怪しかるもの
地方にある藤原家で長く働いた
「おせんさんは、どこか具合でも悪いのですか」
番頭に蕎麦処へ連れだされた後、おみつに引き渡された結之丞は、長屋ほどのせまい間取りの家で暮らす、老婦人のもとへ足を運んだ。薬種問屋の奉公人の耳が必要になる用事といえば、若旦那に相談をもちかけるまえの確認だろうかと思った結之丞は、老婦人がなにか重い病を
「さすが薬種商の
「夢、ですか」
「そう、まるで純真な
まだ世間をよく知らず、男性と色恋沙汰の経験がない女性を、生娘と呼ぶ。おみつは、結之丞が子どもであることを気にせず、ありのままの事情を打ち明けた。
「ああ、おみつや。いたのね。そうだわ、あの人を見なかったかしら。ほら、わかるでしょう。
思いのほか、老婦人の声は高い。突然ハキハキとしゃべりだし、結之丞の姿に気づくと、興味深そうに目を
「あら、
老婦人は
「書生さんってのが、いったいどんな人物なのかわからないけれど、女じゃだめみたいでさ。若い連中もためしたけど、おせんさんのほうで怖がって、わんわん泣きだしちまってね。……それで、もしやと思って、結坊っちゃんに賭けてみたんだ」
しばらくの間、遊び相手をしてやっておくれと頼まれた結之丞は、にわかに当惑したが、「こっちこっち」と、夢のなかの老婦人に手まねきされた。ひとまず、
「ねえ、
書生の名前が、あさひと云うわけではない。老婦人の夢に登場する少年は、次から次へと変わってゆく。困惑する結之丞は、おみつから湯呑みを受けとり、麦茶をひと口飲んだ。
「悪いね。身内の恥をさらすようでなんだけど、おせんさんに、なにか云ってやっておくれよ。こんなに顔色のいい日は、ひさしぶりだよ。結坊っちゃんのお陰かもしれない。……あたしはね、いいかげん夢ばかり見てないで、しっかり生きてほしいと思ってるんだよ。……娘と孫に先に死なれたら、そりゃ、つらいだろうけれど、おせんさんの人生は、まだ終わっちゃいない。終わっちゃいないんだ」
おみつは怒ったような顔をしたかと思えば、弱々しく笑った。結之丞は気まずく感じたが、老婦人の病を治すには、夢のなかから現実へ連れもどすことが第一歩なのだと悟った。治療に通わせたくても、本人の自覚がないうちは、どうすることもできない。薬種商の丁稚でも、老婦人の役に立てるというならば、結之丞は協力しようと思った。
「わかりました、おみつさん。やってみます」
結之丞は、おせんと顔と顔を合わせ、まずは「こんにちは」と、挨拶した。
〘つづく〙
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