怪しかるもの

 地方にある藤原家で長く働いたおせん、、、は、加齢による体力の低下を理由にいとまをもらい、引っ込み思案な娘とふたり、小さな家で内職をしながら細々と暮らしていた。やがて、娘に縁談の声がかかり、親戚筋しんせきすじの紹介を経て、本決まりとなるが、妻子に逝かれた男は、家をでて他の女といっしょになった。


「おせんさんは、どこか具合でも悪いのですか」


 番頭に蕎麦処へ連れだされた後、おみつに引き渡された結之丞は、長屋ほどのせまい間取りの家で暮らす、老婦人のもとへ足を運んだ。薬種問屋の奉公人の耳が必要になる用事といえば、若旦那に相談をもちかけるまえの確認だろうかと思った結之丞は、老婦人がなにか重い病をわずらっている可能性を考えた。それはそれで的を射ていたが、おみつの表情は曇ってしまった。


「さすが薬種商の丁稚でっちだね。そのとおりさ。どういうわけか、病が頭に入って、夢ばかり見ているんだよ」


「夢、ですか」


「そう、まるで純真な生娘きむすめさ」


 まだ世間をよく知らず、男性と色恋沙汰の経験がない女性を、生娘と呼ぶ。おみつは、結之丞が子どもであることを気にせず、ありのままの事情を打ち明けた。



「ああ、おみつや。いたのね。そうだわ、あの人を見なかったかしら。ほら、わかるでしょう。布袋屋ほていやの書生さんよ」



 思いのほか、老婦人の声は高い。突然ハキハキとしゃべりだし、結之丞の姿に気づくと、興味深そうに目をいた。


「あら、其処そこにいらしたの、書生さん。ほらほら、こっちへきて、いっしょに遊びましょう」


 老婦人は手毬てまり籤引くじびき、刺繍道具などをならべ、どれにしようか迷っている。ぼんやりと佇む結之丞に、おみつが「頼めるかい」と声をかけた。


「書生さんってのが、いったいどんな人物なのかわからないけれど、女じゃだめみたいでさ。若い連中もためしたけど、おせんさんのほうで怖がって、わんわん泣きだしちまってね。……それで、もしやと思って、結坊っちゃんに賭けてみたんだ」


 しばらくの間、遊び相手をしてやっておくれと頼まれた結之丞は、にわかに当惑したが、「こっちこっち」と、夢のなかの老婦人に手まねきされた。ひとまず、彼女、、の機嫌を損ねないよう、結之丞は書生の代わりに老婦人の遊び相手になる。


「ねえ、あさひ、、、、見て。すてきな生地きじでしょう。父様が南堂みなみどうってくださったのよ」


 書生の名前が、あさひと云うわけではない。老婦人の夢に登場する少年は、次から次へと変わってゆく。困惑する結之丞は、おみつから湯呑みを受けとり、麦茶をひと口飲んだ。


「悪いね。身内の恥をさらすようでなんだけど、おせんさんに、なにか云ってやっておくれよ。こんなに顔色のいい日は、ひさしぶりだよ。結坊っちゃんのお陰かもしれない。……あたしはね、いいかげん夢ばかり見てないで、しっかり生きてほしいと思ってるんだよ。……娘と孫に先に死なれたら、そりゃ、つらいだろうけれど、おせんさんの人生は、まだ終わっちゃいない。終わっちゃいないんだ」


 おみつは怒ったような顔をしたかと思えば、弱々しく笑った。結之丞は気まずく感じたが、老婦人の病を治すには、夢のなかから現実へ連れもどすことが第一歩なのだと悟った。治療に通わせたくても、本人の自覚がないうちは、どうすることもできない。薬種商の丁稚でも、老婦人の役に立てるというならば、結之丞は協力しようと思った。


「わかりました、おみつさん。やってみます」


 結之丞は、おせんと顔と顔を合わせ、まずは「こんにちは」と、挨拶した。



〘つづく〙

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