生涯の伴侶

「うまく二人の状況を作り出せたから、お庭に出て少し歩きましょう、ってお誘いしたのよ。

 心臓が飛び出るかと思ったけれど、清治さんはいいですよって言ってくださった。


 その頃には日が沈みかけていたわ」


「ここからが核心ね」


 茉由子は姿勢を正し、わくわくしながら先を待った。


「学校はどうだとか、夏をどう過ごしているとか、話しながら庭を歩いたのよ。

 それから、あそこに見える建物から一番遠い松の木があるでしょう?その下の岩に腰かけてしばらく話を続けたわ。


 でも私、一体どう切り出そうか考えすぎて頭がいっぱいで、なんの話をしたのか何も覚えていないわ」


「想像がつくわ。後から考えると、自分がちゃんと話をできていたか心配になるのでしょう」


「そのとおりよ。まあそれで、しばらく話した後で少し風が出てきて、肌寒くなったのよ。

 清治さんが、中に戻りましょうかっておっしゃったの。私、チャンスを逃してしまったと思って絶望しながらフラフラと立ったの。


 そうしたら」


「そうしたら」


 茉由子は思わず拳に力を入れた。


「やっぱりお話があるので少しだけ我慢してっておっしゃって、着ておられた羽織を私にかけてくださって」


「それで」


「生涯の伴侶の候補として、僕を考えてくれませんかっておっしゃったの」


 桜子の周りに、桃色の花が飛んで見える。あまりの甘さにあてられ、今度は茉由子が顔を覆った。


「ちょっとコーヒーを飲むわよ、桜子さん。苦味で相殺しないと、話の最後に行きつくまでに私、溶けてしまうわ」


 茉由子はあえて苦手なブラックのままでコーヒーを一口飲み、桜子に続きを促した。


「うー、苦い。清治さんにそう言われて、桜子さんはどうしたの?」


「正直に言ったわ。幼い頃から、清治さんのお嫁さんになるのが夢だったって」


「清治さんはなんて?」


「だいぶ暗くなってきて、お顔がはっきり見えなかったのだけれど、嬉しいって言ってくださったわ。


 それから一緒に歩いて建物まで戻る間に、春から京都にもついてきてほしいということと、翌朝鵠沼に出発される前に私の父に話をするということを話したの」


「もしかして桜子さんも、学校を辞めてしまうの?

 私、今とても嬉しいけれどとても淋しい気持ち」


 桜子は、茉由子の問いに首を振って笑顔で言った。


「いいえ、まず秋に結納をするわ。卒業したらすぐに結婚式をして、清治さんと一緒に京都に発つわ」


「良かった!まだしばらくは一緒にいられるわね」


「ええ」


「ご両親の反応はどうだったの?」


「それがね…」


 桜子が複雑そうな表情を浮かべた。


「親同士、清治さんと私をゆくゆくは結婚させたいというつもりで、幼い頃からよく会わせてきたんですって。だから両家とも、大喜び。


 何も障害がなくて素晴らしいのだけれど、知らぬは本人たちのみという感じで、親たちの盛り上がりに清治さんと私は呆気に取られたわね」


「うふふふふ、全てがうまくいったようで良かったわ。私も嬉しい」


「そうね。兄たちにはまだ言っていないけれど、清治さんのことを可愛がっているし、喜んでくれると思う」


 桜子には兄が二人いるが、米国に留学に行っており二年ほど留守にしている。冬には帰ってくるようだから、結婚式には出席するのだろう。


「あぁ、桜子さんも美代さんも結婚が決まったのねえ。そういえば小雪さんはバイオリンと柔道の君とはどうなのかしら」


 茉由子がつぶやくと、桜子は首を振った。


「小雪さんのところは、あの通りの名家でしょう。お見合いをする時点でもうその相手との結婚は決まっているのよ。


 相手を気に入ったら、それはただの幸運。心が通じ合わなくても、折り合いをつけて一緒に暮らしていかなくちゃならない。


 小雪さんは今、結納に向けて準備しているはずだわ」


 桜子の言葉に、茉由子は唇を噛んだ。

 事業の忙しさに追われ、宿題が遅れがちになっていた茉由子は、夏休み前のほとんどの休み時間を課題に追われて過ごしていた。小雪と共に街へ買い物に行く約束を果たすことはおろか、ゆっくりと友人たちと話す時間もなかった。

 自分が新しいことに夢中になっている間に、友人たちの時間も進んでいたのだ。


「私、全然その認識がなかった…」


 茉由子が落ち込んだ様子を見て、桜子が慰めた。


「茉由子さん、卒業までに裁縫や作法をしっかり身に着けたいと思って先生に追加の課題をお願いしたから忙しかったのでしょう?休み時間も、おうちでも。


 それって立派なことよ。私たちみんな、そんなことであなたを嫌いになったりしないから大丈夫よ」


 うまく解釈してくれている桜子の言葉に、茉由子は胸が苦しくなった。


 大好きな友人なのに、言えないことがたくさんある。秘密はどんどん大きくなり、結果的には騙しているのと大差なくなる。


 茉由子は何も言わず、微笑んで桜子を見た。

 そしてこの先二日間、なるべく嘘をつかずに過ごすためにはどうしたらいいかを考えて心が沈んでいくのを隠すように、元気よく浜辺までの散歩を桜子に提案した。

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