月下、人ならざるモノたち

黒片大豆

《月ノ下ニ集マルハ、誰モ人ニ非ズ》

「実は僕、人間じゃないんだ」


 眩しいくらいの月明かりが、ただただ憎たらしかった。その娘の表情が、うんざりするほど良く伺えてしまうから。


 僕は子供が好きだ。だから、いつも子供に化けて遊んでいた。

 ずっとずっと昔から。何度も何度も、何年も何十年も。

 この村の大人も、僕の神域テリトリーは安全だと考えていたのか、神社の境内で子供たちを気兼ねなく遊ばせていた。

 それこそ、かくれんぼとか、鬼ごっことか。近年だと、白墨チョークを使ったお絵かきや、ケンケンパなんてな遊びを、僕も子供たちに混ざって楽しんでいた。

 大人にも、子供たちにも、僕の存在は理解わかっていたのだろうと思う。遊んでいたらいつの間にか、知らない子供がひとり増えているんだもの。しかも、白狐のお面の姿でね。


 僕が子供と遊んでいた理由? 子供が好きだから。それ以上でも、それ以下でもない。


 その子供たちの中で、最近、ひときわ明るい笑顔を振りまく女の子がいた。

 一緒に遊ぶ子供たちにも、僕にも、そして、他所よその親にも、いつもニコニコ笑顔を絶やさなかった。──僕が違和感を覚えるほどの笑顔で、だ。


 そんな顔するな。君は笑っているんだい。

 話を聞くにも機会を逃していたが、やっと今夜、皮肉にも、その笑顔の意味を教えてもらうことができた。


 人はなぜこうも、自分勝手で傲慢で我儘なのか。


 赤口の丑三つ時に、鳥居に人を立ち入らせるべからず。この時間は鬼門と神道が交わる、非常に不安定な刻なのだ。この村の住人であればよく知っているはず。

 だが稀に、そんな禁忌な時間にも尋ね人は現れる。危険を顧みず訪問するのには、もちろん、それなりの大きな理由が存在する。


 その理由の一つとして、悪霊や妖怪の類がある。特に、人間の手に負えなくなった化け物を、僕に退治してもらうためだ。といっても、ここ数十年、そういったは見ていないが。


 そして、もう一つの理由は、この娘のような『生け贄』を捧げる時。


 僕は、そんなもの望んでいない。他の土地神様の事情は知らないが、少なくとも僕には、生贄は不要だ。

 しかし大人は、自分たちの都合の良いように神事を行い、適当に奉り、そして今宵、数十年振りの生贄を捧げてきた。

 特に今年は日照りが酷く、暫く雨が降っていない。とりわけ、雨乞いの贄だろう。昨年の作物の出来も、あまり良くなかった。不作続きは村の存続に関わる。

 そしてこんな時だけ、都合の良い神頼み。口減らしに子供を寄越してきて──。自分たちだけ生き残ればよいと思っている。


 僕が気づかないはずがないだろう。村の信仰心は、すでにほとんど失われている。

 信仰の強さは直接、僕の存在意義にも通ずる。ここ数年は、明らかに神通力が目減りしていた。僕が子供の姿を維持するのにすら、困憊する程だ。


「やっぱりあなた、『おきつねさま』なのね」

 僕の神域テリトリーでよく遊ぶ女の子。僕が人でないことの告白を聞いて、特に恐れ怯むことなく、いつもの笑顔のまま返答した。さも、すべてを知っていたかのようだ。

 ……流石に、あれだけ堂々と人前で遊んでいれば気づかれるか。


 しかし彼女の笑顔は、どこか無理強いしたものを覚えた。昼間と一緒の、作り笑顔だ。僕は先程の自己紹介に続いて、彼女に質問した。

「顔の傷はどうしたんだい?」

「おとうに、お前は悪い子だって」

「腕のアザも、お父さんかい」

「こっちはおかあ。私、ドジだからすぐ、おかあを怒らせてしまうの」

「そか」

「んでも、笑ってるとみんなも笑ってくれる。それに、笑ってれば、いつか神様がさらって行ってくれるって信じてた」

 彼女は全く、笑顔を崩さなかった。


 彼女がここに現れてから数刻が経つが、誰も探しに来る気配はない。親も了承済みということか。つまりは、村全員の承諾の元、彼女は生贄と捧げられた──。


 体の奥底から、なにか熱いものが込み上げ、鼻を抜けていった。人間は『腸が煮えくり返る』と評するらしい。なるほど、言い得て妙だ。

 けど、やっと、今回のことで決心がついたよ。こんな村を守るほど──『人を護るほど、僕は人が出来ていない』。


「……人じゃないけどな」

「?」

 ちょっとした僕の冗談は、笑顔の彼女には通じなかったようだ。小首を傾げる姿が愛らしい。


「僕は、いまから大人に酷いことをする」

