Folge 3 大人と子供

 上司から拒否権を奪われたロレンツは途端、生きた彫像のようになった。石化したそれを下から見上げるようにしげしげと眺めていた美少年は、何かに勘付いたのか、避難めいたように眉を思いっきりひそめた。


「あんたらいきなり……何なんだ!? オレを監視って……まさか……このおっさんと組めとでも言う気かよ!?」

「ええ、その通りよ。中々賢いわねぇ坊や。あなたをブタ箱に放り込む予定もないし、だからと言ってすぐ野放しにするつもりもない。嫌ならここで即刻眠ってもらうわ……何なら、永遠に大人しくしてもらってもいいけど?」

「……ちっ!」


 抵抗一つ出来ず下唇を噛む美少年を尻目に、ロレンツは身体中にのっそりとよじ登ってくる、どことなく嫌な予感を察知した。世間一般的にあまり望ましくないと思えることは、大抵良く命中するものである。彼はごく僅かな望みをかけ、その予感が外れていることを強く祈りつつ、自分の上司に恐る恐る尋ねた。


「ファオ……監視って……まさか……オフ時もって言うつもりでは……?」

「流石ねラリー。勿論その通りに決まってるじゃない。ここは託児所じゃないし、牢屋に入れる予定のない犯罪者をいつまでも置いておける場所なんてないから。そうそう。やり方、方法はあなたに一任するわ。やりやすいようになさい」


 自分の意思をそっちのけで、どんどん思わぬ方向へと進んでゆく現実に抗うかのように、ティルは目の前にいる大人二人を睨み付けた。勿論、視線の先は己が強引に組まされる相手──両手で顔を覆いながらオーマインゴット! と再び天井を仰いでいる──である。


「何でオレがあんたなんかと組まなきゃいけないんだよ……!」

「ガキは大人しくしてろ。ぐちゃぐちゃうるさい」

「ガキ呼ばわりすんなって! オレを子供扱いするなよおっさん!」

「ガキはガキだ! 大人しくしないと、痛い目をみるぞ。それでも良いのか!?」

「……くっそ……っ!」


 氷河の水の瞳と深い海の瞳が睨み合う。同系色なのに、決して混じり合おうとしない意思が、そこには強く感じられた。

 大人と子供の騒がしい応酬を一人静かに眺めていた統括部長は、ルージュが艶めく口元に思わずくすりと笑みをこぼした。


「あらあら。何か見ていると、二人とも相性良さそうじゃない。息もあってそうだし。あなた達、案外悪くないタッグかもしれないわね」

「「どこがだ!!!!!」」


 振り返り際に、影を帯びた怒鳴り声と若干ハスキーがかった甲高い怒鳴り声が見事にハモった。ロレンツの上司は、それを拾い上げるような眼差しをゆっくりと向ける。どう見ても、ゲームを楽しんでいるかのようである。


「気付いていないようだけど、あなた、今とっても良い表情をしているわ。普段表情が死んでいるというのに、珍しくイキイキしている。私のアイデアも、あながち悪くないってことね」

「……ファオ……からかうのは止めて下さい……」

「とにかく人員を増やした訳だし、なるべく早期に結果を出してちょうだい。ラリー。報酬ベローヌングはきちんと弾むから──この話は以上よ!」


 一方的に終了の鐘を鳴らされた美青年は、渋々承諾せざるを得なかった。上司による呼び出しにより、まさか勤務時間内外問わずの、コブ付きで任務を請け負う羽目になるとは予想外だった。牛や山羊が奏でるのどかな鳴き声が、己から遠ざかってゆくのを切なく感じるが、仕方がない。これも仕事だ。


「……了解致しました。なるべく早期完遂出来るよう努めます」

「私もなるべく助力はするから。また追々連絡するわね」

「……それでは失礼致します。ファオ」


 眉間のシワがとれないまま、その場を立ち去ろうとするロレンツを、深い海の色の瞳が逃さぬかのように睨みつけた。その鋭い視線を感じたのか、その方向へと真冬の雪の中に湧く泉のような、冷たくみずみずしい輝きを持つ瞳は冷ややかに睨み返す。二人の間に、肌が針に突き刺さるような空気が漂っていた。


「……オレを無視して勝手なことばっかりしやがって……! これだから大人は嫌いなんだよ!」

「おい。そこのやかましいチビ。つべこべ言わず行くぞ。大人しく俺に付いて来い」

「チビって言うなおっさん! 一体どこに行くんだよ!」

「飯だ。さっきからお前の腹の音がうるさくてたまらん」


 ロレンツから意外なことを指摘されたティルは、豆鉄砲を食らった鳩のような顔をした。薄っぺらい腹に手をやってみると、ぐぎゅるる……と、先程から情けない音をずっと立てていたことに、彼は漸く気が付いた。


 (……くそっ! )


 彼はどうにもならない現実に抵抗するかのように、心のなかで舌打ちした。相手が大人に対し、自分は所詮小さな子供だ。体格的にもまともにやり合って、色んな意味で勝てる相手ではない。生まれ育った環境のせいもあって、自分が世間一般的にも小柄な部位に入ること位、嫌でも自覚している。


 約百八十五センチメートルほどある、高身長のロレンツに対し、自分は約百四十五センチメートルほどしかない。相手の腰の位置が丁度自分の胸のあたり位。見上げても見えにくいところに相手の顔があって、首が痛くなりそうだ。


 そして、いくら小さくても人間である以上、空腹には勝てない。成長期ならば尚更だ。不服であるが、腹と背中がくっつきそうになる痛みに耐えかね、ここは素直に相手の意に従うことにした。

 

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