露見

 翌日、卒業後の進路に関する面談が長引いてしまった茉由子は工場に向かう道を全速力で走っていた。


 片手で自転車を運転しながらもう片方の手で大きな荷物を運ぶ、蕎麦屋の出前のような技術はないが、工場まで行くためだけでも自転車を持ってくれば良かった、と茉由子は激しく後悔していた。

 まさか十分間の面談が三十分に及ぶなど、想像していなかったのだ。


 面談にあたった学生指導の先生によると、卒業後の進路を明確に決めていないのは茉由子だけのようだった。


「結婚にしても、家事手伝いにしても、仕方なく就職するにしても、皆さんもうしっかり方針や就職先をしっかり定めているんですよ!


 それなのにあなたは、結婚はする予定がない、家事手伝いはすでに行っているからあえて身分として名乗るものではない、仕事をしたいけれど就職先が決まっているわけではない、と。

 それはね、何も考えていないのと同じです!」


 良妻賢母として四人の子供を育て上げ、その子らが巣立ってから女学校で学生指導の職に就いたという彼女は、茉由子のぼんやりした説明に苛立ちを隠さなかった。

 やりたい仕事はあるが、出来るか分からないだけなんだ、と茉由子が言うと、大きなため息と共に


「女性の華は短いのですよ。時機を逃すと一生を棒に振る。


 それなのに、卒業まで一か月というこの時期に夢を見ているようなことばかり言って……。

 ご両親は何とおっしゃっているの」


 と言ったものだから、茉由子はつい正直に


「両親は、楽しく生きてほしいと言っています」


 と答えてしまった。その答えに、教師はますます危機感を募らせたらしい。


「楽しく生きるためには、計画性やそれを実現するための努力が必要なのですよ!

 ご両親もどっしりと構えて静観されておられるようなら、私と一緒に考えましょう!


 まずはそうね、やはり結婚について改めて考える必要があるわね」


 そう言って、過去の卒業生の進路についてさまざまな例を出しながら熱弁し始めてしまった。


 実際は今の仕事を続けたいという強い希望を持っているのだが、それをおくびにでも出すと質問攻めにあい、実家の状況や学校に通いながら仕事をしていたことなどが芋づる式に露わになりかねない。

 そうなると卒業認定が危ぶまれるばかりか、紅にまで迷惑をかけてしまうかもしれないのだ。


 茉由子がとにかく早く帰宅することだけを考えながら教師の言葉に相槌を打っていると、教師はそれを同意だとみなしたらしい。


「卒業後一年以内に結婚することを想定し、家事を手伝いながら自己研鑽する」


 というのが進路として書類に書き込まれてしまった。茉由子にとっては教師が納得すればなんでも良かったのだが、面談の最後に


「良かったわ、これであなたも卒業文集の『進路』欄が立派に埋まるわね」


 と言われた時に、少しだけ狼狽えたのは事実だ。まさか人目に触れるところに出てしまうとは。


(それにしても)


 茉由子は思う。


(結婚を「想定」して「自己研鑽」なんて、その方がぼんやりしているじゃない!)


