第10話 アルバイト採用
ハッピーリレーの事務所にはタクシーを使って行く事になった、徒歩でも行けるのだが事務所には地下駐車場があり、そこから入った方がプライバシーが守られやすいからだそうだ。
駐車場には市乃が通行証を提示して通り、市乃がタクシー料金を払ってから社屋に入る。裏口のような地下駐車場から入る時も警備員が居て、市乃が配信者証という物を見せて中に入る。
もっとも入る時は配信者表を見せるというよりは、警備の人が顔を覚えて判断するみたいな形らしい。警備もコンプライアンスがしっかりした会社に頼んでるそうだ。
「ここがロビーだから少し待っててね、話を通してくるから」
「ああ、分かった」
灰川は見た目上はハッピーリレー事務所のフロントロビーはのソファーに普通に座ってるだけだが、心の中はどうにも落ち着かない。ロビーはそこまで広くはないというのも理由の一つだ。
普通の社会人だって慣れない会社の中に入るのは緊張する者も多いし、灰川もその口の人間だから慣れないコミュニティの場では窮屈さを感じる。
だが年齢も年齢だし見かけは普通にする、こういう風な人は意外と多いだろう。つまりは普通の一般人という事だ。
「灰川さん、話が付いたから案内するねー」
市乃に連れられてロビーの奥のエレベーターに乗る、聞くとハッピーリレーの事務所はビル一棟あるが5階までであり、その他の階は倉庫などとして貸し出してテナント料を得てるそうだ。
エレベーターを降りたのは3階で、ここでは主に事務仕事や仕事客の応接などをしてる階だそうだ。灰川も一応は仕事客ではある。
案内されたのは社員が仕事をしてる大部屋の入り口を過ぎて、廊下の奥にある応接室だった。室内はソファーとテーブルだけの簡素な室内で、いかにも会社の応接室と言った室内だ。
思ってたより配信者とかVtuberの会社って感じがしない、灰川じゃなくてもそんなイメージが湧くだろう。そんな事を考えてると担当の人が来て挨拶を交わした。
「こんにちわ、ハッピーリレー株式会社、人事部の
「灰川といいます、よろしくお願いいたします」
木島と名乗った人物は20代前半と思われる女性だった、こういう所だと男が出て来るイメージが強かったから灰川にとっては意外だったが、表面には出さずに話を続ける。
何がよろしくなのかイマイチ自身にも掴めないが、一先ずは無難な挨拶から入った。
「ここからは私が説明するね、木島さんはハッピーリレーに私が入った時からお世話になってる人で、配信者のスケジュール管理とかレッスンとか色んな事をしてくれてる人なんだよー」
「それは凄い、かなり忙しそうな仕事をなさってるんですね」
「いえいえ、慣れてしまえばどうという事はありません」
具体的な仕事内容なんて知らないが社交辞令で反応を返す、至って普通の事だ。
「こちらは灰川さん、木島さんに前に話したけど、怪談配信の時に助けて貰った人だよっ」
「お話は伺いました、その件では三ツ橋エリスと北川ミナミがお世話になったそうで、ありがとうございました」
「いえ、何事も無くて何よりでした」
話は通っていたそうだが会社内では木島さんしか知らないようだった、やはり霊能力者に偶然が重なって助けられたなんて胡散臭い話は歓迎されないだろう。
「ところで灰川さんはどのくらい話を聞いてるのでしょうか?」
「ほとんど何も聞いていませんね、三ツ橋エリスさんからは会って話を聞いて欲しいという程度でして」
「え? もっと話したよー、灰川さん私の話聞いて無かったの?」
「………」
「……」
微妙な空気が流れる、今の受け答えは『三ツ橋エリスは貴社の内情を社外の人間にベラベラ喋ったりしてませんよ』という、口裏合わせのやりとりだった。
いわゆる暗黙の了解というやつだ、そういう所には彼女は疎い所がある。良くも悪くも素直で能天気というタイプだ。
「一から説明させて貰いますね、当社ではホラー方面や怪談、心霊や都市伝説などの配信にも力を入れていこうという事になりまして、アドバイザーやそっちの方面に詳しい方を探しているんです」
探してるのはオカルトに詳しく、配信や動画撮影などにも理解のある人物、その他にも配信者や会社に気を配れて指示に従えて、理知的で論理的、人間性も優れていて不測の事態にも対応できる柔軟性や、諸々の人間的魅力を備えた人物を探してるとの事だ。
「あの、帰って良いですか?」
「ちょ、灰川さんっ!? いきなりそれはないでしょ!」
「いやだって、そんな奴居ないって!