「なんで?」

「君の親たちは、君に酷いことをしたのだろ?」

「……うん。でも、大丈夫、もう済ませたから」

「お別れを?」

「うん。ちゃんとお別れできたよ」


 未だに、彼女は笑顔だ。むしろ笑顔以外の顔を、僕は見たことがない。


「んとね、おきつねさま 私、ずっと想ってたの。いつか、おきつねさまと一緒になれること」


 彼女はどうやら、この刻にこの場に居る理由を理解しているようだ。既に覚悟はできているということか。むしろこの子は、望んで生け贄になったのではとも勘ぐってしまう。……無理もない。村の大人が、そして彼女の両親が、これほどまで勝手気儘な自己中心的なものだったとは思わなかった。


 月光を背後に、彼女が小走りで僕に近寄ってきた。未だに作り物の笑顔。彼女の心情を考えると、素直に喜ぶことは出来ないが、僕も彼女の思いに答えよう。そうすれば、いつか彼女の笑顔が本物になると信じて。

 そう、自分に言い聞かせ、僕は彼女をゆっくりと抱きかかえたのだった──。





 ずっと感じていた違和感。

 この刹那に、それを理解した。

 既に彼女は、だった。


 僕は、彼女を激しく。小柄なは、ゴムまりのごとく軽々と吹き飛ばされ、土埃を上げながら転がっていった。


「……ここまで、耄碌もうろくしたか」

 もっと早く感づくべきだった。気づかなければならなかった。しかし、人の信仰を失い、枯れ果てた神通力では、これが限界だったようだ。

 彼奴に触れた瞬間に突き放せただけ、善しとしよう。引き離せたのだから。

 残り少ない神通力を用い、千里眼を発現させる。そこには見知った村が映し出されるが、僕の知る村ではなかった。


 人の気配が、全く無かったのだ。


「村人を、どうした」

 僕の質問に、答えは返ってこなかった。その代わりに、立ち上がったソイツは笑顔でこちらを見据えた。吹き飛ばされた衝撃で、子供の首は折れ、足はひしゃげ、腕は非ぬ方向に曲がっていた。体中から、血液の代わりにドス黒いけがれが溢れ出て、ソイツの体を染め上げた。


 顔は、笑っていた。


「さて、困ったね」

 おそらく、純粋無垢な子の心が壊れるほどの穢れを受けた、その成れの果てだ。しかしこれほどまで、純粋に穢れを吸い、育った怪異は珍しい。到底、人の手に負える代物ではない。

 ──そうか。村の大人たちは命を賭して、神社ここにコイツを誘導したんだ。通常、怪異が神聖なる領域に好んで踏み入ることはしない。


 しかし、命懸けでコイツを運んだ村人たちには悪いが、残念ながら、僕の力でコイツを倒すのは難しそうだ。


 たぶんコイツは、神社に閉じ込められるのも計算尽くだ。土地神ぼくを喰らって、さらに胆力を増す魂胆だろう。先に村人を全部喰らったのは、力を溜め込むのと同時に、僅かに残った土地神への信仰心を、根こそぎ奪うためだ。


 そうこう思案しているうちに、その化け物は姿形を変えていった。腕は何本にも裂け増殖し、足は太く肥大、四つ足に変形する。体中から瘴気を醸しながら、人とは程遠いモノへ変わっていく。

 しかし、変わらないものが一つだけあった。

 女の子の顔は、天地が逆転していたが、そのまま残っていた。目や口や耳からは穢れが漏れ出していたが、その顔は笑っていた。あの娘の笑顔のままだった。


 ただただ、胸くそ悪い。


『ねえ、おきつねさま、おきつねさま』

 その娘の声色で、喋るな。


『また、あそぼうよ、おきつねさま』

 その娘の記憶を、弄ぶな。


『さあ、一緒になろ、おきつねさま』

 その娘の笑顔を、汚すな。


 僕の頬を、何かが濡らした。

 これは、涙か。

 満月が眩しくて涙腺が緩んだ──いや、これは、感情の高ぶりから発せられたものだ。

 その要因は、情け無さか、悲しさか、虚しさか、悔しさか。

 もう、そんなことはなんでもいい。最期くらいは、村人を信じてやるべきだった。僕を想って、信じて、コイツを連れてきたんだ。


「人の姿に、慣れすぎたな」

 人間の、悪いところが出てしまっていた。僕も村人を、信仰できしんじられなくなっていたんだろう。


 人とはかくも、自分勝手で傲慢で、我儘なのだから。


 眩しいくらいの月明かりが、ただただ憎たらしかった。ソレの表情が、鬱陶しいほど輝いて見えてしまうから。

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