第24話『この日々の想い出』

 八月三十一日……。

 長かったようで短かった夏休みも、今日で終わりを迎えてしまう。

 同時に、椛木乃の恋人のフリをする期間も今日で終わりになる。

 そんな寂しいような何とも言えない気持ちが渦巻く日の早朝、僕は高校の最寄り駅で一つ、あくびをかみ殺していた。

 時刻は五時半を少し過ぎたくらい。

 始発が動き出してから、まだ間もない時間だ。

 夏休みの最終日にこんなところにいるのには、しっかりとした理由がある。

 僕はスマホを取り出して椛木乃とのメッセージを開く。


<椛木乃:先輩、明日の六時に制服着て学校前集合>


 昨日……というか、既に日付が変わって今日の深夜一時過ぎに椛木乃から届いたメッセージだ。

 そんな雑なメッセージに対して僕は


<うい>


 とだけ返している。

 やる気のない二文字だけで了承してしまっているが、夜中に約五時間後の約束をぶん投げてくるのは、かなり人使いが荒い気がする。

 そして、それをたった二文字で済ましている僕も僕で、いろいろとヤバい気がするが……眠かったので仕方がないということにしておこう。

 そもそも今日で椛木乃とお別れになってしまうので、僕からもどこかに誘おうとは考えていたのでちょうど良かった。


 一人で思考を完結させつつ、僕は駅から出る。

 普段と違う雰囲気の通学路に少しだけ新鮮な気持ちになりながら歩いていき、僕は通っている高校へたどり着く。

 例の如く早く着いてしまったようで、まだ椛木乃は来ていないらしい。


「お待たせぇ……先輩……」


 校門前でしばらく待っていると、眠たそうな顔の椛木乃がのそのそとやってきた。

 あの時間にメッセージが来たということは、椛木乃も僕と同じくらいの時間まで起きていたということだ。

 そりゃ、眠たいだろう。


「ああ、めっちゃ待ったぞ」

「私は時間通りに来たよぉ……」

「何だったら約束の時間よりも早いけどな」


 スマホの画面が映し出している時刻は五時五十分。

 約束の時間まではまだ十分もある。


「で……こんな朝早くにここに呼び出してどうしたんだ?」

「先輩……そこに跪いて……」


 椛木乃はふにゃっとした声で命令してくる。

 まさか椛木乃にそういう趣味があったとは……。


「ここでそういうプレイはちょっと……」

「違うよ!そういうのじゃなくて!」

「近所迷惑になるかもだから静かにな」


 目が覚めてきたのか、だんだんと椛木乃の声が大きくなってきている。

 一応、注意をしておく。


「先輩のせいじゃん。いいから、早くそこ!」

「へいへい」


 全く意図が掴めてないが……仕方がないのでおとなしく指示に従っておくことにする。


「……乗るから踏ん張って立ってね」

「は?」


 僕に有無を言わせないまま、椛木乃が背後に回り足をかけてくる。


「うぐがぁ……」


 腹筋と脚に力を入れて立ち上がり、椛木乃のことを肩車する。


「ちょ、ちょっと先輩!危ないからフラフラしないで!」

「椛木乃が……重たいんだって……」

「はあ!?バカ!バカ!」

「違う……!違うんだ……!」


 非力陰キャは人間の重みには耐えきれない。


「何も違くない!」

「悪かった……悪かったから……暴れないでくれ……」


 何とかして体勢を立て直す。


「先輩、動かないでよ」


 突然、僕の肩から重みが消えてスッと軽くなる。


「……よいしょっと」


 いつの間にか椛木乃は閉め切られた校門の向こう側にいた。


「じゃあ、先輩もこっち来て」

「それは……いろいろと大丈夫なのか?」

「朝だし……ちょっとくらいだったら大丈夫なんじゃない?」

「そういうもんなのか?」


 後々のことに少しの心配はあったが、まあいいだろう。

 僕も門に手をかけて乗り越え、学校の敷地内へと入る。


「椛木乃ってそんなに学校好きだったっけ?」

「うーん……まあまあかなぁ……」


 僕たちは校舎をぐるっと回って、保健室の外まで移動する。


「ここの窓、壊れてるらしいんだよね」

「何でそんなこと知ってるんだ?」

「美憂ちゃんから聞いたの」

「へえ……」


 美憂は一体何者なのだろうか。

 椛木乃がガラスに手をかけて横に引くと、簡単に窓が開いた。

 靴を脱いで手に持ち、窓枠を乗り越えて保健室に入る。

 学校の中に人の気配はなく、普段は感じられない静けさに身を包まれる。


「とりあえず、邪魔だし靴入れてきちゃおっか」

「そうだな」


 椛木乃とともに僕は保健室から出て昇降口へ向かう。

 そこで各々の靴箱に靴を入れると、今度は三階へと移動する。


「何か……ちょっと懐かしい感じがするね」

「ああ、そうだな」


 たった一か月ちょっと程度だとしても、毎日のルーティーンから外れると懐かしさが生まれるものだ。


「あ……開いてる」


 椛木乃が在籍している一年二組の教室の扉が少し開いているのが見えた。

 椛木乃は扉を開き、中に入る。


「ここが私の席で……」


 椛木乃が一つの席に座り、確認するかのようにつぶやく。


「で、こっちが美憂ちゃんの席で……あっちが愛美ちゃんの席で……ここが葵ちゃんの席で……」


 その後も、友人であろう人の名前を一人一人挙げながら、席を確認していく。

 思い出を噛み締めているかもしれない。

 僕はなんとなくで黒板の前に立つ。

 教卓は少しホコリを被っていた。


「先輩?授業してくれるの?」

「してやってもいいぞ?」

「うわぁ……嫌だぁ……」


 椛木乃の方から言い出したことなのに、露骨に嫌そうな顔をしやがる。


「そういえば……先輩に勉強教えてもらったこともあったなぁ……」

「そうだな」


 僕が椛木乃の家に初めて泊まった時のことだ。

 そんな出来事も、もう夏休み前のことになる。

 あの時には現実感がなかった椛木乃との別れが、色を帯びてくる。


「何か……いろいろあったよね」

「ありすぎたな」

「確かに」


 たった二か月ちょっとの出来事だなんて信じられないくらいに、たくさんのことがあった。

 僕はきっと――


「椛木乃のこと……忘れないんだろうな」

「そんなこと言って、先輩のことだから三日で忘れてそうだけど」

「そんなに薄情なヤツじゃないぞ」

「んふふ……知ってるよ」


 椛木乃はそう言って笑う。

 その後、僕たちは少しだけくだらない話をした。

 主にこの夏の思い出の話。


 何度か椛木乃に罵倒されたし、何度か椛木乃に煽られた。

 何度も椛木乃の笑顔を見た。


 僕と椛木乃の夏は、いつもと変わらないまま。

 いつも通りくだらないままで終わろうとしていた。

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