ラジオでの評価

「続いては、神奈川県の町田峰子さんからのお便りです。


『最近東京へ遊びに行った時、クローバークリームというものを探している女性を何人もお見かけしました。それ以来気になって仕方がないのですけれど、なかなか見つからぬもので困っております。羽田アナウンサー、何をするクリームなのか、もしご存知でしたら教えてくださいませ』


 とのこと。このクリームに関する投稿を、あと五名のご婦人からいただいております」


「きたきた、きたわよ!」


 母、美津子は茉由子の手をびしびしと叩きながら興奮気味にささやく。


「ええ、お母様、しーっ!」


 茉由子は人差し指を唇にあてたまま、続く話を一言一句聞き漏らすまいと意識をラジオに集中させた。

 ここ一週間、この番組は毎日聴いている。もう取り上げてもらえないのか、と諦めかけていたところだったので、喜びもひとしおだ。


「さて、このクローバークリームとやら、正しくはクローバーシェイビングクリームという製品ですね。

 実はわたくしも試したことがなかったので、今朝番組スタッフに入手してもらいました。東京ではいくつか、扱っている小間物屋があるようです。


 シェイビングという名前のとおり、体の不要な毛を剃刀で処理する際に塗るためのクリームなのですけれど、これがまあ、うっとりするような感触で、わたくし驚いてしまいました。

 塗って、剃刀をあてるでしょう?すると剃った後、何も塗らなくてもお肌が潤っているんですよ。ここで気になるのは『べとべとするか』だと思うのですけれど、それはご心配なく。

 ちなみにご使用されたご婦人たちの感想も、皆さんくちぐちに『べとつかないのにしっとりする』というようなことを書かれています。


 とにかくこんな製品、はっきり言ってこれまでに見たことがありません。これは、悩める若い女性の救世主が現れた!ということで、わたくし十点満点をつけさせていただきます。


 以上、羽田百合子の気になる新製品コーナーでございました」


「よし!!!!来たわね!!!!」


 茉由子は思わず食卓の椅子から立ち上がり、両手に拳を作って高く掲げた。


「十点満点ってほぼ出ないんだろう?すごいじゃないか!」


 穣が満面の笑みを浮かべながら小さく拍手をする。


「ええ。それにしても、使った正直な感想を書いて羽田百合子の番組に投稿してほしい、ってカフェーマグノリアの皆さんにはお願いしていたのよ。


 けれど、結局取り上げられたのは一般の方の投稿だったのが意外だったわ」


 茉由子は早口で穣に話しながらぐるぐると思考を巡らせた。


「今日が木曜日だから、週末になったらみんな買いに走りそうね。

 ということは、明日工場に寄ってありったけの在庫を受け取って、お店に納品してまわらなくちゃ。


 このチャンスは逃せない、ああでも学校が終わってからだとかなり時間が足りないわ……」


 ぶつぶつとつぶやきながら食堂をうろうろする茉由子の姿を見て、両親は顔を見合わせて笑う。


「あなた、すっかりビジネスウーマンねえ」


「茉由子、僕は明日の午後は予定がないんだ。荷馬車を借りて手伝ってあげよう」


「本当に!?ありがとう、お父様!さっそくお店のリストをまとめるわ!」



 茉由子が勇み足で自室に戻った後、コーヒーを入れた穣は美津子と自分の前にカップを置いた。


「茉由子、楽しそうだなあ」


 コーヒーを一口飲んだ美津子も頷く。


「そうね。あの子、学校のお勉強で楽しそうにしていたこと、一度もなかったのよ。


 それに、お友達がやれお見合いだ、結婚だ、と急ぐ中でも自分にとってはまだ遠い話……というか、関係ない話のように感じていたみたいで、卒業したらどうするのかまったく見えていなかったみたい」


「そうだな。まるでピンときていないなとは思っていた」


「それが今は、あれもしたいこれもしたい、と意欲の塊みたいでしょう?


 あのさっきのキラキラした目!小さい頃を思い出すわ。

 私、茉由子が楽しそうな今が、これまでの人生で一番幸せかもしれない」


「経済的には君たちに苦労をかけているけれど、僕も同じ気持ちだ」


 穣の言葉を聞き、美津子は穣の手に自分の手を重ねた。


「ねえ、穣さん。あのこと、茉由子ちゃんにはしばらく黙っておきましょうか」


「けれど、早く知りたかったって後で言わないかな」


「言うでしょうけど、背水の陣のような意識で全力で頑張っている時に、少し気が抜けてしまうんじゃないかと思うのよね」


 しばらく黙って考えていた穣は、天井を見上げてふう、と息を吐きながら言った。


「一理あるな。卒業の時に伝えるか」


「そうしましょう。まあきっと、借金がなくなったって知ってもあの子、職業婦人になるって言うわよ」


「ああ。仕事を続けるって言っている君の娘だもんな」


「カフェーを極めるって言っているあなたの娘だもの」


 美津子と穣はいたずらを思いついた子どものような笑顔でカップを掲げ、かちんっと小気味よい音を立てて乾杯したのだった。

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