木の箱、燃える

古 散太

木の箱、燃える

 せまい家だ。外の光を入れるための天窓しかないし、風通しも悪い。

 私も年老いた。もうほとんど体の自由はきかない。そんな私にはこれぐらいの家がお似合いなのかもしれない。そう考えると逆に落ち着いてくるのが不思議だ。どうせ誰もこの家を訪れるものはいない。ひとりで残された余生を過ごすには静かでいい。

 ときどき、誰かが家の中をのぞいていく。私はここにいる。もう体は動かないが、私はここにいる。知った顔もあれば、知らない顔がのぞくこともある。いや、知らないのではなく私が忘れているだけかもしれない。

 ここ数年はさまざまな記憶が入り混じっていて、現実かどうかの判別もできなくなった。それが悪いことだとは思わない。人はこうやってあちらへ旅立つ準備をしているのだと考えるようにしている。


 何十年もの間、世間に合わせて生きてきた。世の中の流れに合わせるように努力を怠らなかった。そのおかげで職場でも重要なポストにたどり着くことができた。社会的な信用を勝ち得た証拠だろう。富裕層ではないが、そこそこの贅沢をすることができた。妻も子供たちも一般的な暮らしよりは贅沢させてあげることができたと思う。

 しかしそのせいで、私には自分の人生というものがない。つねに他人の顔色をうかがい、波風を立てないようにするために、自分を押し殺して生きてきた。この年になって振り返ってみると、私の人生は社会の歯車の一つとして忠実に生きていただけだった。歯車の人生ではあっても、人間である私の人生はほとんど見当たらない。

 何を思って生きてきたのだろうと、今さらながら悔しさがこみ上げる。

 私にも夢があったし、未来に希望を持っていた。それはいつの間にか、すべて数字に置き換えられ、つねに誰かや何かと比べられ、ひたすら競争をしていた気がする。若いうちにやりたいことをやっておけば、こんな後悔はなかったのかもしれないが、仕事にありつけただけでも御の字という時代に生まれてきてしまったために、何も考えずに社会の歯車になっていた。これは失敗だった。悔やんでも悔やみきれない。

 他の生きかたがあったかも知れないし、無かったかもしれない。今となってはどうでもいいことだが、どうしても「もしも」ということを考えてしまう。考えたところでやり直しがきかないことは充分に分かっている。だから考えないようにして生きてきたのだろう。我ながら悪手だった。


 また誰かが家の中をのぞいてはすぐにいなくなる。そのたびに家の中が暗くなる。

 今のは、息子か。あいつも老けたな。私もそれだけ年老いたということか。時間というのは本当に無常だ。どんな抵抗もものともしない。抵抗が無意味ならば、上手く利用すればいいようなものだが、上手くいかないことのほうが多い。結局、人間というのは、今どんな判断をするかにかかっているのだとつくづく思う。過去の行いに後悔したところで、何が変わるわけでもないし、明日を心配してどれだけ備えても、かならず明日が来るとは限らない。このあいだまでは、私にも明日があったはずだ。いつの間にか体は動かなくなり、ここがどこかも分からなくなってしまった。

 最初のうちこそ不安と恐怖に苦しめられたが、さすがにもう慣れてしまった。慣れてしまえば、それほどこの人生も苦ではない。今頃、息子は私と同じ苦しみの中にいるかもしれない。親として何も伝えてやれないのが残念だが、これもまた人生だ。


 気がつかなかったが、枕元に花が飾られている。そうだ、庭のバラの手入れは息子がしてくれているのだろうか。時間をかけて丹念に育ててきたバラたちだ。庭の手入れをしているときだけは自分を取り戻せていたような気がする。庭の植物たちが私の本当の家族だったのかもしれない。ものは言わないが、いつでも私をありのままに受け入れてくれて、許してくれた。

 妻と結婚して、子供が生まれる前に郊外の一戸建てに引っ越した。息子はそこで育ち、社会の歯車として羽ばたいていった。娘もそうだ。娘はまだ四歳か。いや、そんなわけはない、息子とふたつ違いのはずだ。また記憶が混ざりはじめたのか。年は取りたくないものだ。

 急に部屋が暗くなった。知らないあいだに眠ってしまったのだろうか。外はすでに夜になっているようだ。

 自分の手で照明のスイッチを入れることができない私にとって、夜はすべてが暗闇でしかない。目が慣れたところで、暗闇は暗闇だ。何も見えるはずもない。

 今どこかで大きな鉄の音がした。足元のほうからだろうか。何かが閉まるような重たい鉄の音。どこかで聞いたことがあるような気がするが、記憶の混ざった混乱した頭では何も思い出せない。

 どこからか轟音が聞こえる。この家を取り囲んでいるようだ。何かが爆ぜるような音も聞こえる。火だ。家が燃えている。火事だ。なんてことだ、この期に及んで火事で焼け死ぬなんてごめんだ。誰か、誰かいないのか、助けてくれ。このままでは焼け死んでしまう。誰か助けてくれ・・・あっ


 そうだった。私はもう死んでいた。昨日か一昨日ぐらいから、私はすでにこの世のものではなかったんだ。まだ頭が混乱しているんだな、きっと。こんな大事なことも分からなくなっているなんて。まぁ今となってはどうでもいいことだ。

 あっという間なんだな、棺が燃えるのって。私の体に火がついて燃え広がる。もう帰るところもないんだな。でも、もういい。歯車人生の終焉だ。

 これからは自由に生きていけるんだな。生きてはいないのか。どちらでもいい。社会なんていう、政治が生み出した幻の世界に踊らされることがなくなれば、それでいい。私は私でありたいだけだ。

 思えば、田舎の実家から始まって、就職してアパートで独り暮らし、結婚して一戸建てで長らく暮らし、体が動かなくなり、記憶が混ざり合うようになって高齢者施設に移り住んで、終の住処はこの木の箱か。

 着の身着のまま、この身ひとつで人生というのは終わるんだな。それもそうか、生まれたときは服も来てないんだからな。身ひとつでこの世にやってきたんだ、この世を去るときも身ひとつが正しい答えなのだろう。

 素晴らしい伴侶に恵まれ、素晴らしい子供たちと生きることができたと思う。社会のありかたはどうであれ、信頼できる友人や仲間もできた。それなりに幸せな思い出もたくさん持っていけそうだ。いろいろ不満はあるが、生きていたからこそ、だな。

 いろいろあったが幸せな人生だったよ。いろいろあったからこそ幸せな人生だったのだろうと、今は思える。

 終の住処である木の箱は、すでに残っていない。見えるかぎり紅蓮の炎。眩しいぐらいだ。誰もがこうして自分の最後を見届けているのだろうか。もうすこし仏教でも学んでおけば良かったな。このあとに起こること、すべきことを何も知らないままこの世を去るのはさすがに不安を感じる。しかし、誰もが同じ道をたどるのだろう。

 私は木の箱から飛び出し、暗いトンネルを抜けて、晴れ渡る広い空の下。

 ありがとう、みんな。ありがとう、私に関わってくれた人たち。私はやはり幸せ者だったよ。


 火葬場の煙突から、晴天の空に向かって煙が立ちのぼる。その煙の一部が、大きな輪を青空の中にひとつだけ描き、空に吸い込まれるように消えていった。

 誰も見ていない空の下。


     完

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