三鏡という男

「されども八十神やそがみ九十九つくも往々おうおうにして共にあらん……ってね」


 和装のうえに二重まわしの外套マント(とんびコート)を合わせて歩く男は、肩より下までのびた黒髪を風にゆらしながら、出版社の階段をのぼっていく。折りたたんだ蝙蝠傘こうもりがさを片手に、呪文のような鼻歌を口ずさむ。


「人に寄る神は、国土くにつち以為おもいにこそ、参上まいのぼりつれ──」


 捨てる神アレば拾う神あり。地方には数多あまたの怪事件が散りばめられている。陽気な男は三鏡みかがみ財閥ざいばつ嫡男ちゃくなんで、生まれたときから金には困らない日常を送っていた。したがって、出版社に足を運ぶ理由は、興味本位でしかなく、きまって、二階の南棟にある[帝都あやし]編集室にしか顔をださない。


 一階の資料室へ向かう桜木は、誰がいつどこで最初に使い始めたのかわからない踊り場、、、(階段の途中にもうけられた、やや広くてたいらな足休あしやすめの場所)で、蝙蝠傘の男とすれちがった。


「きみ」と声をかけられた桜木は、「おれのことですか」といって立ちどまる。目の高さは数センチほど三鏡のほうが上だが、相手は細身につき、桜木のほうが力持ちに見えた。


「あの、おれになにか……」


 この春、帝都あやし編集室へ移動になった桜木は、ふらっとやってくる三鏡とは初対面につき、禁止令がだされた蝙蝠傘を持ち歩く男を警戒し、眉をひそめた。ところが、踊り場で向かいあうふたりを気にする従業員がいないため、目の前の人物は関係者だろうかと思いつつ、念のため「おはようございます」と、挨拶した。


「自分は雑誌担当の桜木と申します。そちらさまは、どの部署の御方かたですか」


 礼儀正しく自己紹介をする桜木は、年齢のわりに筋力の備わった体格をしており、実際の上背うわぜいより、いくらか大きく見えた。三鏡の素性を知らない桜木は、無遠慮にまなざしをわし、相手の整った顔だちに「きれいですね」などと、口がすべった。すぐさま失言だったと反省し、軽く頭をさげた。


「きみ、心中者の穢れをもらっているね」


「……え」


「最近、出張でもしたかい」


「は、はい。蔵持くらもち旅籠はたごへ取材に行きましたけど」


「蔵持……、数年前、流行病はやりやまい猖獗しょうけつをきわめた地方だね。そういう場所へ向かうときは、気をつけたほうがいい。さいわい、きみは純真うぶのようだから、祟られずにすんだようだ。遠出とおでのさいは、清め塩を持ち歩くといいよ」


「おれが、うぶ、、に見えますか。いちおう社会人おとなです」


「見た目ではなく、気持ちの問題さ。……桜木くん、きみはまだ、恋をしたことがないね」


「な、なんですか、突然」


「失礼」


 三鏡は青年の首筋へ顔を近づけると、ふぅっと、息を吐いた。その瞬間、すぅっと肩まわりが軽くなった気がする桜木は、「あなたは、いったい」と、たじろいだ。


「さあ、これでだいじょうぶ」


 くすッと笑い、三鏡は名乗らずに去っていく。階段の踊り場に残された桜木は、しばらくぼんやりとしたが、受付の柱時計がボーンと鳴ると、資料室へ向かうため、階段を駆けおりた。いっぽう、帝都あやし編集室に顔をだした三鏡は、日和見ひよりみ室長と会話した。高尾は席を外している。


「そうか、天比古あまひこくんも、蔵持の心中事件を小耳にはさんだのかい」


「ええ。タレ目のと少し話をしました」


「ほう、桜木くんに逢ったのだね」



〘つづく〙

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る