長編小説執筆日記 もしくは孤独老人のおバカな日々
とみき ウィズ
第1話 お話を書き始めた日
西暦2022年8月10日。
暑い日だった。
とみきはガバッ!とソファから身を起こした。
彼は事故で両足を失い義足である。
したがって普通の仕事は出来ず、関東圏内にぼろい一軒家を何件か買って、それを賃貸して家賃で生活している。
家賃生活なんて羨ましいと言う友人もいたがとんでもない。
やっと何とか生活できるほどのささやかな家賃収入だ。
しかし、埼玉県でマンションの部屋を所有しているので自分は家賃を払わずに済むのは助かると言えば助かるだろう。
とみきに家族はいない。
兄弟は無く一人っ子のとみきは既に両親が他界している。
そして、離婚歴があり、授かった一人娘は若い頃に事故で亡くなった。
とみきは7月24日で60の誕生日を迎えたが、誰も祝ってくれる人は無く、不自由な脚を引きずりながら近所のローソンでショートケーキを買った。
マンションに帰り、ショートケーキにろうそくを1本差して火を点けた。
そして、『ハッピバースデートゥーミー』と小声で歌いろうそくを吹き消した。
苦笑いを浮かべ、なぜか涙が滲み出た。
それから2週間ほど過ぎた8月10日のある昼下がり。
とみきにとってマンション以外に目立つ財産なのが65インチの大きなテレビだった。
テレビの向かいのソファに身を埋めてYouTube動画をぼぅっとして見ていた。
(お前、何か書かなきゃな~)
頭の中で声が聞こえた。
とみきは過去に長編のお話をネットで書いていて、一時は熱烈な読者も出来た事があった。
上手く行けば小説家として…などと思ったが、熱烈な支持者の人が投資をしてくれて1冊、自費出版で本を出したが全く売れず挫折した事があった。
それ以降も何本か長編のお話をネットで乗せたが、未だに次の本は出ていない。
とっくに諦めていた。
小説執筆から遠ざかり何年も経つ、とみき。
そして事故もあり障碍者となったとみきは賃貸経営者とは名ばかりの引きこもりの孤独な老人となった。
そんな彼になにか得体の知れない衝動が襲った。
軽薄な自分自身のパロディのような声。
(お前、もう60じゃんか~でも、死ぬまでまだまだ時間があるぜ~!)
……
(なんかお話書いてみろよ~!残りの人生の使い道としちゃ悪くないぜ~!)
とみきは軽薄な声に促されて苦労して立ち上がると6畳間のパソコンの電源を入れた。
背後ではYouTubeでおバカな動画が流れている。
さて、書くと言っても何を…。
パソコンの前の椅子に座りそう考えるとみきの頭に、数少ない友人と久しぶりに酒を飲みに行った時の会話が浮かんできた。
宝くじで大金を当てたらどうする?という内容。
…そうか、主人公が宝くじで大金を当ててどうするかお話にしてやろう。
俺の様に収益が望める賃貸物件を手に入れて、確実な収入を手に入れて、多少田舎でも壁が厚くて造りがしっかりしている間取りが広い中古のマンションでも買って…こいつはブラック企業の社畜で情けない奴だが社畜を卒業して、で、こいつはオカルトマニアでネットで色々まがい物を掴まされたけどある日、本物の吸血鬼が入った棺を海外通販で見つけて…色々道具を揃えて苦労して吸血鬼を蘇らせたらなんと…そうそう、吸血鬼を復活させるには生贄が必要だな…じゃあ、お決まりの処女の乙女を…これもネットのマッチングアプリで調達する事にしよう…
そんな感じで30分ほどで第1話を書き上げた。
タイトルは『吸血鬼ですが、何か?』
これはこのお話の最後の最後に主人公自身が言うセリフ。
これ以外は殆どノープラン。
まぁ、続きを書く時にパソコンの前で考えれば良いさ…果たして明日も書くのかな…?
しかし、第1話を書き上げた後、とても気分が良くて暑い中を遠くのイオンまで足を引きずって歩いて食材とビールを買い、その夜は少々ごちそう(特製チキンカレーとサラダ)を作り、ビールで乾杯した。
軽い感じのホラーコメディ。
最初はそう思っていた。
しかし、いつの間にか、何かに導かれるようにお話はどんどん姿を変えていき、460日間の執筆生活が始まった。
続く
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