これを聞いて一気にヤル気を無くし、灰川は普段のような振る舞いに戻ってしまった。求められる物が多すぎて自分には縁のない世界と断定したのだ。
「そうですよね、こんな人は居ませんよねぇ? この会社の運営幹部はウチの会社には1流以外の人材は要らないとか言っちゃってるんですから、嫌になりますよ」
「会社の上層部とかは身の程を知れって感じっすよね、バカも休み休み言えって感じっすよ、居る訳ねぇじゃんこんな奴」
「ですよねぇ灰川さん!どこの会社も一緒ですよね! 役員や経営陣は自分らが滅茶苦茶優秀とか思っちゃってるんですよ、出来て3年で急成長しちゃったから調子に乗ってるんですよ!運営のせいで優秀な配信者が抜けてったというのに」
どうやら木島も相当に溜まってた感情があるらしく、弾けた灰川に感化されて心の内が漏れ出ていた。
「つーかこの7つ目の条件の当社の風格に相応しい高い能力と人間性を有し、当社の利益と発展に全てを捧げる覚悟を持った人材である事が絶対条件とか、ブラック企業じゃん」
「今時の文言じゃないですよね、しかもこれアルバイトの募集ですし」
「バイトなんすか!? どんだけ自意識過剰な会社なんすか」
配信業界では名の知れたハッピーリレーに対する見方が一変した、もう既に灰川にはこの会社に関わる意思は無くなっていた。こんな所に入るくらいなら配信は個人勢で良いし、見えてる地雷なのは明らかである。
「これもう霊能力者を探すとかオカルト研究家を探してるとかじゃなくて、何が起こっても会社に都合の良い事を言えって条項でしょう、俺には無理っすね」
「私がオカルト研究家だったとしても嫌ですね、以前はこんな会社じゃなかったんですが、今のような環境になると知ってたら私だって入社してなかったかもですよ」
灰川はブラック企業に苦しめられた経験があり、木島はブラック企業化しつつある会社の現状を嘆いてる。末端の人間と部外者が何を言っても変わらないが、ここで一人黙ってた人物がソファーから立ち上がった。
「……ちょっと、配信部の主任に会ってくるね」
「え…? エリスちゃん?」
「市乃、いやエリス? いったいどうした」
灰川も木島もエリスの存在を忘れて話をしてたから全て聞かれてしまった、会社のこういった内面の事は配信者などには言わないルールのような物があったのかもしれない。
「悪ぃことしちまったかな木島さん、下手すりゃ会社での立場が悪くなるんじゃ…」
「いえ、もし悪くなったら会社を鞍替えしますよ、業界ナンバー2の配信企業の`ライクスペース`からヘッドハンティングの誘いが来てますから」
待遇や社風が悪い方に流れてしまった会社は人材から見切りを付けられる、愛社精神や雇ってくれる恩義で会社に尽くす時代はとっくに終わってる。
会社が労働者を使い捨てにして来たように、労働者もしたたかに会社を使い捨てにする時代だ。勘違いした経営をする会社は人材を失い続ける事になる、今のハッピーリレーがその典型例だ。
少し待ちながら木島と話をしてると、エリスが思ってもみなかった人物を連れ立って応接室に入って来た。
「こんにちわ灰川さん、今日もお会い出来て嬉しいです」
「え、ミナミちゃん? 今日は来ないんじゃなかったの?」
「実は先程まで事務所の配信ルームで雑談配信をしてたのですが、まだ灰川さんがいらしゃると聞いて伺わせて頂きました」
まさか今日も会うとは思わなかった、エリスが戻ってきたら帰ろうと思っていたから少し困ってしまう。
「話しつけて来たよ! 私とミナミが灰川さん以外のアドバイザー霊能者を雇ったら事務所辞めるって言ったら一発だった!」
「おまっ、エリス何やってんだよ! 断ろうと思ってたんだぞ! しかも俺は個人で配信してる身なんだぞ!?」
「それもOKだよー、ハッピーリレーは事務所の名前を出さなければ個人配信OKだし、社員さんも個人でゲーム配信とかやってる人いるしねー」
ホラー系統の配信の御付きの霊能者に勝手にされてしまった、しかも変な所で規則が緩くて灰川がアルバイト霊能者にする事を勝手に決められてしまった。
「俺はやらねぇぞ! ブラック企業なんざ願い下げだ!ヒドい目に遭わされたからな」
「アルバイト契約書には危険を加味して時給は特殊な職務のため3000円って書いてあるよ」
「よっしゃ! 何すれば良い!? 社長の靴舐めるかぁ!」
「わぁ! 灰川さんが受けてくれるんですねっ、とっても嬉しいですっ!」
「だろ!? 嬉しいよなぁ!?」
そんなこんなで灰川はアルバイトとして社会復帰をする事になった、どうやらハッピーリレー事務所はホラー界隈への進出にかなり力を入れる予定のようであり、灰川は巻き込まれるような形で雇われる事が決まってしまったのだった。
その後は雇われる準備を進めたり、緊急で職業安定所に行って手続きをしたりと忙しかったが、何とかその日の内に準備は済んだ。
明日はハッピーリレーの事務所に行って仕事内容や会社の事を詳しく聞く事になっている、どうやらエリスとミナミが相当に強く推したらしい。
エリスとミナミは今やハッピーリレーの1番手と2番手だ、しかも3番手には大きな差を付けて人気があり、会社の稼ぎも二人の配信やその他の展開による収入が非常に大きいようだった。
その二人が灰川を雇わなければ移籍するとまで言い放った、そう言われては事務所も納得するしかない。落ち目になってた事務所側としては二人は絶対に失ってはいけない戦力なのだ。
「お、ミナミちゃんが配信してる」
灰川は可能な限り配信をするようにしてる、配信というもの自体が好きなのだ。しかし今日は明日に疲れを残さないよう自身で配信はせずに見る方を選んだ。
『今日は皆さんにお知らせがあります、よく聞いてて下さいね』
コメント;え?今日って何かあったっけ?
