Folge 2 突然現れた助手

 ロレンツやダーニエールが言う「ボス」こと、シュヴェールト本部の統括部長は、通称〝Vファオ〟と呼ばれていた。何故皆名前で呼ばず通称で呼ぶのか、理由は定かではない。


 統括部長のいる部屋は建物の最上階にある。ロレンツは屋上から滑るように階段を駆け下り、そのままエレベーターの方まで若干駆け足で向かった。そしてそのまま通路の示す左に向かって無心に歩き続けると、見覚えのあるダークブラウンの扉が見えてきた。


 スーツの上着を羽織り、襟元を整えた彼はぐっと息を飲み込むと、その厳かに見える戸を右手でコツコツとノックした。すると、数秒後に、戸の向こうからやや低めな女の声が聴こえてきた。


「どなた?」

「〝エル〟です。ファオ」

「どうぞ入って」


 入室許可された男はノブに手をかけてゆっくりと戸を開けた。

 室内には、黒の上下のパンツスーツに身を包んだ一人の女性が立っていた。男勝りな銀色短髪で、目付きが若干きつい女だ。意志の強そうな翠色の双球が二つ並んでおり、身長はロレンツより拳一個分位低い。


「思ったより早かったわね。〝エル〟」

「話があるなら、〝デー〟経由ではなく、直接俺に連絡下さいよ、ファオ」


 彼の言葉は避難めいた響きを幾つか含んでいたが、銀髪翠眼の美女は意にも返していないようだ。それどころか、余裕ぶっているようにも見える。


「あなたのことだから、てっきり屋上うえで時間を潰していると思ったのよ。ラリー。ダニーはたまたま用事があってここに来ていたから、今なら丁度良いと思って、あなたを呼ぶように伝えたの。ただ、それだけ」

「要件は何ですか?」


「ねぇラリー。今あなたが担当し始めたトロストエンゲル癒しの天使の件は、今どこまで進んでいるのかしら?」

「それは……」


 金髪碧眼の男はぐっと喉をつまらせた。

 今、ベイエルク市の裏で名を広めている〝癒しの天使〟──合成ドラッグのこと──を回収する。それが、彼の新たな任務だった。今のところ捜査に手こずっており、尻尾を掴むことさえままならない状態が続いていたのだ。部下達から仕入れた情報によると、出処としてはマルフェアナという地区が怪しいと先日漸く掴んだばかりだった。


 マルフェアナに逃げ込んだ連中を見つけ出し、トロストエンゲルをいち早く回収せねばならない。


ドラッグの効能については未知数で、まだ分からないことだらけだ。


「今、例のスラム街にあると言うところまでは掴んでいるようね。それから先をどう進めるか……そこで一つ提案があるの」

「提案?」


 ロレンツは首を僅かに左に傾げ、自分の上司に言葉の先を続けるよう、促すような視線を向けた。すると、彼の上司は彼の予想を遥かに越えるようなことを冷静に告げた。


「ラリー。この前あなたが捕まえた、あの坊や。これから先、あなたは彼と共に任務に当たって」

「……な……っ!?」


 ロレンツは切れ長の目を大きく見開き、硬直した。彼の上司はまさかのバディ、しかも子供と組めと言っているのだ。流石の彼も即肯定の返答をしかねた。驚き過ぎて、影を帯びた低音ヴォイスが、すっかり裏声になっている。


「確かに、彼は金品強奪事件を引き起こした犯人でもあり、他にも余罪が色々ありそうな坊やだと言うのは分かってるわ。しかし、これまで全く足取りがつかめなかったのは紛れもない事実よ。恐らく彼は只者ではない。だからこそ、逆にこれを利用しない手はないと思ってね。しかも、彼、マルフェアナ出身でしょう? 道案内役にはうってつけだし」


 つまり、一種の恩赦というものだろう。牢屋に拘束しない代わりに、こちらの手先になってもらうわけだから。しかし、まだ分からないことだらけなのに、彼を信用しても大丈夫だろうか? ロレンツは眉間にシワを更に寄せる。


 マルフェアナに逃げ込んだ犯人を捕まえる。その捜査の助手をその少年にさせろと言ってきているのだ。


「しかし、うちが尚更危険では……!?」

「念の為、彼の右腕のある場所にチップを仕込んだの……睡眠薬で眠らせている間にね。場所は敢えて言わないでおくわ。ただ、怪しい動きを見せたら感電させて止めること。それで言うことをきかせれば良いわ」


 ファオはアイスブルーの瞳を持った青年に、一つの物体を手渡した。今で言うUSBメモリーのような形状をしている。掌の上に乗るそれは鉛色を帯びており、小型な割には妙な重みを感じる。彼女は部下にそれの扱いを一通り教えた。自分の手の中にあるこの小さな物体一つが、あの少年の自由を束縛する──考えただけで背筋がぞくぞくと寒くなった。


「……」

「あと、傷の手当ては済んでいるけれど、あの坊や、足を少し痛めているようよ。あなたが捕らえた時、少し捻ったのではないかしら。どのみち手負いでは遠くまで逃げられないわ」


 つまり、彼は見えない首輪で繋がれた手負いの犬のような状態だ。子供相手に無慈悲のように見えるが、相手は金品強奪事件の犯人だ。油断は出来ない。


 はいといいえとも言えない、微妙な表情をしたままのロレンツを尻目に、彼の上司は扉をノックする音に向かって返事した。


「お入りなさいな。ティル・シュナイダー」

「……」


 開かれた扉の先に、一人の少年が姿を表した。それをひと目見たロレンツは思わず息を呑みこんだ。


 白磁の額を覆う、さらさらとした艷やかな黒髪。その下から覗く大きな二つの瞳は、大海原を思わせるようなウルトラマリンブルー。


 白のカッターシャツにサスペンダー付きの黒の半ズボンを身に着けており、膝下までの白のハイソックスに黒のローファーという出で立ちだった。やや痩せ過ぎで華奢な体格さえ隠せば、どこから見ても良家のお坊ちゃんである。先日ロレンツが捕まえたぼろをまとった窃盗犯と同一人物とはとても思えない──一体誰が一体どこでこんな服を手に入れてきたのだろう。


 (……どうでも良いのだが、誰かの趣味が入ってないか? )


 訝しむロレンツを尻目に、彼の上司の口元はどこか余裕たっぷりにブラウンめいた紅い弧を描く。

 

「勤務中の彼の管理はあなたに任せるわ。ラリー。しっかり監視してね」

 

 (何故この俺がよりによってこのガキのお守りをしないといけないんだ!? )


 心の中でオーマインゴット! とのたうち回る金髪の青年に対し、ファオは表情一つ変えずにとどめを刺した。


「ラリー。これはあなたの上司としての命令よ。従ってもらうわね」

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