第25話(終)『拝啓、夏の終わりのアナタへ』
僕と椛木乃は高校から出た後、椛木乃からの要望で高校を抜けた先にある石造りのとても長い階段をのぼっていた。
この階段をのぼった先に、椛木乃が僕とどうしても見たい場所があるそうだ。
「先輩……?大丈夫……?」
「大丈夫……じゃないかもしれない。椛木乃は……?」
「私は全然大丈夫だよ」
椛木乃はドヤ顔をしながら胸を張る。
「この体力オバケめ……」
最終日にして、椛木乃に新たな発見をしてしまった。
「もうちょっとで着くから、頑張って!」
「ういぃ~……」
予想以上に情けない声が出てしまった。
そんなこんなフラフラと階段をのぼっていくこと”体感”一時間。
『もうちょっとで着く』なんて言っていたが、全然もうちょっとなんかじゃなかった。
多分、五十段以上はのぼった気がする。
のぼりきった先には、小さめの自然に囲まれたベンチの置いてある休憩所のような場所があった。
ここから、高校や椛木乃と海デートや花火をした海水浴場の水平線を一望することが出来た。
この特異的で少し不思議な夏を締めくくるのに最高の景色だ。
「うっわぁ……やっぱりすっごいなぁ……」
椛木乃は景色を見るなり感嘆の声を漏らしていた。
「ああ……そうだな……」
別のことに脳のリソースを割いてしまっていたせいで、返事がうわの空になってしまう。
正直、ちゃんと返事を出来ていたのかも自覚がない。
僕の脳が記憶を呼び起こそうとしている。
木々の隙間からキラキラと日の差す、暖かなこの場所に、ぼんやりと見覚えがあったのだ。
「ちょっと疲れちゃったし……休もっか」
そう言って椛木乃は小さなベンチに座る。
ごく普通の椛木乃の言葉。
普段であれば引っかかる要素なんて微塵もないような何の変哲のない言葉。
だが、今の状況……何かモヤモヤとした感情に包まれている僕の胸の中に、胸騒ぎという異物として残ってしまった。
「……先輩?」
椛木乃がこちらへ振り返り、目が合う。
「どうしたの?……何か思い出した?」
僕と目を合わせたまま、目を細めて小さく微笑む。
「いや……なんでもない」
そわそわとした心を残したまま、僕は椛木乃の隣に座る。
黙ったまま、ただ景色を眺めていた。
「先輩……もう、お別れになっちゃうね」
「そうだな」
僕の頬に一滴、雨粒が落ちてくる。
空にはまばらな白い雲があるだけで、曇っているというワケではない。
天気雨だ。
「あ……雨降ってきた……」
「そうだな。もしかしたら、結構降ってくるかもだし……そろそろ戻るか?」
「ううん、もうちょっとだけ。まだ、話してないし」
「……分かった」
僕は上げかけていた腰を下ろす。
本当は今すぐにでもここから去りたかったが……。
椛木乃は顔を上げ、どんどんと雨脚の強まっていく空を見上げていた。
「あの日も……こんなんだったっけなぁ……」
どこか悲しそうな椛木乃の声。
椛木乃は立ち上がり、僕に背を向ける。
「ねえ……先輩」
そのまま独り言のように小さくつぶやく。
「私……私ね……先輩のことが、好き」
椛木乃の声が、椛木乃の言葉が、意味を帯びて僕の耳へと届く。
「ううん……違う」
彼女は自分の言葉を否定する。
「私は……
彼女が僕の名前を呼ぶ。
思い返してみれば、久しぶりに彼女に名前を呼ばれた。
「ずっと……好きだったの……!」
何も言えない。
何も言葉にならない。
つらい。
苦しい。
痛い。
懐かしい。
暖かい。
心地よい。
――……大好き。
そんな感情が波のようになって一気に僕の心に襲い掛かってくる。
僕の中で、また何かが動き始めたような音がする。
それと同時に、僕の視界がにじみ出す。
「千景……さん……」
僕の口は自然と彼女の名前を呼んでいた。
「久しぶりだね……凪斗くん」
「千景さん……」
言いたいことは山ほどあった。
話したいこと、話してほしいことだって、山ほどあった。
この……約三年間で、どんどんと膨れ上がっていた。
でも……言葉にならない。
ただただひたすらに、彼女の名前を呼ぶことしか出来なかった。
「ずっとウソをついててごめん。ずっとウソをつかせてごめん。ずっと迷惑ばっかりかけててごめん」
「謝らないでくれよ……」
「また……会っちゃってごめん」
彼女の言葉が鮮明に僕に突き刺さる。
「つらい思いをさせちゃってごめん……」
「つらくなんてない……」
「思い出させちゃってごめん……」
彼女はつらつらと言葉を並べていく。
「嬉しいよ……また、千景さんに会えたことが……」
「好きになって……ごめん……」
「僕も……」
何で……何でなんだ……。
何で出てこないんだ。
たった二文字なのに。
言ってくれよ。
お願いだから。
また……後悔するのは嫌なんだよ。
頭は分かっていても口は一ミリも動いてはくれない。
「凪斗くん……私はもう、いないの。でも……凪斗くんは生きてるの。だから……だからもう、凪斗くんがつらい思いをする必要なんてないの。もう……私のことなんか……忘れて」
忘れられるワケなんかないだろう。
「……凪斗くん」
彼女は振り返る。
「たくさんの思い出をありがとう」
待ってくれよ。
「じゃあね」
彼女は笑いながら手を振っていた。
その手を掴むことすら、僕には出来なかった。
あの後、どうやって家に帰ったのか分からない。
気が付くと、九月一日の朝になっていた。
夏の終わり
この世界は……僕の心は……もう一度、初恋の人を失った。
第一部『嘘の恋人』編 終
恋人はじめました 伊島 @itoo_ijima
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