コメント;イベント告知?
コメント;なにかな?ミナミちゃんの新グッズ?
視聴者たちも何も知らないらしく、いきなりの新情報告知に配信ページがざわついてる。
『実はハッピーリレーには怖い話や都市伝説が好きな人が多くて、これからそっち方面の配信や動画も作って行こうって事になったんです!』
コメント;え?マジ?
コメント;なんか意外かも
コメント;うおー!私けっこう好きかも!
コメント;そういえばエリスちゃんが前に怪談配信してた!
反応はマチマチだ、北川ミナミのファン層には深くは刺さらなかったのかもしれないが、新たなファン層を開拓するための試みだから普通の事かも知れない。
そもそもどの配信者やVtuberがホラー系配信や動画制作をするのか灰川は知らないし、ハッピーリレーとしても足踏みしてる段階だろう。
だがやろうと思えばすぐにやれるのが配信やネットの強み、決定が下されるのは早いはずだ。
『実は私も怖い話や都市伝説が嫌いじゃなくて、インターネットで怖い話を読んだりしてるんです。実際に体験するのは怖いですけどね』
コメント;そうなんだ!
コメント;こりゃ俺も怖い話とか読まないとな~
コメント;最近けっこう流行ってるもんね、そっちの方
発表した感触はまだ何とも言えない感じだ、好意的に見てくれる人も居れば苦手分野だと感じる人も居る。けど全体的な感触としては悪くは無さそうに見える。
まだ始まってもいないし灰川は関係者と言ってもポッと出のアルバイトに過ぎない、アドバイザーと言っても本当にそっち方面の事を期待されてる訳でもなく、エリスとミナミの推薦枠という鳴り物があっての採用だ。
「まあ、でも普通の人よりはそっちには詳しい訳だし、何とかなるだろ」
灰川の目標はあくまで配信を職業と名乗れるようになる事だ、そのためにもハッピーリレーでアルバイトをする事は悪い事ではない筈だ。
そう考えると、このプロジェクトを成功させれば配信界隈で何かしらの成功の糸口になるかも知れない、そんな考えを持ちながらミナミの配信を見てると何となくコメント入力の欄にカーソルを向けてしまっていた。
[灰川メビウス;マジ頑張って]
そのコメントは一瞬のうちに滝のように流れていくコメントに埋もれて見えなくなるが。
『~~! はいっ、頑張りますねっ♪』
画面の中の北川ミナミがとても張り切った明るい声で、にこやかに視聴者たちに向けて返事をする。
ミナミは灰川のコメントに気付いたのかもしれない、今の嬉しそうな声はひどく
コメント;おう!頑張って!
コメント;今のミナミちゃん、めっちゃ可愛かった!
コメント;怖い話期待してるよ
コメント;どんな配信になるか不安だけど楽しみだよ
この配信を見てて灰川はプロ相手に迂闊なコメントは打てないと感じた、素人から見れば流れて消えてくだけのコメントでも、ミナミやエリスのレベルの配信者になると視界の端で流れてるコメント欄を頭の何処かを使って読んでるのかもしれない。
配信者としてのレベルが違う、マルチタスクの多重思考、虫が飛んでるような速さで流れるコメントを逃さぬ観察眼、トークの仕方に話選び、CGモデルである事を意識した振る舞い、全てが整ってる。
これらの事が自然に出来て当然、これが1流の配信なのだと改めて思い知らされた。10才近くも年下の女の子に完全に負けてる、それが悔しかった。
もちろん配信者にだって様々な性格の者やスタイルの者が居るが、それぞれの有名どころは必ず人を惹きつける何かがある。
「俺も負けてらんねぇわな」
気合を入れ直す、取りあえずは生活が出来るだけの収入は保証すると言われたし、拘束時間はそんなに長くないとも言われた。
ここは自分の配信を磨きつつハッピーリレーで配信の極意を盗ませて貰おうとか考えながら、その日の夜は早めに就寝した。
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