 学校を出て働くということを異端とみなす意識が隠しきれていない、教師の様子を思い出しながら憤っていると、工場の前の石段に掛ける総一郎を発見した。


 走り続けて波打っている鼓動がさらに速くなる。


「総一郎さん!」


 茉由子が声をかけると、総一郎は手帳から顔をあげてぱっと笑顔を浮かべた。作業をするためか、いつもとは違い簡単な服装だ。


「遅くなって本当にすみません」


「全然。ちょうど積み終わったところだから、息が整ったら早速店をまわりに行こう。とりあえずいったん休んで」


 茉由子は鞄から水筒を取り出し、お茶を一息で飲んだ。からからの喉を潤してから、ふと気付いたことを質問する。


「あら、『積み終わった』ってことは今日は車ですか?」


「ううん、あれ」


 総一郎が指差した先にあったのはなんとリヤカーだった。


「ええ、あれ?あれを引っ張るんですか?」


 想像しなかった展開に茉由子がぽかんとしていると、総一郎は笑い出した。


「僕も同じ反応だった。でも足で一軒一軒まわるって言ったら、社長の源さんが『それは大変だからこれを使え』って言ってくださってさ。


 たしかに効率いいなと思って、借りることにした」


「何度も工場に戻ってこなくて済みますね。言われてみれば、名案」


「だろう?あ、僕が引っ張るからね。茉由子さんは道案内をよろしく」


「はい……あ、でも疲れたら代わります」


 総一郎はうんうん、と頷き、学生帽をかぶってからリヤカーの引き棒のところに立った。


「それじゃあ、出発しよう。最初の行き先は?」


「まずは麻布十番商店街のサチヤさんからですね。十五分もあれば着けます」


「了解。お、三百五十個載っているのにそんなに重くない。便利だなあ」


 総一郎は感心しながらあまり苦もなさそうにリヤカーを引っ張っている。


「そうは言っても、百キロ以上はあるでしょう?今日来てくださって良かった、ありがとうございます」


「ううん、茉由子さんにも会いたかったし」


 総一郎があまりにさらりと言ったので、茉由子が理解するまで一瞬の間があった。


「あっあの……」


(総一郎さんってこんな感じだったかしら)


 そう考え、また顔が赤くなっているのを自覚しながら、茉由子は小さな声で言う。


「私もです」


 その様子を優しい目で見つめた後、総一郎は


「昨日、容器の会社に行って増産をお願いしてきたよ。大丈夫だって」


 と言った。


「良かった!この波が続くうちに、売れるだけ売りましょう。


 新しい種を無事受け取れたら私、横浜のお店にも営業しに行こうと思っています」


「そうだね。茉由子さんが良ければ、四月以降も社長を続けてほしいって今日言おうと思ってたんだ」


 茉由子は思わず飛び上がりそうになった自分をすんでのところで抑え、


「ぜひ!」


 と大きな声で答えた。


「今日、実は面談で遅くなったんです。適当に答えていたら、進路がぼんやりしているって叱られちゃって」


「他人に言わないでっていう契約だから、困らせたよね。卒業した後は、言ってもらっていいから」


「わかりました」


 茉由子はうきうきした気持ちで歩いた。父と母もきっと喜ぶだろう。今日は肉を買って帰ろうか――


 そんなことを考えていると突然、黒光りした大型の自動車が総一郎と茉由子が並んで歩く隣で急停車した。


「……総一郎?」


 強張った顔をして後部座席から降りてきた男性は、そうつぶやいて総一郎の顔をまっすぐ見た。


 茉由子は何が起きたかを瞬時に悟り、総一郎の顔を見る。しかし、焦っているだろうと思った総一郎は落ち着いた顔で見返していた。


「お父様、こんにちは」


「お前はこんな所でそんな物を引っ張って、何をしているんだ」


「何をって、仕事です」


「仕事って一体、何の」


 狼狽した様子の父親とは対照的に、総一郎は顔色一つ変えず、穏やかな声で答えている。


「僕の事業ですよ。最近僕のことを調べていたあなたなら、ご存知かと思っていました」


「芝山の事業はどうするんだ」


「きっちりやっています。学業だっておろそかにしていない。だから特段、お父様にとって問題はないはずです」


 言うべき言葉が定まらなかったのか、口をぱくぱくしている父親を一瞥した総一郎は、小さな微笑みまで浮かべた。


「それでは、僕たちは今急いでおりますので。失礼します」


 そう言ってまたリヤカーを引っ張り始めた総一郎の隣で、茉由子は慌てて一之介に対して一礼し、再び歩き始めた。



 しばらく歩いたところで総一郎が


「ごめんね、驚かせて。あれが僕の父親」


 と少し眉を下げながら言った。


「いえ、それよりばれてしまって大変なことになりませんか?」


「ううん、最近覚悟はしていたから。茉由子さんは心配しないで」


「そう……ですか?」


 茉由子が余程心配そうに見えたらしい。総一郎はにこっと笑って


「うん、大丈夫。だけどまたそのうち、話を聞いてくれたら嬉しい」


 と言った。


「それはもちろん、私で良ければ」


 総一郎は笑顔のまま頷く。


「さあ、急ごう。今日は忙しいんだから」


「ええ」

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