第5話 バビロン捕囚

 結城がコーヒーをすすりながら、眼をつむった。私への答えを頭の中で整理しているようだ。結城の背中側には窓があって、ガラスが水滴で曇っていた。室内は薪ストーブの熱気で暖かいが、外の気温はかなり下がっていると思われた。


 私が横を見ると、美咲が結城の顔をじっと見つめていた。結城が口を開くのを待っているのだ。美咲の頬がうっすらと紅潮しているのは、薪ストーブの熱気の影響だけではなさそうだった。


 結城が私を見た。ゆっくりと説明を始めた。


 「それなんだが・・・さっきも言ったように、もともとは、『モーセの十戒が刻まれた石板』、『マナが入った金の壺』、『アロンの杖』の三つは『契約の箱』の中に入っていたんだ。


 しかし、紀元前10世紀ごろに、イスラエル王国のソロモン王がエルサレム宮殿を建てたときには、『契約の箱』の中には『モーセの十戒が刻まれた石板』のみが入っていたと言われている。で、『モーセの十戒が刻まれた石板』が入った『契約の箱』は、そのエルサレム宮殿の中に安置されるんだが・・・残りの『マナが入った金の壺』と『アロンの杖』は行方不明になっていて、どこに置かれていたのか、分かっていないんだ。


 それから、ソロモン王の死後に、イスラエル王国は南北に分裂してしまう。南がユダ王国で、北がイスラエル王国だ。その後、周辺に強大なアッシリア帝国が起こり、紀元前722年に、北のイスラエル王国はアッシリア帝国に滅ぼされてしまうんだ。一方、南のユダ王国はなんとか存続していたが・・・紀元前586年に、新しくできた新バビロニア王国のネブカドネザル2世に攻撃されて、ユダ王国のイスラエル人が首都バビロンに連行され、移住させられてしまう。これが、『バビロン捕囚』と呼ばれる有名な出来事なんだ。


 この『バビロン捕囚』の際に、エルサレム宮殿が焼かれて、『契約の箱』とその中の『モーセの十戒が刻まれた石板』の行方が分からなくなったと言われているんだ。『マナが入った金の壺』と『アロンの杖』は、そのずっと前から行方不明だったので、こうして、全てが行方不明になってしまったんだよ。そして、これらは、そのまま行方不明として現在に至っているというわけさ」


 私は結城の話を頭の中で整理してみた。


 「では、この祖谷の民謡の三つの宝をその『モーセの十戒が刻まれた石板』、『マナが入った金の壺』、『アロンの杖』の三つだとすると・・・それらの三つの宝と『契約の箱』は、『バビロン捕囚』の際に、実は密かにイスラエルから持ち出されて・・・それが、日本の伊勢神宮に運ばれ、それから、さらに祖谷の剣山に運ばれたってことになるわけか」

 

 結城が頭を傾げた。


 「そうだよ。そうなるね。・・・でも、どうして、伊勢神宮を経由して剣山に運んだんだろうか? 剣山を最終目的地にしたのは、それらの宝を隠すためであることは間違いない。とすると、イスラエルから直接、剣山に運んだ方が手っ取り早いじゃないか。・・・しかも、それらの宝を隠すという目的を考えると・・・途中、伊勢神宮に宝を置いたことで、話が全く分からなくなるんだ。・・・だって、伊勢神宮なんて、あまりにも目立つ場所じゃないか?」


 結城の言葉に、私も美咲も考え込んでしまった。


 結城も眼を閉じて考えていたが・・そのうち、立ち上がって、私と美咲のコーヒーを入れ直してくれた。結城がコーヒーを美咲に手渡すときに・・・二人の手が触れた。美咲が慌てて、手を引っ込めた。美咲の顔が赤くなっている。


 照れ隠しのように、美咲があわてて言った。


 「もしかしたら、伊勢という地名に何か関係しているのでしょうか?」


 結城がコーヒーを持ったまま、動きを止めた。結城は美咲の顔が赤くなったことには、気づかなかったようだ。結城がそのままの姿勢で言った。


 「そうか、地名か。そうかもしれない。つまり、『伊勢』という地名をイスラエルのヘブライ語で読むと、一旦、そこで『契約の箱』などを降ろすことを決意させる、何か特別な意味があったのかもしれない」


 美咲がハッとした顔をした。


 「結城先生。ヘブライ語の『イセ』の意味を調べてみましょう」


 美咲が急いでパソコンを操作したが・・・すぐに首を振った。


 「ダメです。ヘブライ語には『イセ』という言葉はありません」


 結城が美咲をなだめるように言った。


 「あきらめるのは、まだ早いよ。『イセ』は日本語の発音だから、ヘブライ語では、もう少し違った発音なのかもしれない。例えば、『イセ』によく似た『イシェ』とか『イシュ』とか。・・・美咲さん、今度は、そういった『イセ』によく似た発音のヘブライ語を探してみてくれないか?」


 美咲が明るく「はい」と返事をすると、再びパソコンを操作した。やがて、美咲の顔が明るくなった。


 「結城先生。ありました。『イシャ』というのが、ヘブライ語の『女性』を表す言葉です。で、『イシェ』というのが『焼き尽くす犠牲』という意味です。この『イシェ』つまり『焼き尽くす犠牲』という言葉は、宗教的な儀式などに使われるようです」


 結城が私と美咲の顔を眺めた。


 「それだよ。『イセ』は、その『イシェ』だよ。『焼き尽くす犠牲』というのは、『バビロン捕囚』の際に、エルサレム宮殿が『焼き尽くされ』て『犠牲』になったことと重なるじゃないか。だから、『イシェ』とは『焼かれたエルサレム宮殿』のことなんだ。


 つまり、『バビロン捕囚』の際に、エルサレム宮殿が焼き尽くされて・・・その際に、さっき藤堂が言ったように、誰かが・・・

 『モーセの十戒が刻まれた石板』のみが入っていた『契約の箱』、

 『マナが入った金の壺』、

 『アロンの杖』

をイスラエルから持ち出したんだよ。それが、巡り巡って・・・日本の今の伊勢に到着したんだ。そして、今の伊勢神宮に安置された。


 その理由は、そこが、ヘブライ語で『イシェ』だったからだ。どういうことかというと、日本に来たイスラエル人たちは、日本の『伊勢』という地名を聞いて、そこが『イシェ』、つまり、『焼かれたエルサレム宮殿』を指す聖なる地名だと解釈したんだ。それで、『契約の箱』などの宝が、一旦、伊勢神宮に置かれたんだよ。で、その後、伊勢神宮から、本来の目的地である剣山のある祖谷に運ばれたんだ」

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