契約条件

「いいわ、全面的にそちらの提示条件で契約しましょう」


「本当ですか!?」


 茉由子は信じられない思いで思わず胸に手を当てた。


「ええ。あなたの言葉を信じるわ。いくつか追加したい条件があるから、それだけ持ち帰っていただけるかしら。


 きっと相談が必要でしょう」


「ありがとうございます!」


「こちらこそありがとう。

 成功して坂東道子の名前が日本中に知れたら、私たちにも大助かりよ。こういう計画を持ってきてくれたのも、あなたが初めてだった」


 あふれる感情に胸を詰まらせながら、総一郎から来た電報を見た時の驚きを茉由子は思い出した。

 製造技術を買い取ったり、どうにかして追加の製造をお願いするのだろうと想像していたのだが、総一郎が出してきた案は、「あの銀座の」坂東道子が監修したという点を全面的に打ち出した製品にするというものだった。

 その点が坂東道子の心を打ったようだ。


(総一郎さんってすごい…)


 茉由子が考えていると、女将から紙と筆を借りた道子はさらさらと目の前で文を書き始めた。時折手を止めて考えては筆を進め、出来上がった物が乾くと茉由子に渡した。


「まず熊みたいな偽のお医者さんと芝山紅さんには、再来週三日ほどうちに来てもらうわ。そこである程度製造方法を覚えてもらいます」


「はい、その点はおそらく問題ありません。ぜひお願いします」


 茉由子は道子直筆の文を見ながら頷いた。


「生産に必要なシアの種は、そちらのご提案どおりうちで輸入できます。

 ただこれまでうちが入れていた量に比べて大幅な増量になるのと、航海日数を考えると、最短で十二月だわ」


 三月中になんらかの結果を出す必要があることを考えると、非常に心もとない時間軸である。茉由子が祈る気持ちで


「もし余剰分をお持ちであれば、それまでに少し分けていただけないでしょうか」


 と言うと、道子は力強く頷いて


「そのつもりよ。うちのサロンで使う量の半年分はいつも念のため多めに仕入れているから、半分お分けするわ」


 と言ったので、茉由子は小さくお礼をした。どこまでも頼りになる道子に後光が差して見える。


「それで、ここからはうちが提示する条件。

 十一月中に製造工場を決めて、販路をしっかり確保すること。


 それが達成できなければこの契約はなかったことにして、教えた製造方法を使って製品を発売することを禁止します。

 けれど輸入したシアの種は全量引き取ってもらいます」


「はい」


 厳しい条件だが、どの道その頃までに発売に向けた目途が立っていなければいけないので、理不尽ではない。


「もう一つは、うちのサロンとの関わり方。


 一般流通させるものと少し配合が変わるかもしれないけれど、サロンで使用するクリームの製造もお願いしたいと思います。その分は原価で買い取るわ。


 その代わり、市販するクリームをサロンの受付でも販売してあげる。確実な販路が一つ出来ると思うと、悪い条件じゃないはずよ」


「社内で議論しますが、私もそう感じます」


 明言は避けたが、むしろ願ったり叶ったりな条件に思われた。


「それじゃあ、そろそろ行きましょうか」


 道子が席を立ったので茉由子も立ち、後をついていく。来た時よりも石庭が美しく見えるのは、気持ちが浮き立っているからだろうか。


 外に出ると道子には迎えが来ており、茉由子は持ってきた袋を急いで渡した。


「これ、私が世界一美味しいと思っているわらび餅です。良かったらお召し上がりください」


「あらありがとう、嬉しいわ。つまらない物ですが、って渡されるよりもわくわくしていいわね」


 道子は笑顔で受け取ったあと、


「茉由子さん、社長としては図太さと抜け目なさがまだ足りないけれど、素直なところと、言うべき時にはしっかり言うところが気に入ったわ。良いお返事、お待ちしているわね」


 と言い、連れと二人で早足で去って行った。


(清々しい)


 茉由子はそう思いながら、銀座の中央通りへと歩みを進めた。

 明治から大正へと力強く生き抜く女傑、坂東道子にとって自分は赤子のようだっただろう。あらゆる展開を想定して臨んだつもりだが、終始道子が主導権を握っていた。人と人との対峙としては、完全に負けていた。

 けれど耕介と紅が開発したクリームと総一郎の戦略があり、結果として会社としては理想の展開になった。


(私の足りない部分を、みんなが補ってくれている)


 図太さと抜け目なさは近いうちに身に着けることにして、まずは総一郎に一刻も早く言いたい。

 茉由子は居ても立っても居られなくなったが、生憎総一郎はあと四日間は東京に帰ってこないはずだ。


 紅に宛て、早急に集まりたいから連絡が欲しい、とだけ書いた手紙を道端で走り書きした茉由子は、それをポストに投函して歩き出したのだった。

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