第8話 下級生

 昼休み。

 二年七組の教室。

 七々原ななはら 柚希ゆずきは自分の席で一人ポツンとお弁当を広げていた。


(――あれ?)


 その様子を見て玄乃くろのはなんとなく感じるものがあった。

 違和感。

 パッと見はおかしなことはない教室の風景だが、柚希の周りだけ微妙に近寄り難い雰囲気がある。発生源は柚希本人。

 ピリピリとした感じではないが、それでもよっぽどの鈍感な者でなければ彼女がどことなく周りと距離を置いている雰囲気を察するだろう。


(七々原って、こんな感じの奴だった……か?)


 同じクラスの同級生クラスメートとはいえ、昨日のことが無ければ特に意識するような関係でもなく、日によっては一度も言葉を交わさないということも珍しくはなかった。単純に同級生としてそれ以上でもそれ以下でもない関係。

 だから普段、柚希が教室でどんな風に誰と過ごしているかなんて詳しくは知らなかった。

 昼休みに一人で弁当を食べる。

 それが別に変だとは思わない。玄乃も鉄也てつなりとの稽古がない日は学食で一人というのも珍しくない。今日も購買部でパンと牛乳を買って一人で手早く済ませたくらいだ。

 食事は大勢で食べた方が美味しいなんてのは幻想だと、少なくとも玄乃は思っている。

 一理あることは認めるが、それは本当に気の合う仲間や知り合いと一緒という条件が付く。

 その気の合う仲間とやらが片手の指でも余るほどの人数しかいない玄乃にとっては、一人飯の方が気楽で良い。

 なので弁当を一人で食べている柚希を見てぼっちな奴とか、寂しい奴だなんて微塵も思わない。

 ただ学級委員長をしていたり、昨日の件でもそうだが面倒見の良い彼女が人の輪の中にいないというのがなんとなく思いもしなかった――というのが玄乃の正直な気持ちだった。

 ほんの一瞬、ためらいはしたものの玄乃は予定通りに声をかける。


「七々原、食事中にごめん。食べ終わってからでいいから、ちょっと相談したいことがあるんだけど」


 玄乃が声をかけると、向けられた視線はいぶかしげな感情いろが浮かんでいたが、相手が玄乃だと理解するとそれもすぐに消えていった。

 柚希は箸ケースを箸置き代わりにして丁寧に置き、そろえた指先で口元を抑えるような、隠すような仕草の後、ペットボトルのお茶を飲んで整えてから口を開く。

 女子高生らしからぬと言えば語弊があるかもしれないが、その様子から「金持ちの家のお嬢様っぽいな」と玄乃に思わせた。


「――相談したいこと? 私に?」

「あ、あぁ」

「ン、わかった。じゃ、お弁当片付けちゃうからちょっと待ってね」

「あ、いや。そんなに急ぎって訳でもないんだ。ゆっくり弁当食ってからで」

「いいのよ。もう食べ終わったし」

「そ、そうなのか? 何か悪ぃな」

「いいってば」


 そう言うと柚希は小さな可愛らしい弁当箱を、これまた可愛らしい風呂敷で包んでいく。その柄は耳のリボンが特徴の超有名な猫のキャラクターだった。


「――どこか行く?」

「いや、ここでいいよ。別に深刻なことでも誰かに聞かれちゃまずいって話でもないから」


 玄乃はそう言いながら、柚希の前の席――誰だか知らない――の椅子を拝借して背もたれを胸元で抱え込むように座る。


「それで?」

「えっと。昨日のことなんだけど――さ」

「昨日のこと?」

「ほら、落伍者ドロップアウトっぽい三人組に絡まれてたじゃん?」

「あぁ、あの三人のこと? 知らない人たちだったわよ?」

「いや、あいつ等のことじゃなくて。その、絡まれてた子の方。名前は忘れちまったけど」

「――茜音あかねさんね。善家ぜんけ 茜音あかねさん。一年二組って言ってたわね」

「そうそう。その善家さん」


 聞いた時には変わった苗字だなぁと思いはしたものの、なかなか思い出せなかった玄乃は、実は名前を覚えるのが苦手だったりする。

