第23話『夢と現実』

 やわらかな風に鼻先をくすぐられて、僕は目を覚ました。


「また……ここか……」


 木々の隙間から日の差す、暖かくて心地の良いこの場所には、もう幾度と訪れている。

 夢の世界にのみ現れる彼女――……リンさんがもうすぐやってくる頃だろう。


「○○くん……おはようございます……」

「うおぉぉ……」


 ふわっと優しい香りがしたと思えば、リンさんが僕の耳元で囁いてくる。

 そのせいで身体の内側がぞわっと反応してしまった。


「ちょちょちょ……リンさん……何の真似ですか……?」

「いやぁ……いつも同じような登場方法だとマンネリ化しちゃうんじゃないかと思いまして」

「だからってこれはちょっと……」

「あ、そうでした。そういえば○○くん、童貞なんでした。刺激、強すぎちゃいましたかね?」

「童貞かどうかは置いておいて……確かに刺激は強かったかもです」


 童貞うんぬんは認めてしまうと、また面倒な絡み方をされそうなので、ほんのりと濁しておく。


「そんなことより……リンさん、その恰好……」

「あ、気付いちゃいました~?」


 気付かないワケがない。

 リンさんは黒の下地に、白とピンクと赤の花柄の浴衣を着ていた。


「どうでしょう?中々に似合ってると思うんですけど」


 リンさんは声を弾ませながらクルクルと回ってみせる。

 自信満々なようだ。


「まあ……可愛いと思いますよ」


 そんな自信に満ち溢れたリンさんの発言を肯定するのは癪だったが……可愛かったので認めざるを得なかった。


「そうでしょう、そうでしょう」


 僕の返答にリンさんは満足そうに頷く。


「別に好きになってもいいんですよ?」

「一応、好きですよ」


 未だに『リンさん』という人間について全く掴めてはいないが、実際のところ嫌いではない。


「ふーん……そうでしょう、そうでしょう」


 やや間が合ってから、またもリンさんが満足そうにする。


「さてと……素直な○○くんを見たところで、早速やりますか」

「やるって……何をですか?」

「よくぞ聞いてくれました……!これです!」


 リンさんが僕に見せてきたのは市販の手持ち花火。


「○○くんと千景ちゃんのデート……すっごく楽しそうで羨ましくなっちゃいまして……」

「なるほど」


 そういえば、リンさんは僕たちのことを見ている的なことを言っていた覚えがある。


「花火は嫌ですか?」

「いやいや、そんなことないですよ」


 しっかりと水入りバケツと長めのロウソクを用意しているところを見ると、リンさんがどれほど花火をやりたかったのかが伺える。

 そんな楽しみにしていた気持ちを僕の適当な感情だけで無下にする必要はない。


「本当ですか……!?」

「もちろんです」


 全くリンさんのことが分からなかったが……もしかしたら、乙女で可愛らしい一面があるのかもしれない。

 とても些細なことだが、知ることが出来てよかった。


「じゃあ……○○くん、これ持ってください」


 そう言ってリンさんが僕に渡してきたのは着火用の道具。


「で、風が強いかもしれないので、もうちょっとこっちに寄ってください」


 リンさんが半ば無理やり僕の身体を引っ張ってくる。

 しかし、この場所に風は吹いていない。


「あー……」


 あの日……椛木乃と浴衣デートをした日の出来事を思い出す。

 そんなことをされてしまっては、僕も一肌脱ぐしかなくなってしまう。


「じゃあ……どうぞ」


 僕はロウソクに火を付け、リンさんに促す。


「い、行きますよ……」


 リンさんがロウソクに花火の先端を近付ける。


「うがぁっ!」


 リンさんの持つ花火から綺麗なピンク色の火花が噴出し、僕の身体に降り注いでくる。


「ふう……ピンクなんですね……」

「そうみたいですね。可愛い私にピッタリですね」

「確かに。えっちなリンさんにピッタリかもですね」

「えっちなの否定できないからなぁ……」


 僕も適当に花火を取って火を付ける。

 僕の花火もピンク色の火花を噴出する。


「一緒ですね」

「そうですね。○○くんにピッタリの色ですね」

「あらかた予想出来てますけど……それ、どういう意味で言ってます?」

「えっちな○○くんにピッタリって意味です」

「あながち間違っちゃいないからなぁ……」


 お揃いのえっちな花火(?)を終えると、二人で線香花火に火を付ける。


「もうすぐ……夏、終わっちゃいますね……」


 小さくはじける火花を見つめながら、リンさんが独り言のように小さくつぶやく。


「そうですね」

「千景ちゃんともお別れになっちゃいますけど……寂しいですか?」

「寂しいですよ」

「あら……意外と素直なんですね」


 椛木乃もそうだったが、周りの人間からどんなヤツだと思われているのだろうか。

 自分で思っている以上に感情が死んでいるように見えているのだろうか……。


「それ……千景ちゃんに言ってあげてください」

「それは絶対に嫌です」

「そう言うと思いました」


 僕の線香花火がぽつりと落ちる。


「○○くんは……気付いていますか?」

「リンさんが意外と可愛いってことには、さっき気が付きました」

「それはもっと早く気付いてください」

「すみません」


 リンさんの線香花火は、弱々しくなりながらもまだ弾けていた。


「つかぬ事を聞きますが、○○くんは今まで夢で見た場所のこと、覚えていますか?」

「一応……覚えていると思います」


 いかんせん夢のことなので、曖昧ではあるが。


「では、○○くんと千景ちゃんにがあった場所のことは覚えていますか?」

「覚えて――……」


 そこで僕は気が付く。


「同じ……ですね……」


 言われてみれば、夢に出てきた場所は僕と椛木乃に何らかの関係がある場所ばかりだ。


「リンさんが何かしてるんですか?」

「私は夢の中の人間なので、現実に干渉することは出来ないんです」

「じゃあ……偶然?」

「いえ、この夢と現実は確かに繋がっています」

「じゃあ……リンさん以外の人がやってるってことですか?」


 思い当たるのは体育館の夢のあの人。


「それは……言えません……」


 リンさんはそれだけ残して黙ってしまう。

 少し重たい雰囲気に合わせて、リンさんの線香花火が落ちる。


「まあ……何があろうと別にいいんですけどね」


 現実に何らかの影響があろうと、どうってことはないだろう。


「……本当にすみません」

「謝らないでください。それよりも、花火の続きでもしましょう」

「……そうしましょうか」


 ──……いつの間にか、僕は現実に引き戻されていた。

 何となく夢を見ていたということは覚えているのだが、どんな夢を見ていたのか正確に思い出すことは出来なかった。

 ただ、リンさんと一緒だった……ということだけが、僕の頭の中に残っていただけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る