい。身の丈を知らぬ大言壮語も、若人らしく微笑ましいものよ。恥は大いにかいておけ、若気の至りで許されるうちにな……ところで」


 明傑は笑いを止め、天翔に顔を上げさせた。黒頭巾の下に覗く碧眼と、明傑の目が合った。


「なぜそのような恰好をしておる。頭に怪我でもしたか」

「いえ、ただ……我が凶相を晒せば、いたずらに人心を騒がせるのではと」

「むしろ変に目立っておるぞ。その恰好では宮中にも入れまい」


 言うが早いか、明傑は天翔の頭巾を剥いだ。

 白皙の素顔が現れた瞬間、周囲の兵たちが、そして明傑自身が、息を呑む声が重なって聞こえた。


「なんと。これは――」


 明傑は、目を見開き言葉を失っている。

 ああ、やはり。

 昔を知る人々から、そして母から、幾度も投げつけられた言葉が思い出される。


「やはり似ておりますか。父に」

「――いやはや驚いたぞ。若き日の玄雲げんうん殿が、蘇ったようにしか見えぬ。この相が都に再び現れたとなれば、確かに人心を騒がすかもしれんな」


 天翔は、胸中に重いものを感じた。

 父、呉玄雲。傾城の寵童として、都では悪評の渦中にあったと聞き及んでいる。宮中には、かつての父を知る人間も少なからずいるだろう。この顔、できれば晒したくはなかった、が。


「だが天翔よ、頭巾を被って宮中を歩くわけにはいかんぞ。たとえ宰相であっても、臣下が顔を隠すなど許されん」

「承知して、おります」


 再び天翔は頭を下げた。

 できればこのまま、顔を上げずにすめばいい、と思いながら。



 ◆



 ひとしきりの話が終わった後、劉明傑は呉天翔と周碧海を伴い、連れ立って龍蓮へ入城した。天翔の軍勢も、一部が共に城門へ向かった。

 天に届きそうな城壁の入口では、鉄扉が重々しい音を立てて開き、一行を迎えた。馬に乗ったまま通り抜ければ、赤や黄の瓦で彩られた、きらびやかな街並が姿を現した。


大哥おにーさん!」


 横から突然呼ばれ、天翔は驚いた。いつのまにか白虹居士はっこうこじが、都の街路にいた。

 明傑との会見には連れて行かなかったはずが、いつ中に入っていたのか――首を傾げる天翔に、白虹は素早く近寄ってきた。潜めた声で、囁きかけてくる。


「今、ここすごく危ないからね。気をつけて、何かいる……このすぐ近くに」


 何が危ないのか、何に気をつければいいのか。訊ねる間もなく、白虹は街並に姿を消してしまった。


「どうした、天翔」

「いえ。亜父の、気になさるようなことでは」


 気を取り直し、前方に伸びる街路を見据える。馬が数頭並んでも余裕があるほどに、広々とした黄土の道であった。

 馬に乗った三名が、くつわを並べて進む。都の民は、うやうやしく頭を下げて迎えてくれた。

 民は天翔の姿をはっきり見たのか、彼自身にはわからない。できれば見ていてくれるな、見ていたとしたら忘れてくれ――内心でそう願いつつ進む。目指す先は、天子の住まう宮殿であった。

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