 柚希のことをずっと「委員長」と呼んでいたのもそういう理由からだ。実際、クラスの大半の名前は咄嗟に出てこない。


「彼女がどうかしたの?」

「いや、なんつーか、ほら。昨日、怖い思いしたから大丈夫かなぁとか思って」

「大丈夫じゃないかしら。校内であんな怖い目に会うことはないでしょうし、当分はまた車で送り迎えをしてもらえるようだし」

「あぁ、そうなんだ。車で登校したんだ」


 昨日、落伍者ドロップアウトから助けた下級生、善家 茜音の父親は某有名ゲーム会社の副社長で、中学の頃までは登下校を車でしていた正真正銘のお嬢様だった。

 高校入学を機に一人で通学をするようにしたのだが、昨日の件もあってまた車通学に切り替えた――といったことを、茜音の母親からかかって来たお礼の電話の後、代った茜音本人から聞いたんだと話す柚希。


「そういえば彼女、お母さまも猫田さんにお礼を言いたいんだって言っていたわ。連絡先を聞かれたけどあなたのスマホの番号知らないし。どうしてもっていうなら親御さんから学校に連絡してもらって連絡先を確認してみたらって伝えたけど」

「そ、そう」


(むぅ、親からのお礼の連絡か)


 内心で唸る玄乃。

 玄乃の親――美海みみのところへ連絡がいくのは別に構わないが、それだけじゃ済まないだろう。流れからいけば玄乃本人にもお礼をって話になるだろう。もしかしたら直接会ってなんてことも考えられる。


(うーん、ちょっとそれは避けたいところだな)


 お礼とはいえ、大人に頭を下げられるなんて慣れていないし、逆に恐縮してしまってどうしていいのかわからなくなる。


(あッ! でもある意味、好都合か。彼女の様子を見に行く口実になるな。あとは――)


「んー、そういうことならこっちから会いに行くのもいいか。様子もちょっと気になってたし」

「お礼を受けるのはあなたなんだから、わざわざ会いに行くのも変じゃないかしら?」

「あー、ホンネを言えば彼女本人からお礼を言われるのはともかく、彼女の親からってなると、なんつーか緊張するというか出来れば遠慮したいんだよな。だからほら、直接会って礼なんていらねーよってことを伝えてもらおうかと」


(ちょっと強引過ぎる理由だったか? でも『彼女が魔女かどうか様子を見に行きたい』なーんて言えねぇしなぁ)


「ふーん。まぁ、あなたがそう思うんならいいんじゃないかしら?」

「お? 七々原もそう思う? んじゃ、悪いんだけど彼女のとこに一緒に行ってもらっていいかな?」

「えっ? わたしも?」

「うん。ほら、急に上級生の男子生徒が会いに来たら変な誤解とか噂とかが立っちゃうと困るだろうし」

「え? 男子生徒? 誰が?」

「ん? ――あッ!」


(し、しまった!? 今、オレは女だった!)


「あ、いや、急に会いに行ったら怖がるかなぁ、と。は、はははは」


 思わず柚希から視線を外して乾いた笑いで誤魔化す玄乃。

 そんな玄乃の様子をしばらく見つめていた彼女は、軽く息を吐くと「――仕方ないわね」と言って手早く弁当箱を鞄の中へと入れた。


「まだお昼休みは20分以上あるし。今から行ってみましょうか。善家さん、教室にいるといいんだけど」


 そういって席を立つ柚希に玄乃はパンッ! と手を打ち合わせて礼を言う。


「サンキュ、七々原! 愛してるぅ♪」


 もちろん軽いノリの冗談で言ったものだ。


「――そういうのいいから」


 柚希はそっけなく返事をするが、心なしかその頬が染まっているように見えた。

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猫田くん、使い魔中につき。 維 黎 @yuirei

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