Folge 4 陽気な酒場

 フォンの部屋を退出した後、二人は廊下を歩いていた。ロレンツはストレスから早く解放されたいのか、一本の紙巻きタバコを細い唇に挟み込んでいる。まだ火を付けていないのは、禁煙区間だということが分かっているからに違いない。


 色気のない冷たい灰色の廊下に、蛍光灯によって映し出された大小の黒影。それらは、ゆっくりと後ろへと伸びている。やや俯き加減に目を伏せていた少年は、沈黙に耐えきれなくなったのだろうか。先ほどから胸中を蠢くすっきりしない何かが、彼を落ち着かせなくさせている。


「……オレ、本当にあんたとず〜っと一緒にいなきゃいけないのかよ!?」

「仕事だからな。俺だって、好きでしているわけではない」

「うっげ……まさか……トイレやシャワーまで一緒とか言うんじゃ……!?」


 少年は顔をひきつらせつつ、両腕で我が身を抱きしめるかのようにしている。一見すると非常に滑稽な光景だが、彼は本気でビビり上がっているようだ。彼は自分から本気で距離をとろうとし、壁に背中を強く押し付けている。そんな彼を横目で見ながら、ロレンツは痙攣するかのように、右眉をぴくりと上へと引き上げた。よく見ると、こめかみあたりに浮かび上がった青筋が一つ二つ。


「……お前、俺を変態にする気か!? そう言う趣味は持ち合わせておらん!」

「だって……監視って普通そこまでするものだろ!? 違うのかよ!?」


 ロレンツは頭痛を我慢するかのように、こめかみを指で揉みつつ大きなため息を一つ付いた。この少年、どうやら前科以外にも色々訳ありのようである。


 何せ、出身地があの規模ばかり大きくひなびた街のマルフェアナだ。犯罪の巣窟であり、日々犯罪の絶えない治安の悪い都市。これまで彼は真っ当な生き方をして来なかったに違いない。きっと、彼自身を脅かす、何かがあったのだろう。参考までに色々聞き出したいところだが、今はその時期ではない。優先事項は少年の空っぽ状態である腹を満たしてやることだ。


「……流石にそこまではしないから、安心しろ。いくら何でも息が詰まるだろう……」


 ロレンツは唇に挟んでいたタバコをつまみ、亜空間から取り出した灰皿へとぎゅっと押し付けた。当てつけるかのようにそれを上からぐりぐりと押さえ付ける。そこまでして、まだ吸ってさえいなかったことにやっと気付いた彼は舌打ちをし、やや苛立った視線でそれを眺めていたが、それをさっさと亜空間へと収めた。


(このガキに出会ってから、本当に、調子が狂う……)


「そんなことより、ガキは飯食って夜はさっさと寝ろ」

「おっさん、オレをガキ扱いすんなって!」

「お前確かまだ十四だろう? ローティーンなら立派なガキだ。お前の年頃は男ならまだまだ伸び盛りだ。しっかり食って、寝られる時しっかり寝ておけ」

「……」


 少年はキョトンとした顔をした。まつ毛の長い目をぱちくりしている。今までそんな扱いを受けたことがなかった分、どう反応すれば良いのか良く分からなかった。


「あと、これはフォンから預かった。着替えだそうだ。なくすなよ」

「え? ……って! ちょっと……! 投げんなよ!」

「後で追加は渡すと聞いている。それまではそれを洗濯して凌げということだ。いいな」


 ロレンツは放り投げるかのように、少年に一つの紙袋を手渡した。ティルは慌ててそれを受け取ると、目を細めつつ、テープで閉じてある間から中身を確かめようとした。かさを見るとそこまで重くない筈だが、どこかずしりと重みが腕へと伝わってくる。


「爆発物は入っておらん。中身は至って普通だから安心しろ……ぼんやりしていると、置いていくぞ」

「ちょ……っ! おいコラ待てよ!! おっさん!!」


 少年は紙袋を片手に、自分より上背のある美青年の広い背中に向かって走り出した。


 ◇◆◇◆◇◆


 ティルはロレンツの後を追うように、彼が向かった店の中へと入ると、賑やかな喧騒が彼らの身体全体を包みこんだ。焼けた肉の香りや、ブレーツェルの香ばしい匂いや、バナナやクローブのような、発酵酒の香りも漂っている。その店は飲食店だが飲み屋の顔も持っているようだ。客の半分は顔を赤らめており、至福そのものである。一般人のみならず、警察官や職人や卸業者などなど、客の顔ぶれは実に多様だ。美味い酒には美味い料理はつきものである。当然、酒を飲まない客層にもウケが良い。

 

 客の入店に気がついた店主のヨハネス・クリューガーは、ロレンツを見ると、久し振りに親友に会ったような顔をした。ロマンスグレーの口ひげをまとった口元に穏やかな笑顔を浮かべる。


「おや。誰かと思ったら、久し振りだなラリー……て、おい。珍しい連れがいるな。お前、確かまだ独り身だって言ってなかったか?」

「久し振りに来たというのに、ハンス、いきなりそれか。俺はこんなでかいガキのいる年齢じゃない。コイツは理由あって預かっているだけだ」

「ふ~ん。そいつはご苦労なこった。席は……ちょうど空いたところがあるから、今から案内させる。本当は色々聞きたいところだが、中が手一杯でな……また今度詳しい話を聞かせてくれ」

「すまないな……ほら行くぞ」

「……」


 二人は店主に案内され、席へと移動した。

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